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    自然死とは何か? 幸福な死を迎えるための方法論

    メモ帳でもお知らせしましたが、先週末から何かしらのウィルス感染症に罹りしばらく寝込んでしまいました。

    “何かしらの”と言うのは、ちょうど発症が週末で病院へ行って検査できなかったから。救急へ行くほどの症状でもなかったし。

    しかしいつものインフルエンザと症状が違っていたために少し焦りました。
    いつもなら高熱が出てすぐ治ってしまうのですが、今回は微熱が長く続いて妙な感じです。
    今はだいぶ回復しました。完全回復までもう少しでしょう。

    微熱が長く続くのは最も怖いですね。
    私は前回(前世)それで死んでいるため少し嫌な想像が過ぎりました。

    何度か書いた通り、前回は「始め夏風邪に罹り微熱が下がらず体が弱り… 寝ているうちにいつの間にか去った」と記憶しています。
    現代医学で解釈するなら、最初あの地域に多いコロナ系の風邪ウィルスに罹ったのでしょう。寝ない・食べない・心的ストレスで体力が落ちていたために肺炎へ移行。回復せずに死んだものと考えられます。

    さすがに医療の発達した現代にて、この年齢でインフルエンザからの肺炎で死ぬという確率は低いはず。どうかご心配なく。
    現代では抗生物質も点滴もあります。
    だから今世でのお迎えは今ではないと分かっています。

    ただ今回少し長く昏々と眠ってしまったとき、前回の感覚を思い出してしまったという話です。

    風邪の微熱がある状態のときに眠り続けるのは心地が良いものです。
    今回も心地が良くて、このまま永久に眠り続けていられたらいいな……と危うく思いかけました。

    実際、生物は眠るように死ぬ“自然死”を迎えることが最も幸福なのだと思います。
    先日も医師の方が書いた記事で、“幸福な餓死”たる自然死が最も良い死に方なのだと学びました。

    【外部リンク】死とは何か…医者は自然死を知らない 「延命治療」蔓延する日本と「自然死」選ぶ欧米

    体が徐々に弱り、起き上がれなくなり、食べられなくなって生物は「餓死」する。
    確かに前回はこんな死に方だったなと思い出します。あれは幸福な餓死だったのか。

    50代などでこんな自然死を迎えるのは早過ぎますが、できれば多くの人が自然死で亡くなってほしいと願いますね。
    拷問に等しい延命治療を受けて苦しむ人が減りますように。

    人間は不自然になり過ぎました。
    だから苦しむことが増えたと思います。

    医療を手放すことはもはや不可能でも、せめて最期くらいは他の生物を見習って自然に近い死を迎えたいものですね。


    幸福な死を迎えるための条件


    自然死に近い、幸福な死を迎えるためにはどうすべきか?

    運命は人によって様々。
    予め設定されている最期も様々です。

    だから万人に共通する「幸福な死を迎える方法論」などないと思います。
    しかし必要以上に苦しむ選択をされないように。前回「眠るように死んだ」時の私の体験を振り返ってまとめておきます。

    ※昔書いた記事と重複する話があります。“自然死”をコンセプトとした改めてのまとめです。

    条件1:悪事をはたらかない、可能な限り誠実に生きる


    なんだか仏教のお説教的に響くかもしれませんが、実はこれが最も重要と思います。

    私欲が深くて現世で貪っている人ほど、死ぬときは苦しむというのは本当のこと。

    他人に害を与える・嘘をついて生きるなど、悪事をはたらいた人も死ぬときに苦しむようです。
    悪行ざんまいで金持ちとなって断罪されることなく死んだり、見た目にはどれほど幸福に見える死の場合でも本人は内心で苦しみ、たとえようのない地獄を味わっています。

    何故なら死ねば全ての罪が明るみになるので。
    (罪が明るみになる=自分自身で罪を自覚する)

    死の前後、自分が他人に与えた苦しみをそのまま追体験するため自覚せざるを得ないのです。
    このことが「お天道様は見ている。自分は全て知っている」ということ。

    追体験の恐怖と苦しみは死んでから永く続きます。
    そんな終わらない苦しみを“地獄”と呼ぶのだろうと思います。

    悪人へ「ろくな死に方しないよ」などと言った昔の人たちの感覚は正しいのでしょう。

    ありきたりの道徳を唱えるようですが、やはり幸福な死を迎えたいなら誠実に生きるべき。
    これが最低条件です。

    条件2:多くの物を持たない


    物質は地上エネルギーを持ちますから、財物を持てば持つほど地上への執着が増す。
    そうなると物質のエネルギーに縛られ離れるときに辛くなると思います。

    だからもし心安らかに去りたいなら、必要以上に物を多く持って執着を増やさないことですね。

    かと言って、「所有は悪」ということは決してありません。
    だからどこかの宗教団体に寄付して手放すといったことはしなくて大丈夫です。
    もちろん、共産国に住んで党へ財産を明け渡し支配される必要もない。カルトに自らの魂を差し出して悪行するほうが悪。

    財産を棄てて家族に苦労をかけることもまた罪となり、死ぬときに苦しむ要因となるでしょう。

    生きているときは生活できるだけの財産を持つべき。
    最期は当たり前に子供たちへ相続すれば心安らかに死ねるはずです。

    要は、「自分だけ独り占めしたい」という執着を持つべきではないということ。
    「私の財産は私だけのもの。私が死んだら全部、墓に入れて誰の手にも触れさせるな」といった強欲丸出しの遺言はイカンということですね。

    よく言われることですが死んだらお金は持って行けない。
    地上のエネルギーは地上で生きる次世代へ受け継げばいいだけのことです。


    条件3:延命治療はしない、自然にまかせる


    最後は上にも書いた条件。
    これは肉体にとっての苦痛を和らげる方法です。

    延命治療は選択しない。
    痛みを和らげる以外の薬は飲まない。
    なるべく末期の点滴も断り、自然にまかせて餓死できるようにする。

    最も楽に体をしずめ、穏やかに体とお別れする方法はこれ以外にはないかなと思います。

    あともう一つ。
    なるべくなら自分で死期を選ばない。つまり、早まっての安楽死は選択しないこと。

    “お迎えの時”は実は決まっています。
    自分で死期を早めてしまうとお迎えが来るまで地上に留まることになり、その間が苦しいようです。

    どうしても耐えられない痛みがある場合、安楽死は否定されるものではありません(その場合は寿命を過ぎていることもある)。でも安易な自殺が自ら苦しみを受ける選択肢となることは間違いないと言えます、やめたほうがいいでしょう。

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