神秘・占星術

    『プルーフ・オブ・ヘブン』感想 2 自我を失う臨死体験はレアケース

    更新が遅くなりました。前回の続きです。

    『プルーフ・オブ・ヘブン』の基本情報、筆者感想は前記事へ

    この記事ではアレグザンダー氏の体験について、書籍から引用しながら私自身の体験と比較したいと思います。

    アレグザンダー氏の体験


    「私自身の体験と比較したい」と書きましたが、私は前回死んだときの記憶を持つ者に過ぎません。
    しかも前回は死後世界(スピリット界。死後に魂が過ごす次元)へ行かずに直接ここへ飛ばされたようです。だから死後世界について自身の体験から述べることはできないこと、先にご了解ください。

    当ブログで書いている死後世界の話は、本などで読んだ他の体験者の話を引用したものです。
    たとえばマイケル・ニュートンの著作ファーニス『スピリットランド』等。
    (引用しているからと言って私はこれらの著者の信者というわけではないので誤解されませんように。他人の話は共鳴する箇所を認めますが、丸ごと鵜呑みにするタイプではありません)

    ただし前回死んだ直後の記憶は明瞭に持っているので、比較してお話しできることはあると思います。

    ここから引用するのは上の書籍より、アレグザンダー氏の臨死体験。
    並べて私の体験や考えを書いていきます。

    ゲートウェイ、ミミズの目の世界


    まず最初にアレグザンダー氏は混沌とした暗い場所、泥の中のような世界にいることを認識しました。しかし自分がどこの誰なのかという認識(自我)も、時間の概念も失っていました。

     そこは暗い場所だった。闇でありながら、視界が効く暗がり――泥の中に沈んでいながら、泥を通してものが見えるような暗がりだった。それとも汚らしいゼリーの中と言ったほうがいいかもしれない。透けてはいるが、すべてがどんよりとぼやけていて、閉じ込められている息苦しさを覚えた。
     意識もあった。だがそれは、記憶も自意識も持たない意識だった。(略)
     そこにいたときの私は人間ではなかった。動物でさえなかった。それ以前の何か、それともそれ以下の何か、それらを合わせたような何かだった。時間の概念が存在しない赤茶色の海に浮かぶ、単なる認識の一点でしかなかった。

     汚泥の中からグロテスクな動物たちが顔を突き出し、吠えたり甲高く叫んだりしては、また泥の中に引っ込んだ。ときおり低いうなり声も聞こえてきた。うなり声がひとつになって、リズミカルなくぐもった詠唱のように響いてくることもあった。
    まるで地獄のような、ちょっと恐怖な場所です。
    アレグザンダー氏は始め周囲と自分との境が分からなかったので何も感じていなかったのですが、しばらくして居心地の悪さを感じてきたそうです。
    「こんな地下世界は自分の居場所などではない。閉じ込められている」と。

    きわめて特殊な体験です。
    他の臨死体験者からは聞いたことがないビジョンですね。

    私が思うに、これは肉体に閉じ込められている魂に特有のビジョンではないでしょうか?
    周囲に見えるものの描写は血管などに似ていて、有機的、生物的です。
    肉体の内部を眺めているような次元の低さ、重々しさを感じます。

    ここでずっと「低く響いていた不気味なリズム」はたぶん彼自身の心臓の響きでしょう。
    泥沼の中から浮かんで吠えたり叫んだりしていた動物は、病に冒されて苦痛の叫びを上げる細胞たちか?

    通常、臨死体験では「すぐに魂が体から離れた」と語る人がほとんどです。
    だから手術室の天井付近に浮かび、自分の体の救命活動をしている医師の姿や手術などを見下ろすことになります。

    そのように一般的な(と言うのか?)臨死体験時はたいてい心停止しています。
    いっぽうアレグザンダー氏は脳が機能停止していたものの、まだ心臓が動いている状態だったので魂はしばらく肉体と繋がっていたのでしょう。

    また「自我がない」とは彼の体験の最も特殊な点です。
    魂は死の直後、それまで生きていた人生の記憶はもちろん自我もそのまま持っています。だから直前の人生を振り返ることができます。

    私もそうでした。
    死の直後には自分がそれまで誰だったかの認識がありましたし、生きていた時によく着ていた衣服、人間としての立ち姿で立っていました。そのまま直前の人生記憶を一気に振り返ったと覚えています。

