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犯罪の責任は「魄(肉体)」に押し付けられるのか?

マイケル・ニュートン著書について、細かくレビューしております。

この本を読んでいて少し意外だったのは、筆者が「人間」を宿主と呼び、魂とは完全に別の存在と考えているらしいことでした。

霊魂を信じる現代人の空想として一般的なのは
“「肉体」は木偶のような物体に過ぎず、魂が宿って始めて意思を持って動き出す”
というものでは?
つまり全ての選択の責任は魂にある。
(霊魂を信じない人も「選択の責任は自分自身にある」と考える。自分が魂か体かという違いだけで、両者とも自分以外の何者かが罪を犯したとは考えていない)

ところがニュートン氏の考えは違います。
「人間という生物が独自の意思を持つ」と見ているようで、その生物は善悪の判断ができず、暴力性と否定的感情を持っているとしています。
それ故に「暴力などの犯罪は人間という宿主をコントロールできず、宿主が起こしてしまうもの」とごく自然に説明されます。この宿主という概念について本文で特に解説がないのは、筆者自身も意識しないほどごく当たり前の考えになっているからでしょう。

なお、これはニュートン氏だけの考えではありません。
現代の予言者、ゲリー・ボーネルも
「魂は地上に住むために人間という(独自の進化をした)生物の肉体をお借りしている」
と語っています。
この肉体自身が独立した生物であるという考えは、中国で言うところの「魂魄」の「魄(ぱく)」にも似ているようですから、古代から存在した考えです。
(松村潔氏は魂のうちの低次元や悪の部分を「魄」と呼んでいますが、ちょっと違う気がするので注意されたし。中国の「魄」はもっと単純に肉体のことではないでしょうか。魄=キョンシー)

肉体に罪があるという考え方に違和感を覚えたのは私が現代人だからなのか……。
「犯罪を起こすのはあくまでも人間という地上生物である、その生物に乗っているに過ぎない魂に果たして責任があるか否か?」
などという議論が成されること自体、現代人の感覚としては抵抗があります。
たとえるなら、
「悪魔が乗り移って少女を殺させたんだ!」
と主張する外国人犯罪者の発言を耳にしたときの感覚。
我々はその責任逃れの主張に白い眼を向けざるを得ません。
(本当に脳機能障害があったと考えられるケースは別だが。それでも完全無罪として世間に放り出すことには怒りを覚える)

脳の病気があった時以外、犯罪の責任は本人自身(魂)にある、と考えるのが地上においても霊界においても妥当であると私は考えます。
従って、地上において犯した罪のカルマは免責されることなく、魂が負うべきと思います。


もちろんニュートン氏も、実際の被験者へのインタビューをもとに
「反省したからといって地上における罪のカルマが免責されることはない」
と述べているので、全てが肉体の責任と考えているわけではないと分かりますが。
それにしても「魂の性質は全て善」であり悪は肉体のみが担当すると言うのは、どうも楽天的過ぎる気がします。


本質で魂に性別はないのと同じように、究極のところ絶対善や絶対悪の魂も存在しないはず。
ただ地上で生きるうちに男女どちらかのアイデンティティが強まるのに似て、魂の性向が善悪どちらかに偏っていくことはあると考えられます。

と言うことは、非常に高次の霊が存在するように、非常に低次の霊が存在すると考えるのが自然でしょう。いわば悪事を極めてきた「魔王」のような存在がいるわけです。
だから魂が魂主導で、地上において悪事を犯すことは実際にある。
そんな魂が罪を肉体だけに押し付けて、死んだら免責というわけにはいかないでしょう。



私が未だに忘れられないのは、モーゼス『霊訓』を読んでいるときに
「悪の魂なんて本当にいるのか?」
と問いかけた瞬間
「本当だ」
と応えるかのように白い羽が落ちてきて、アゲハ蝶が飛んだ出来事です。
どうやら肉体の質に関わらず、悪しき魂は存在するようです。

※誰かを無理に「悪」と見做して戦争を起こせと言っているのではない。ただ、悪に流れる性向の魂が存在すると考えたほうが現実を正しく見据えることになるはず。善悪のエネルギーこそが霊界を動かしているとも考えられます、陰陽の太極図のように。この善悪がなくなったときが天地の消滅でしょう


この悪しき魂が支配する地獄も含めて霊界全貌を描いているのは、ファーニスの『死後世界地図』のほうかなと思います。
天界から地獄まで広く渡り歩く語り手、フランチェッツォ(霊界在住)ならではの視点でしょうか。

ニュートン氏のもとを訪れる人々は人間界のなかでは成熟していますが、霊界においては高次霊の指導を受けている「初等科」にいる魂たち。言わば似たレベルの魂たちのようです。
筆者ご本人が「ある一定レベルの魂だけが退行催眠を求めて訪れた」と語っている通りです。
具体的には、人間界に生まれてくる学派所属で初等科のうち、優等生の魂たちですね。

フランチェッツォによれば霊界の学派はもっと広く様々で、人間界に生まれるべきではないとする学派もあるそうです。霊界だけで修業する魂も多いらしい(学派は二分されているそうなので、地上で修業しない派の魂が約半数いる)。一度も地上に生まれたことのない魂も多い。
だから、ニュートン氏の著書に書かれたことは真実であるけれども全てではないのでしょう。

*関連個所 引用
 その前に私たちは、暴力的な犯罪者の脳に宿っている魂に、罪や責任があるのかないのかを考えてみなければなりません。魂の心と人間の自我のどちらに責任があるのか、それとも両方に責任があるのか。ときどき「悪事をするようにそそのかす内側の力に取り憑かれているような感じがする」と漏らす被験者がいます。善と悪の拮抗する力に駆り立てられて、自分にはなすすべもないと感じている、精神的に病んでいる人たちもいます。

…そのような間違った人生の選択によって、魂のアイデンティティが傷ついてしまうのかもしれません。
 しかし魂には、自分が宿っていた肉体がこの世で行ったことを報告する義務があるのです。

ニュートン 人生で他人を傷つけるという欠陥がある人間に宿った魂には責任が生じるのですか。
被験者 生じます。人生で他人に残酷な仕打ちをした人たちのことですね。そういった魂の一人を知っていますよ。
ニュートン どんなことを知っていますか。その人生の後でスピリット世界に戻ったときに、その魂には何が起こったのでしょうか。
被験者 彼は……若い女性を傷つけたんです……むごいほどに……。そして私たちのグループには戻りませんでした。その肉体にいるときのあまりにもひどい行いのために、彼は個人的に一から学び直さなければならなかったんです。
ニュートン 彼はどの程度の罰を受けたのですか。
被験者 罰というのは……間違った解釈です。更生と言ったほうがいいでしょう。教師により大きな責任がかかることを忘れてはいけません。教師たちは残忍な行為にかかわった者たちにより厳しくなります。
(略)
被験者 しばらくしてから……そんなに長くはかかりませんでしたが……彼はこの世に今度は女性として戻って……周囲に残酷な人たちがいる環境で……肉体的に虐待されて……。それは意識的な選択だったんです。友人はそれを経験する必要があったんです……。
引用はいずれもマイケル・ニュートン著『人生はなんのためにあるのか』第四章より
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