我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    私の“わが君”はまだ迎えに来ません。転生には「現在ココ」の生存権がある

    ドラマ感想に続きもう一つ、『パリピ孔明』のドラマを観ながら考えていた件。

    これは政治背景とは関係ない件で(たぶん)、このドラマで私個人的に気になっているシーンと台詞についての話です。

    死者が迎えに来る!? 本物の死者はやすやすと姿を現さない


    ドラマ後半となった最近、孔明がたびたび
    “三顧の礼”
    を夢に見て劉備と会う直前に目が覚めるというシーンが繰り返されています。

    そして向井孔明に
    「わが君が迎えに来ている?」
    「(夢の中で劉備たちと会えたら)きっと私はここから去ることになる」
    「もう長くはここにいられない」
    などというセリフを言わせている。

    あんなシーンが原作にあるのか知りませんが、私には個人的事情で痛い話ですね。

    ――自分にも前世の主人が夢で迎えに来る。

    思わずそんな想像をして慄えてしまいました。

    想像するだけで嬉しく、もし夢でも会えたらついて行ってしまいそうだと思います。
    だからこそ恐ろしくも感じて背筋の寒さを覚えています。

    現実を言えば、私自身は前世の主人と夢でも会えたことはありません
    それは前世晩年も、今世でもです。

    「どうして夢でさえ出てきてくださらないのか……」
    と恨みがましく思ったことはありますが、あの方はそう安易には現れないでしょう。
    私の気が弱くなり、生きる気力が萎えることを避けるだろうからです。

    一度だけあの人らしい存在を感じたのは前回死んだ直後の記憶でした。
    小説を読まれた方はご存知、“狼の夢”で見たフワフワの鳥(笑)のことですね。

    迎えに来てくださったというよりは「会いに来てくださった」という感じだったと思います。
    本人曰く
    「皆ずっと近くで見守っていたが、どうすることもできなかった」
    とのこと。
    私が死んでようやく話しかけることができるようになったので、声をかけたとのことでした。

    私はその夢の場面を思い出すたびに泣いてしまいます。
    いろいろ言いたいことはあっただろうに、耐えて生きている者の使命を見守るだけだった彼らの気持ちがあまりにも優しく、温かくて。

    死者が生きている人のことを本当に想っているならば、夢の中などにやすやすと姿を現さないものです。
    生きている人には寿命が尽きるまでその人生を勤める使命があり、死者が声をかけて使命を邪魔してはならないからです。

    迎えに来る時は本当にその人にとって約束された寿命が尽きた時だけ。

    もしも早めに去ることを催促して強引に連れ去るような霊魂がいたら、それは悪霊ですので注意してください。


    タイムリープと転生の大きな違いは“現在ココ”があること


    『パリピ孔明』は「転生」と言っていますが厳密には転生ではなく「タイムリープ」であり、本来の意味での“輪廻転生”とは違いますね。

    本当は死んでいるはずの者が、存在してはならない世界へ間違って飛んでいるだけ。
    だから『パリピ』の場合は「早くおいで」と主公たちが迎えに来る設定も間違ってはいないと思います。

    これと違って新生地で別の名と別人生を持つのが“輪廻転生”です。

    転生する者は新生地で新たな体をお借りし、新たな名前を持って別の人生計画を携えて生まれて来ます。
    このため0歳から始まる新たな人生の物語、「現在(いま)ココ」の思い出を持ちます。

    たとえ有名人にならなくて、他人にとってはどうでもいいゴミみたいな思い出なのであっても、「現在ココ」の人生の軌跡は一分一秒たりとも失えない。かけがえのない魂の歴史です。

    さらに寿命が尽きるまで新たな人生を生きる権利と使命があります。

    つまり、転生者は地にしっかり足を付けて立つ現在ココの“生存権”を持っている。

    言い換えれば「現在ココ」が大事。あくまでも。
    “現在”に軸を持っている。

    これがタイムリープ者と転生者の最大の違いでしょう。


    私にはまだお迎えは来ない


    前世の仲間たちも今は死後世界でお休み中の方が多い気がします。
    ただこの二千年近く、既にどこかで新たな人生を何度も送って来られたでしょう。
    そして転生したことがあるなら来世の時間がどれほど大切か知っているはず。生きている人にとってその人生の時間は一秒も見逃せない宝物であると。

    だからこそ、前世の仲間たちが今の私へ余計なちょっかいをかけることはないはずです。
    そんな無粋なことをする人たちなら私も最初から“仲間”にはならなかったでしょう。


    そのようなわけで私に前世の主人の“お迎え”が来たことはありません。
    今後もないと言えます。私が死ぬ時まで。

    もしかしたら今この人生で同時代に生きているかもしれませんし、ね。
    お互いに生者ならお迎えに行く理由はないわけですよ。

    「去って欲しい」との呪いをかけている者たちへ、残念でした。
    私は今しばらくここに居てメッセージを出し続けます。
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