    【詳細】 死の後、数日間の話

    臨死体験者のほとんどが私と同じように自我を保ち、人生の振り返りをしているようです。

    ところがアレグザンダー氏は臨死体験中ずっと自我を失っていて、人生の振り返りもしなかったそう。そのような体験は非常にレアケースです。
    本人も後に臨死体験の書物を読み漁って自分と同じ体験が皆無だと知り、自分の体験を「欠陥のある臨死体験」と呼んでいます。

    私が似た話として唯一知っているのは、「魂が抜けた」時のことを語った青森のリンゴ農家さんの体験談かな? 臨死体験ではなく健康に生きている間の夢です。
    彼はその夢の中で、人としての感情も自我も失った“空っぽの物質”として体を離れたとか。それを臨死体験と混同した彼は「死んでしまったら感情も失うのか。死は虚しい」と思ったそうです。

    でも多くの人の臨死体験はそれとは正反対。
    むしろ魂は物質としての感覚を体に置いて去るため、圧倒的な感情だけを携えて昇ることになります。私もそうでした。言語記憶など物的な記憶は失いましたが、感情を伴う場面の記憶や人格だけはそのまま持って行きました。

    この違いは何だろう? ――と考えると、心臓が機能しているか・停止しているかではないかと思います。

    魂は肉体と繋がっているうちは肉体の制限に縛られます。たとえば麻酔で意識がブラックアウトするのは、肉体と完全に繋がっていて肉体の機能が全てだから。

    おそらくアレグザンダー氏はその時にまだ心臓が動いていたために肉体と繋がり、半ば肉体の制限を受けながら臨死体験することになったのではないでしょうか。

    それは瞑想して悟りを目指す仏僧にも近い状態と言えます。
    「悟りを得た」と語る僧たちが自我を否定するのは、完全に魂だけとなった臨死を(その時の人生で)体験していないせいかもしれません。

    光に迎えられゲートを通る


    泥沼の中で永遠に思える時を過ごしたアレグザンダー氏。やがて周囲に死臭を感じ始めて違和感が耐えがたいものとなり(たぶんこのとき彼の肉体は死に近付いていた)、アレグザンダー氏の意識はパニックを起こしかけたといいます。
    「ここから出なければ」との焦燥感にかられ自問していたとき、上方から“お迎え”が下りてきたとか。

     闇の中から何かの姿が現れた。ゆったりと回転しながら、金色がかった絹糸のような白い光を燦々と放射している。光に照らし出され、周りの闇が崩壊し始めた。
     初めて聞く旋律も聞こえてきた。それは“生きた”音色だった。どんな音楽もかなわないほど豊かで美しい、妙なる調べ。…
    他の体験者の話でもよく“お迎え”は光の姿で表現されます。
    体験する人の文化によって身内だったり、天使だったり、神様だったりとバリエーションは異なりますが、輝く存在に迎えられたとの共通項があります。
    天界の音楽について話す人も多いですね。ただしお迎えの段階で聴くのではなく、死後世界へ行った後に「響いていた」と話す人が多かったと思います。

     やがて光の真ん中に、別の何かが出現してきた。それを見極めようと、意識を集中させる。そこに見えたのは、開いたすき間だった。ゆるゆると回転している光そのものを通して、私はその“向こう側”を見ていたのだ。
     そのことに気づいたとたんに、私は上昇し始めた。猛烈なスピードだった。ヒュッと音を立てて開口部をくぐり抜けると、見たこともない別世界が広がっていた。
    これは臨死体験者たちがよく語る「暗いトンネルを通った先に広がる光の世界」だと思います。

    古い映画ですが『ゴースト』で表現されたお迎えのシーン、臨死体験者たちによれば正しい再現だそうです。
    ghost.png
    引用元:死後の世界へ行く前の最後のキス|ゴーストエンディングシーン | Ghost - New York no maboroshi | 映画シーン

    (ちなみにこの『ゴースト』では、友人に嘘をつき陥れ殺害した者が死んだ直後に“地から湧いた影”に捕まり、地の底へ引きずり込まれるシーンが描かれています。霊感のある人によればそちらも正確な表現だそうです)

