
今朝は起きる前に幸福な夢を見ていました。
前世のイメージ?…ではなく、今世の若い頃の記憶。二十歳頃に住んでいた丘の景色です。
あの白々と光る丘の道、頂上から見晴らす街の景色。
整然と並ぶ小さな家々の屋根、地平線に青く浮かぶ都会のビル。
(冒頭写真はACの素材であり実際に私が住んだ土地とは無関係です)
そこには長く続く平穏な未来があって、無為だが何物にも縛られない日常がありました。
現実を言えば今の生活も当時と大差ありませんが。
まさかこれほど長く晴読雨読※を愉しめるとは思っていませんでした。日常を楽しむことができた幸せな人生だったと言えます。
※晴れ読み、雨読みです。今世では特に畑仕事はしていませんので(笑)、晴れた日でも雨の日でも関係なく読書しています。ただしもちろん仕事をしていますから休み時間に。最近はもっぱら夜、就寝前のわずかな時間。
今朝の夢の中では、この人生を小説にして書き留めようとしていました。
タイトルまで具体的に考えていたのは我ながら笑えます。
『小説スケッチ』とか。…誰も読まなさそうなタイトル。笑
まあ、誰のためでもなく自分のために書いていたのでタイトルは適当で良かったみたいです。
現実でも私にとって小説を書くことは文による“スケッチ”でした。
特別ではない日常ほど書き留めることができなくて消えてしまう。何気ない景色を見たときの心象などは、需要がないのでブログにさえ綴ることができません。
唯一、書き留めることのできる手段は小説だけです。
「インスタに写真を上げればいいじゃん」…では違うのですよね。“心象”だから。
おそらく心象のスケッチは言葉でなければ不可能。それは人によって歌や絵になるのでしょうが私の手段は文です。
ただひたすらに日常を綴る小説は、いわゆる「退屈な私小説」となります。
世の中では最も嫌われるものですが自分のために心象スケッチを書いておくのもいいのでは。
たとえば自分の小説で、『little life』という痛い恋愛小説があります。あれは実は恋愛エンタメにかこつけて高校時代の“心象”を描いたものでした。後で読み返してみて意義を覚えるのは結局、このような私小説へ織り込んだ“心象”スケッチです。これと同等なのが『我傍に立つ』で、同じように前世の心象をスケッチしただけの小説だったわけですが、他人にはジャンルが違うように見えて同等だとは気付かれないでしょう。
---今がんばって執筆している方と、これまで私の小説を読んでくださった方へ申し訳ないので後ろ向きな表現は修正しました。すみませんでした---
かつてのように。
これからの残り時間は、誰のためでもなく自分のために読書し私小説を書くなどして日常を慈しんでいきたい。
――などと夢の続きのまどろみの中で考えていました。
こんな夢を見たのは、もういい加減に世間の人へ有意な話を訴えることに疲れてしまった証でしょうか。
いくら叫んでも届かない。
人々は反転された嘘ばかり信奉し、血生臭い欲を貪ることに夢中。
誰もが“引き寄せ”魔術で勝利者となり、他人より優位に立つことだけ願っている。
あの人たちにとってはお腹を満たしてくれない氷のごとき真理など、どうでもいいのだろうと。
それとリンチに明け暮れる世間を眺めることにも疲れましたね。あまりにも醜悪過ぎて。
ジャニ事件は最たるものですが、世の中全体に腐臭が充満している。あらゆるジャンルで常態化した歴史修正とリンチに吐きそう。何よりもリンチを心から愉しんでいるあの鬼畜という生物が気持ち悪い。
【精神の強い方は別館どうぞ。身近な歴史修正の実態、端的なまとめ】
しかし多くの人にとっては誰の歴史が書き変えられようと、無実の人が貶められようと関係ないらしい。
自分には被害がないから、だって。そして愚かにも自分もイジメに加担して暴力を愉しむ。
いずれ「反転」は自分の身にも降りかかるというのに… その時は誰も助けてくれないのに。という有名な言葉もありましたが。
誰がどんなメッセージを残しても、明白な共通項に目を瞑る人がほとんどだから温故知新ができず同じ穴に落ちるだけです。
これほど現代人の目が昏いとは思わなかった。
そんな人々を眺め、自覚している以上に疲労が蓄積しているようです。
手応えがあれば疲れなど無視して続けていけたのですが、あまりにも馬の耳に念仏過ぎる。鬼畜そのものより聞く耳のない人たちへ語る無意味さに疲れました。この人たち(歴史ジャンルの住民たちのことです)に関しては諦めるべきと思っています。
近頃の夢で日常の景色ばかり見ていたのは、無意識に疲労が溜まっていることの表れだったらしい。
心が壊れてしまう前に日常を取り戻さねばと思います。
とにかく地獄を眺める時間を減らしたいですね。テレビはもちろんネットにも鬼畜たちがばらまく腐臭が充満しており避けるのも難しいですが。