心理テストや体、脳のことなど

    「魂の性別と体の性別」へ追記。心が主なのに制度にこだわるのは矛盾では?

    “復帰した”と言いながらなかなか更新できず、申し訳ないです。

    本当は「昨夜の『さよならマエストロ』感動した!」とかドラマの感想を書きたかったのですが、去年末テレビドラマで起きた悲劇のことなど色々考えてしまって褒めることに躊躇してしまいます。

    360度、罠ばかりの現代。
    褒めたコンテンツの裏に謀略があることもしばしば。
    素直に褒めることもしづらくなってしまって、息苦しい時代です。
    (まあ『マエストロ』に謀略があるとは思えませんが…)

    過去に私が書いてきた記事も現代の社会事象に照らすと問題が多いと感じています。
    特に差別されている人々を守りたくて書いた記事は、利用されがち。
    どちらかと言えば私は差別を嫌悪する者※ですから、差別されている側へ過剰に味方してしまう傾向がありました。無自覚に反社の主張を後押しするような記事を書いてきたことを反省いたします。

    ※差別とは:自らカルト思想にはまって有害活動をしている反社集団への批判を除く。そもそもカルト集団への批判はその有害性に対する批判であって、人種・民族・性別など生まれつきの属性に対する「差別」とは違う。


    たとえば最近では性的マイノリティに関する過激な主張が社会問題となっています。
    それゆえに反発心から、性的マイノリティへの差別が日に日に高まっている現状には心を痛めています。
    弱者の権利を守ると装いながら当事者を不利に追い込む……。つくづく害悪でしかない活動家集団です。

    過去に私も「性別の違和感」について記事を書いていますが、利用される可能性を感じたので少し追記しました。

    【改稿】 魂の性別と、体の性別

    魂にとって肉体の性別などあまり重要ではありません。これは真実。
    しかし地上では肉体があり、社会的な都合での区分けがある。こちらも厳然たる真実です。

    欧米のような性的マイノリティへの弾圧・殺人などは絶対に許されませんし、日本でもできるだけ当事者の権利が守られるべきだと思います。でも他人を傷付けたり社会を破壊する権利まで認めるわけにはいかないでしょう。

    自分たちの都合のためだけに他人が、社会が犠牲となれ? それは我がままが過ぎます。
    (当事者たちは本当はこんなことを主張していませんが。活動家が代弁と称して主張している)

    魂というものの存在を信じればなおのこと、肉体次元での不都合ばかりに目を向けて不平を言い続けるのは違うと分かるはず。
    苦しいので外界を変えたくなるのは分かりますが、現状からの学びもあることを忘れてはなりません。

    他の性別からの視点を学ぶために不慣れな性を選んで生まれてくることもあります。
    あるいはマイノリティとしての人生を経験するために生まれたのかもしれません。
    少しは前向きに今の形に生まれた意味を考えてもいいのではないでしょうか。何しろ自分で選んだ肉体(今世の目的・魂の状態に合わせて選ばれる)なのですから。
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