    もしかしたらアレグザンダー氏が語る「ミミズの目の世界」も、他の体験者が「暗いトンネル」と呼ぶ彼岸への道のことを表していたのかもしれません。

    なお私は前回の死後すぐに体を離れ、いつの間にか上も下も青空が続く場所(中間生)にいたのでお迎えはありませんでした。それに暗いトンネルを通った記憶もありません。通ったとしても一瞬で過ぎてしまったか?
    ニュートン氏の被験者たちの話によれば、転生が多く行き来に慣れた魂には案内の必要がないのでお迎えはなく、自ら猛スピードで向こう側へ行くのだそうです。
    どうやら私は行き来に慣れた魂だったようです。


    懐かしい天界


    ゲートを通ったアレグザンダー氏は、美しい田園風景の上を飛びます。

    晴れた空のもと緑の大地(らしき景色)が続き、女性や子供たちがたわむれている様子を眺めた。
    空にはきらきらと輝く光の球が飛んでいた。その光は次元の高い魂たちで、地上で天使と呼ばれるような存在だった……。

    この上なく美しく夢のような世界だが、現実よりも現実らしい世界だったといいます。
    現実感について引用します。

     …ひとつだけはっきりしていたのは、突然身を置くことになったその場所がまぎれもない現実であることだった。
     “現実(リアル)”という抽象的な単語では、説明しようとしている内容を伝えることができないのをもどかしく思う。夏のある日に映画を観に行った子どもを想像していただきたい。映画は面白く、夢中で観続けた。上映が終わり映画館の外へ出ると、明るい陽射しのほっとする世界に引き戻される。太陽の熱や風の心地よさを感じながら、こんなに気持ちのいい日を薄暗いところに籠もって過ごしたとは、なんてもったいないことをしてしまったのだろう、と思ってしまう。
     その気持ちを一千倍にしたものと考えてもらえばいいだろう。だがそれでも、私がそこで感じた現実感にはとうてい及ばないのだ。
    私もこの感覚が分かる気がします。
    前回死んだ際の映像を見たときです。様々に心に浮かんでは消えていく夢のような空想イメージから、“カチリ”とチャンネルが切り替わって現実を見せられた感覚でした。
    その空想からリアルへ切り替わる感覚は体験者にしか分からないと思います。
    だから他の人に「あれは空想とは違う。リアルな体験だった」と言っても伝わりづらいでしょう。


    真実のメッセージ


    さてその後、アレグザンダー氏は美しい女性が隣にいることに気付きます。
    この女性は重要な役割を持つ人物ですが、ネタバレになるためここでは伏せておきます。

    女性は真実をアレグザンダー氏へ伝えました。

    「あなたは永遠に、深く愛されています」
    「恐れるようなことは何ひとつありません」
    「あなたのすることには、ひとつも間違いはありません」
    このメッセージは私が受けたメッセージと完全に同じ。
    地上の英語から日本語に翻訳してもほぼ同じ表現になったことは驚きです。

    また、言語ではなく心に直接メッセージが届いたとの話も私の体験と同じでした。

    コアの世界


    それからアレグザンダー氏は女性の案内で“全宇宙の源”であるコアの世界へ赴きました。

    漆黒の闇でありながら光で溢れた神秘的な世界だったそうです。
    その場で全知全能の神に等しい“根源”と同調し、全ての疑問について回答を得たとのこと。

    ……難しい話で曲解する人が多いだろうから詳細引用は省きます。

    彼の話を総合すると、おそらくインド思想における根源、「ブラフマン」に触れる次元だったのではないか? と思います。
    キリスト教徒としては「全知全能の神」と表現するしかないでしょうが、そのような支配的な神とは異なりますね。

    ここで彼は全ての魂がブラフマンに相当する根源で繋がっていることを知ります。
    東洋文化圏で分かりやすく表現するなら、魂一つ一つが「仏性」を持っているということです。
    だから全ての魂が見捨てられることは決してなく、永遠に愛されていると理解しました。

    この箇所は真実だと言えますが、個性や自我の否定ではないことの説明が欠けています。
    それで私は言葉足らずだと言っています。
    詐欺師たちはこの言葉足らずを悪用し、「自我を持つことはエゴイズム。個性は悪! 今すぐ自我を捨ててビックブラザーに従うべき!」と叫び全体主義へ誘導するでしょう。

