~について(基本的な考え方)

    “心が疲れる”理由。水瓶座否定の思考で擦り切れている

    繰り返し書いていますが、最近は現世へ目を向ける時間が増えスピリチュアル本も読まなくなりました。

    …いや、もともとスピリチュアル本を自ら好んで読むタイプではなかったのですけど。以前は読者様からの紹介で読む機会が多かったのです。そんな紹介もここ数年なくなったのでほとんどスピ本を読んでいません。

    スピリチュアルジャンルそのものにも距離を置いています。

    たまにスピリチュアルジャンルを眺めれば、「人類は一つの生命体!」または「人類バラバラ!」と叫んで全体主義へ誘導するか、「引き寄せの法則」(=嘘を百回唱えれば真実となる教)を掲げて善悪反転しようとする工作ばかり目につき、うんざりします。

    騙されて欲しくないので危険性を叫べば、信者さんたちから憎悪を向けられ石を投げつけられるばかり。
    何にうんざりするかと言うと、工作員よりもむしろ騙されて攻撃隊として使われている一般信者のほうにです。

    無知は仕方がない。しかし欲望に中毒するあまり、本人のためを想って引き留める相手を憎悪し攻撃するのは幼稚過ぎる。
    昭和の時代に学校のガラスを叩き割っていた不良少年と同じです。
    我がままを叫んで暴れても状況(運命)は変わらない、何より本人のためにならないというのに、どうして欲望の手下となってしまうのでしょうか?

    ――まあ、昨今のスピリチュアルジャンルはこういう魔界となり果てたから嫌になってしまったというのが本音です。
    我がままなだけの人たちを眺めていても何も楽しくないし、善悪を破壊する信者の言動は不快なだけです。

    いっぽうで私は体験者として、死後世界や“魂”、カルマの法則といったものの存在を確信しています。
    だから破壊活動に悪用されている現状があるからといって、スピリチュアルそのものを「有害なウソ思想」と決めつけ全否定することもできません。

    ここが私の難しい立場で、“心が疲れる”一番の理由はこの状況のせいです。
    前世が文化大革命の被害に遭って史実レイプされているから、だけで疲れているのではありません。もちろんそれも大きな理由であるけれども。

    (なので、「あんたは過去に囚われているバカだから疲れるんだw 前世記憶なんか棄てればいいのに。バーカ、バーカ」という批判は見当はずれです)

    実際に現代は上位から与えられたイデオロギーを、何も考えずに妄信する“信者”しか気楽に生きていけない時代だと思います。

    全方位どこを向いても全ての思想が彼らに捻じ曲げられ、悪用されている。

    真実を知り、真実を守りながら、同じジャンルを否定しなければならないのは本当に疲れます。
    歪められている部分だけを批判しても、そのことは周りに伝わりづらい。おそらく読者様の目に私はダブルスタンダードに映っていることでしょう。

    例)
    ・「自由、平等、公平」のスローガンを悪魔思想集団が悪用しているため批判しなければならない
    ・本来は守るべきマイノリティの権利を悪魔思想集団が悪用… 以下同文
    ・日本など東洋でスタンダードな多神教を、…以下同文
    ・スピリチュアルを、…以下同文
    ・自然保護を、…以下同文
    ・民族主義を、…以下同文

    これが前回書いた「水瓶座の否定」思考。
    本来の定義で使えば素晴らしく有益な概念(ほとんど水瓶座の主義)を、悪魔信者が言葉の意味を反転させて悪用している現状では批判せざるを得なくなります。

    水瓶座思考の強い私はずっと自己否定を強制されているに等しいわけです。

    これほど疲れるならば、言い方は悪いがいっそ一神教徒にでもなったほうが楽でしょう。
    アメリカの保守の人たちのように、一神教徒の立場から「多神教」という異端を責めるだけならどれほどラクだろうかと思う。
    あるいは反対の極左信徒、何も考えず命令に従って破壊活動に明け暮れているロボットになればラクでしょうね。

    でも、私はそのどちらにもなれません。
    どうしてもビッグブラザーに従う信者にはなれない性分です。

    そのため死ぬまで疲れ続けるしかないのだろうなと思っています。

    たとえ精神が擦り切れて力尽きても、空っぽな奴隷よりは遥かに幸せに死ねる気がしています。
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