
リンチに明け暮れるメディアに疲れたため、今日は報道系を避けてライフハック系の雑学記事を眺めていました。
ところが最近はそちらのジャンルも地獄のようです。
わざわざ疲れる話を引用するのも申し訳なく思いながら…
ちょうど先日当ブログで書いた話に関わりそうなので触れておきます。
「主人」と呼ばれたくない人々
先日小説内での君主の呼び方についての記事で、「主人」という呼称について言及しました。
しかし最近は「主人」という言葉そのものにアレルギーを持つ人が増えているとか。
「主人」という呼び方は“憎き家制度”や“奴隷制度”を連想させるからNGだそう……。
悲しい感性ですねえ。
人と人との絆を奴隷契約としか思えないとは。
心が貧しい。
ここにも変なイデオロギーにかぶれてしまった人たちの影が見えるのがとても嫌です。
家制度への憎悪(…失笑)とか、女性差別改善とか。社会を崩壊させるための「アンチ」スローガンがワンパターン過ぎてうんざり。
何より悲しいのがそんなイデオロギーにかぶれて、「Z世代の新しい考え方」と思い込んで真似している若い女性たちがいることです。
【実はフェミニズムはカビの生えた古い思想】
百年前から繰り広げられてきた「嫁」「主人」の呼び方議論
古臭いスローガンを叫ばされ利用されているだけなのに、自分は最先端でカッコイイと思い込んでいるとは恥ずかしい。
でもこの人たちに絡まれたら面倒だから、皆が配偶者のことを何と呼べばいいか分からずに迷っていますね。
私も一時期「パートナー」や「相方」などという呼称を使っていましたが、それはそれで嫌がる人がいるらしい。最近はついに「配偶者」「家族」としか呼べなくなりました。きっとこれすら批判的に眺めている人がいるのでしょう。…もうお手上げ。
何とも呼ばれたくない…? では独りで生きていくしかない
上でリンクした記事のアンケートには呆れました。
■あなたの夫があなたについて第三者に話す時、絶対呼んでほしくない呼ばれ方は?(複数選択可)は……? 全部、嫌ってこと?
妻:3人
家内:15
女房:17
かみさん:17
嫁、嫁さん:19
連れ、連れ合い:3
おかあさん:34
うちの(やつ、など):23
ワイフ:27
奥さん:12
パートナー:15
彼女:9
あなたの旧姓:14
あなたの名前:3
あだ名:14
ハニー、ダーリン:35
名前で呼ばれるのすら嫌だと。
もはや何とも呼ばれたくないと仰る。だったら独りきりで生きていけば?
さすがに私も配偶者に表で「ダーリン」とか呼ばれるのは嫌ですけどね。笑
嫌なら相手にそう言えばいいだけ、呼ばれたい呼称をリクエストすればいいだけです。
リクエストもない、呼ばれたくないと言うならもう人と生きる資格がないと思う。我がままが過ぎる。勝手にしてください。
問題なのはビジネスなど日常生活で、一般的な礼儀として相手の配偶者を「ご主人」「奥様」と呼んでいるだけなのに女性差別ダー!キィー! と怒って噛みつく人たちがいること。
ではどうすればいいのか。
まさか初対面の方の奥さんを「パートナー様」と呼ぶべきだと言うのか。それこそまともな人には怒られそう。
フェミ・イデオロギーを持つ人は分かりやすく、予め胸に赤いワッペンでも貼っておいて欲しいですね。
もはや日常生活にも支障をきたしているこの言葉狩りの集団、何とかならないものでしょうか?
社会にとって迷惑な集団となっています。
(工作を仕掛けている団体は迷惑どころではなく暴力活動をしている反社であり、警察にマークされる対象。ただそんな反社の工作に乗っかってファッションとして言葉狩りをしている人たちには迷惑を自覚してほしいと願います)
言葉狩りする人のほうがこだわりが強い
多くの人が気付いていることでしょうが、実は言葉狩りをする人たちのほうが誰よりも差別意識が強いと言えます。
人権を叫びながら、自分は平気で人を「奴隷」扱いしたり言論を奪う独裁主義者となりがちです。
生まれつき“人間同士は対等”との意識が強く、立場で相手を判断しない人は尊称を差別として捉えません。
むしろ自分自身が尊敬心を抱く相手には積極的に尊称を用います。心を反映しようとするからです。
もちろん他人が使う呼び方に目くじら立てて言葉狩りをしたりもしないでしょう。
大切なのは本心がどうなのか・真の関係はどうかであって、階級は重要ではありません。
「主人と呼んだら奴隷」※
などと思う人は生来の奴隷根性を持つのだと思います。
つまり、人と人との関係を上下でしか捉えられない意識の表れ。
そのために嫉妬心と競争心でしか人間関係を見ることができず、常に自分が相手より優位に立つことばかり考えている。それで優位に見える友人・幸せそうな友人には嫉妬し悪口を言ったり、足を引っ張ることしかできない……。(そんな人たちがイデオロギーを吹き込まれ国や会社、家族関係を攻撃する暴力装置になる)
悲しい。
そのような人たちは生涯、いや転生して以降もしばらく人との絆を得ることは困難なのではないかと思います。
※実態としての関係が“所有者と奴隷”で、「主人」と呼ぶことを強制されているのだとしたら話は変わります。それはそもそも犯罪であり、解消しなければならない関係です。
自分自身の話
前回も書いた通り私は、記憶の中の主人を「主人」と呼びます。
まあ夫婦ではなく家臣だったわけで、本当に集団の中の“主な人”だったわけですから正当ですが。
それで屈辱を感じたりだとか、「自分は奴隷なのだ」などと卑屈な気持ちになることはありません。なるわけがない。
自分の意志でついて行こうと決めて、心から敬愛している気持ちがある相手だから「主人」と呼び続けたいと思っています。
伴侶という意味でもありますし。
これは心を反映した呼称です。