    個性は悪ではないので棄てる必要はありません。
    魂は根源から生れ出た時点で個性を持ち、数多の転生を繰り返しながら人格個性を深め、経験の全てを携えたまま世界の終わりまで存在し続けます。
    それは自然なことでありエゴイズムでも我がままでもありません。

    大事なことだから繰り返します。
    魂は個々で個性を持ちながら、同時に全でもあります。各個に根源を持つからです。
    その意味で魂は始めから自由なわけです。
    だからあえて我がままに振る舞って、他者から自由を奪い財産を盗み取る必要もありません。

    思いやりを持ったり、道徳的に振る舞った結果「地獄に堕ちる」ことは決してありませんから、与えることに怯えなくても大丈夫です。
    むしろ自由を言い訳にした強奪、嘘、破壊活動に明け暮れた人は蟲毒地獄を永く味わうでしょう。


    肉体へ戻る


    コアを旅した後のアレグザンダー氏はまた美しい田園風景を通り、再び「ミミズの目の世界」と呼ぶ低い次元へ戻っていきます。
    それが肉体へ帰るビジョンだったようです。

    肉体へ戻る前、彼は「嫌だ! ここを離れたくない」と強烈に思ったそうです。
    当然の感覚でしょう。肉体は低い次元で苦痛ばかり。
    肉体に繋がり閉じ込められることは恐怖です。
    私も日ごろ考えないようにしていますが、肉体に閉じ込められている現状を考えるとパニックになりそうです。アレグザンダー氏が「ミミズの目の世界」でパニックを起こしかけたのと同じく。

    それでもアレグザンダー氏は肉体次元へ戻って来ました。
    そして、現世の家族と再会し幸福をかみしめています。

    どうして我々はこの辛いことばかりの肉体次元に生まれて来るのか。一度死んでも戻って来る人がいるのか?
    アレグザンダー氏が蘇生後に感じている幸福にヒントがありそうですね。


    その他、メッセージまとめ


    引用と解説が長くなり過ぎたのでこの辺りでまとめます。

    彼の得た真理を箇条書きにすると以下の通り。

    ・現実として死後世界は存在する
    ・全ての魂は愛され、許されている(神から見捨てられている魂はない)
    ・神とは根源のこと。根源と同じものは我々の中にもある
    ・宇宙は多数あり、その全ての宇宙に愛がある
    ・全宇宙で言えば善は圧倒的に優勢、悪はほんの僅か
    ・地球は善悪が混在していて悪が影響力を持てる、しかし地球でも善が優勢

    この素晴らしい話を読むだけで心が晴れ晴れし、癒されていくのを感じます。
    辛い現実のバックには善に満ちた宇宙が広がっているのだと思えば、生きていくことにも希望が持てます。

    ただ何度も書きますが、アレグザンダー氏の話は体験したままの記録なので言葉足らずだと思います。現世に照らすと誤解されがちな表現もあります。
    全体主義を助長しかねない表現はやむを得なかったとしても。
    悪事を行った人も死後許されるかのような表現はまずいなと思います。次項へ続く。

    気になった点について苦言


    『プルーフ・オブ・ヘブン』は死後世界の存在証明として科学的な意義の高い本ですが、それ以上にアレグザンダー氏が得た真理、“向こう側”から伝えられたメッセージが重要な意味を持つと言えます。
    しかしその真理の表現が不足しているために曲解の危険があると感じましたので、申し訳ないけど苦言を呈しておきます。

    悪事が許されるかのような表現


    アレグザンダー氏は悪事を行った人が死後どうなるか書かなかったのですが、その結果として
    「(魂は本質的に許容されているので)悪事も許され、悪人も死ねば素晴らしい天国へ行く」
    かのような表現となった点、残念でした。

    たぶんアレグザンダー氏自身が善人であったため、悪事を繰り返す魂の次元が感知できなかったのかもしれません。

    でも実際には悪事が無条件で許されることになるなどあり得ないので、「どんな蛮行しても死んだらチャラだ~♪」などと都合良く解釈されませんように。

    他の多くの体験者が語るところによれば、生前悪行ざんまいだった魂は、死後すぐに“地獄”のような次元へ引きずり込まれるといいます。
    神様が罰として地獄行きを決定するのではなく、どんな魂でもその“状態”に近い次元へ吸い寄せられていくだけです。

