三国志、歴史|隆中譚

    転生物、一般的な「孔明の生まれ変わり」像へマジレス(感想)

    〔3/29 追記あり〕

    今日は仕事が休みでした。
    冷たい春の長雨に読書したい気分となっていましたが、本を開くとまたPCの前に座る気が失せますので誘惑を抑えまして。

    久しぶりにブログで軽い雑談でも書くことにします。

    先日、読者様よりこんな小説をご紹介いただきました。カクヨムの歴史ジャンル人気作品だそうです。

     ⇒三界SixRoad〜歴史上もっとも知略に長けた俺は青い春をエンジョイするため三界六道を制覇する〜

    「現代日本に高校生として生きている孔明!の設定。吉野さんの状況に近いと思います。いかがですか?」
    とのことでした。
    なるほど『パリピ孔明』のようなタイムスリップではなくてちゃんと転生している設定の小説なんですね。冒頭だけ読ませていただきました。

    >吉野さんの状況に近い

    いや、全然違うけど。笑
    冒頭は確かに私がかつて書いた小説『僕が見つけた前世』を思わせる展開ですね。
    主人公が地方の名家出身?などの設定、自分の物語が伝わって影響を与えていたのだとしたら面白いな…などと妄想しましたが、ご存知のわけないか。

    一般読者としての感想


    一般の小説読者として感想を述べますと、こちらの作品はエンタメに徹していること素晴らしいなと思います。

    会話がメインのテンポ良い文体、マンガ的なスピード感ある展開(転生などファンタジー背景についてごちゃごちゃ説明しない)。ギャグ多め。
    王道のライトノベルという雰囲気です。

    実は私は昔からあまり投稿小説を読んでこなかったので、会話文が多くなると話が入って来なくなる症状を起こしてしまい……ついつい読み飛ばしてしまう癖があります。
    なのでこちらの作品も冒頭以降、ほとんど話を追えなくなってしまいました。すみません。
    ただ悪意なく楽しく描かれていることが分かり好感が持てました。

    私も三国志フィクションの何もかもに目くじら立てているわけではなく、ただ歴史改変プロパガンダ(善悪反転・人類の精神書き変え)の真っ黒な目的を読み取ったとき怒っているだけです。
    こちらの作品も、厳格な歴史ファンが読めば怒りそうな歴史人物いじりのおふざけが多々ありますが、江戸時代の作家のお遊びに似て楽しむ目的しか感じられない。
    むしろこのような悪い目的のない遊戯エンタメは、伝統的な『三国演義』の精神に近いと言えるでしょう。

    三国志以外のことを言えば、私はこの作品に漂う昭和の雰囲気をいいなと思いました。
    紅一点の女性キャラが
    「ちょっとー! 何なのよ!」
    などと昭和のマンガキャラ喋りをするところが最もツボ。
    食パンをくわえて走って登校しそうなキャラですね。腰に手を当て不良たちを叱りつける可愛い女子。懐かしいものを感じます。
    (…と言っても、私でさえリアルタイムではこういう女の子が出てくるマンガを読んでいませんが。私より年上世代の雰囲気)

    こういうレトロなキャラ設定もある意味、伝統的で好感が持てますね。
    この作品に出てくるようなキャラは現実でもマンガの中でも絶滅していますが、ネット空間の中では生き残っていることに感動を覚えます。

    あとこの作者さん、ライトノベル風に書いているけど歴史フィクションに関してかなり知識をお持ちだと思います。
    きっと古典の『三国演義』や『水滸伝』を熟読されたことがあるのでしょう。

    お笑い抜きで真面目に書かれている箇所、たとえば『第6話 五丈原の真相』などは「ちゃんとしている」印象です。これはあくまでも『演義』(フィクション)の話でしょうが。
    私は『演義』を通読したことがないので、こんなふうに描かれているのかと知り勉強になりました。

    『倒逆法術※』
    ※術を反転させて無効化する究極法術
    ふーん。そんな法術があるんですか?
    その法術、ぜひ現代で使いたいですね。
    目下世界を反転している悪魔呪術に再反転の法術をかけ、信者を一瞬で絶滅させたいと真剣に思う。

