本国の質問掲示板での回答を教えていただきました。
ちょっとマニアックな話ですが、自作品の解説としてここに詳しく書いておきます。興味のない方はスルーでお願いします。
(この用語決定の経緯はいずれ作品中の解説にも載せます)
本国での呼び方より「主公」に決定
質問掲示板、翻訳文をそのまま引用させていただきます……
質問:諸葛亮は劉備をどう呼んでいたか。
徐庶は劉備に初めてお会いしたとき、劉を「劉使君」と呼んだ。
的盧馬を使って劉備を試したのち、誠心誠意に帰順し「主公」と呼ぶ。
関羽、張飛と劉備が義兄弟の契りを結んだ後、ずっと劉備を「大哥」と呼んでいた。
劉備が漢中王、帝と称された時の第三人称は「吾兄」
関羽が亡き後、張飛は泣きながら劉備に会った際は「陛下」と呼んだ。
諸葛亮が草葺屋で劉備と初対面時:「将軍」
諸葛亮が劉備に帰順した後:「主公」
劉備が漢中王と称された後:「大王」「王上」
劉備が帝と称された後:「陛下」
劉備死後:「先帝」
ものすごく腑に落ちました。
直観として正解の回答だと思います! ありがとうございます。
(送られてきた質問掲示板のスクショ画像で原文を見ると)どうやら『三國演義』を引用した回答のようですが、史実としてもわりと正確だと言えるでしょう。
>諸葛亮が草葺屋で劉備と初対面時:「将軍」
これは、史書にもその通り記載されています。
>諸葛亮が劉備に帰順した後:「主公」
という呼び方は史書にありましたっけ…?
記憶曖昧。すみません。
しかし私としてはすんなりと馴染む呼び方です。
直観としてこれが良いと思いました。
古文っぽい雰囲気が出るし、日本語としてもそのまま使える。←これが大事。
私の『我傍』実名版にこれほど的確な呼び方はありません。
故に、
『我傍』実名版での主人に対する呼びかけは「主公(しゅこう)」に決定です。
早まって「我が君」や「殿」にしなくて良かった。
実は苦手なんです、日本の三国志創作での「殿!」という呼び方。殿という用語を目にすると日本のチョンマゲを結った殿様が浮かんで来てしまって。志村けん世代なもので、バカ殿キャラのイメージも浮かんだり。…日本の三国志ファンの方には申し訳ない。
ところで地の文はどうすべきか?
地の文はあくまでも時を超えた未来から思い出を振り返る設定なので(実名版では特に言及していませんが)、現代と共通の「主人」を使うつもりでした。
しかし実は
「主公=主人」コトバンク参照
で、まったく同じ意味なのですよね。笑
それなのに会話文と地の文で変えると読者様が混乱するかもしれず、どうすべきか…?
まあ後述の通り、地位が上がるごとに表では呼び方が変わっていきます。
地の文でこれに合わせるのも違うと感じるので、内心では「主人」と呼ばせましょう。
実際、私のイメージの中では当初から変わらず敬愛する「主人」だったからです。
「王上」「陛下」等
その他の呼び方、
>劉備が帝と称された後:「陛下」
>劉備死後:「先帝」
これは史書の記載通りで正解です。
>劉備が漢中王と称された後:「大王」「王上」
これも確か史書通りだったと思います。
日本語としては少し不自然なので、「“王の上”はどうか」とご提案をいただきました。
素晴らしいです。こちらも採用させていただきます。
やはり「あにじゃ~」になってしまうのか?
続いて関羽さん張飛さんが主人に対した時の呼び方です。
>関羽、張飛と劉備が義兄弟の契りを結んだ後、ずっと劉備を「大哥」と呼んでいた。
>劉備が漢中王、帝と称された時の第三人称は「吾兄」
「大哥(dàgē)」は日本では外国語になってしまうので使えませんね。
直訳すれば「長兄」ですが、現実の会話で本人に「ちょうけい!」と呼ぶのは変。
現代語で親しみ深さを表現するなら「パイセン(先輩)」のニュアンス? …もちろんパイセンは当作品で使えない。笑
「吾兄」は日本語としても存在する用語らしいです。「あせ」と読むそうな。(知らなかった)
goo辞書
しかし日本語だと女子から男子への呼び方となるそうで、やはり使えません。
外国語からの直訳では男性を敬って言う用語となり、「貴兄」の意味です。
と言うことは日本語の三国志創作でよく使われている
「兄者(あにじゃ)~!」
が正しいのでしょうか?
んん……参ったな。
あのアニジャ呼びも私は苦手なんですよね。任侠ものみたいで。
(そもそも三國演義は任侠ジャンルに分けられている※みたいですが、苦笑)
※古代中華の「任侠」は日本で言う「ヤクザ」とは違うこと注意。仁義を重んじ、弱きを助け強気をくじく義侠心のこと。またそのような義侠心を持つ人々のこと。
ここは私の感覚でも抵抗ない「兄貴」としておきましょうか。
あくまでも私的なシーンに限り。
現実の話をしておきますと、関羽さん・張飛さんといえども家臣の立場をわきまえていたので、公の前で「兄貴」とは呼ばなかったと言えます。
私のイメージの中でもそうです。
親しき仲にも礼儀あり、が基本でした。
皆さんプライベートと公での態度は分けていましたね。
そのへんの細かい違いも小説で表現していけたらと思います。
私のイメージでは「王」でした
気になる方もいるかもしれないので自分の夢(記憶)の中での呼び方を書いておきます。
晩年近くのイメージが強いせいなのか、私は彼を「王」と呼んでいました。
思い出す時も「王」としてイメージされます。
このため私は高校生の頃から今日まで、かつての主人のことを「王」と呼んでいます。心の中で。
(なお「主人」は第三者に語る際の話し言葉です)
もちろんこの「王」とは起きてから日本語変換された用語です。※
つまり単に、幼稚な日本語の「王様」という意味でイメージされただけなのだろうと思っていましたが。
実際に「王上」と呼んでいた時期があったのですよね。
現代の個人的な思い出ともマッチして、「王の上」というご提案には特に感慨を覚えています。ありがとうございます。
※次元を超えた記憶では言語がダウンロードされないので意味だけが再生される。その後、覚醒状態のときに記憶を思い返す際、現在使っている言語へ変換されるらしい。
【詳細】前世記憶とは何か~クラウドとモバイル機器
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