    引き寄せ法則の勘違い


    最も気になったのは、アレグザンダー氏が
    「思考が現実になる。思考が全て」
    と述べていた点。
    ここはやはり現代の思想の影響を受けたのか? 勘違いだと思います。
    すでに否定されている量子力学の前世紀的な誤りをまだ信じているところがあるようです。

    死後世界ではイメージしたものが具現化するために「思考が全て」に見えるかもしれません。しかし魂はその状態にふさわしい次元にしか行けず、状態の範囲で可能なイメージしか思い浮かべることができないはずです。
    そして魂の“状態”は、行いだけでしか変化しません。
    だから真相は「行いが全て」ということになります。

    もちろんその行いの前段として思考があるため、「思考が始まり」とは正しい表現なのかもしれない。でも少なくとも、嘘を百回唱えるだけで現実を書き変えることは絶対できません。

    ヘミシンクはどうかと思う


    懸念を付け足しますとアレグザンダー氏がヘミシンクを読者に奨めていることもどうかと思います。
    人類は唯物思想カルトを捨て正常な道徳心を取り戻すため、「あの世」の実在を知る必要があります。ですが、ヘミシンクという不自然な技術を使ってまで死後世界に飛ぶ必要はないでしょう。

    脳の障害がどうして生じるのか、現代医学ではまだ分かっていないことが多いです。
    脳波に手を加えるヘミシンクなど医師が安易に奨めていいものではないと思います。

    まあ、自分の脳に不具合が生じたとしても自己責任で割り切れる人は構いませんけどね。私はおススメしません。
    (ヘミシンクは絶対安全だと主張する伝道師は多くいます。でもサプリメントでさえアレルギーを発症する人はゼロではない。体に影響を与えるもので、誰にとっても安全と言えるものは存在しないでしょう。さらにサプリメント等と違ってヘミシンクが問題なのは、体調不良を起こした際に適切な治療が受けられる可能性がないこと。何しろヘミシンクは100%安全だということにされていますから不具合の情報も上げられていないはずです)

    死後世界の実在は死んだら分かること。
    ただ自暴自棄に生きることのないよう、現世の背景に広がる無限の世界を信じることができればそれでいい。
    そのために時々体験者がメッセージを伝える必要があるのでは? と思います。

    この本が価値のある体験記であることは否定しようがありません。
    それなのにケチをつけて申し訳ないのですが、読者様は誤った方向へ連れて行かれないようにスピリチュアルを悪用する周辺の詐欺師にはご注意ください。


    体験者の使命


    最後に、体験者として心に響いた著者の言葉を引用しておきます。

     人類はいま、重要な局面を迎えていると私は考えている。われわれは脳が(左脳の分析的な部分も含めて)完全に機能している状態で、"この世界に生を受けている間"に、より広大な知識を取り戻す必要がある。科学は――私が人生の大半を捧げてきた科学は――あちら側の世界で気づかされたことに矛盾しない。だが多くの人々、じつに多くの人々が矛盾すると思い込んでいる。唯物論の世界観に忠実な科学界の一部が、科学と霊的側面とは共存し得ないと繰り返し主張し続けてきたからである。   
     それは間違っている。この本を上梓する目的は、古代からの最終的に基本的な事実を広く知ってもらうことである。…
     そこで体験した無私の愛と無条件の受容は、唯一無二の無上の発見だった。その他にも気づかされたことはあり、それらをひもとくのは簡単な作業ではないかもしれない。それでも自分に託された大切な任務はこのきわめて基本的なメッセージを伝えることであると、痛切に思うのである。

    私も同じ気持ちです。きっと自分にも似た使命があって体験したのだろうと思います。
    私に託された使命はもっと現世寄りで、「道徳心を伝えること」だったり「現世から死後世界に続く精神愛・絆を伝えること」だったりします。
    このためスピリチュアル話にこだわっていないのですが、伝えたいことはアレグザンダー氏と同じです。むしろ現世における事実だからこそ伝わること、すぐに実行できることもあるのではと考えています。

    私が正月休みにこの本を読むことになったのは使命を思い出すためかもしれません。
    (無力感に囚われて撤退しようとしていたからですね…)
    タイムリミットまでこの気持ちを忘れず、歩みを止めないようにしたいです。
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