    ――話がそれました。小説感想へ戻します。

    この先は『水滸伝』ふうの話になっていきそうな感じ。(水滸伝も読んだことがないからよく知らないが、たぶん)
    とにかく伝統的なファンタジーを求めている方にお勧めします。

    私など『三国演義』はおろか『水滸伝』すら読んだことがありませんから、演義文化が全く体に染みていないのです。
    だから不器用に、大真面目な史実小説を書くことしかできなくて。
    自分の小説が投稿サイトに場違いなことは最初から知っていましたが、案の定全く人気が得られない。

    真に文化を守ってくださるのは、この方のような在野の伝統継承者たちなのでしょう。頼もしい存在です。

    リアルからフィクションへ


    せっかくなので冒頭の設定に対する真面目な突っ込み=リアルからのマジレスを書いておきます。

    まあ私の記憶が事実何であるのか分かりませんので、“リアル”と言って良いか分かりませんが。
    少なくとも現実的な前世らしい記憶がある者、という意味です。(初来訪の方はプロフィールへ

    上作品の作者さんに現実を描くつもりは全くないことを百も承知で、せっかく目に留まった文章だからネタとして使わせていただくだけです。
    作品批判のつもりは微塵もありません。もし作者さんがここを見ることがあったらどうか気を悪くしないでください。

    取り柄がない…とは言い難かった高校時代



    第1話 プロローグ』より引用。
    何をとっても中の下レベルの三國 亮は人生をあきらめた感が満載の平凡な高校三年生。
     学校のレベルも中の下でその学校の成績も中の下、体力も人並み以下で運動は苦手。
    勇気もやる気も男気もない中途半端な男だから口喧嘩でさえも及び腰になる。
    手先が器用な訳でもなく、これといって取り柄がない。
    苦笑しました。私自身の高校時代を思い出して不思議な気持ちになりますね……。
    人生あきらめていたのは私も同じ。でもそれは経済的事情ゆえですが。
    運動は確かに苦手、口喧嘩も嫌いなので避けていました。しかし勉強だけは人並み以上にできたから「取り柄がない」とは言えなかったと思います。
    「お前はテッペン取れる」と言ってくれた担任教師の声が蘇ります。

     でも、わりと顔立ちだけは良いのだが、それもかえって中途半端さに拍車をかけている。
    笑いました、やはり『僕前』が影響を与えていますか?
    三國亮くんと同じで私も若い頃、わりと顔立ちが良いほうと言われていました。

    【過去語り】「美男美女は魂が劣っている」の嘘。魂は容姿をどのように選ぶか(私の体験談あり)

    でも「顔立ちが良いことが中途半端に拍車をかける」は、意味不明だなあ。何でも強みがあればいいんじゃないですか。芸能人になれば。
    失礼ながら、顔だけ良い芸能人はたくさんいると思います。それでも人生勝ち組と言えるでしょう、今の社会の基準だと。
    (私はその強みを利用して勝ち組になりたくなかったのです)

    真の普通人を知る



    だから学校生活は面白いはずがないし、まともな友達でさえ作れない。というより作ろうとしない。
    人間が平凡すぎて面白みがない。つまり人間力とか魅力といった類いの力をまったく備えていないと言っても過言ではないのかもしれない。
    クラブにも所属していないから、友達はおろか先輩も後輩もいない。当然だが、生まれて此の方、彼女なんかいる訳もない。
    私の高校時代はそこまで酷くないっす。笑

    「普通すぎて魅力がない」は言われたことがないなあ。
    実はフツーと言われることもあまりない※。「変わってる」とか「飽きない」はよく言われてきました。

    「意外とフツー」と言われるのは、すでに尋常ではないイメージが確立していてそのキャラと比較される場合でしょう。フィクションの孔明の異常さに比べたら史実はフツー。当たり前。しかし比較対象が常識的な人々の平均で、単体で存在している場面なら、私は「ちょっと変わってて面白い」らしいです…。(友人たち談)

    ずっと普通らしさ・平凡を目標にしてきたが、「平凡」って何だろうと悩む今日この頃です。
    平凡とは、求めれば遠のく霞のようなものだと感じています。平凡に憧れていただけのような気がする。最近ようやく気付きました。

     自分からわざわざ友達を作る気になれなかったのは、何の魅力も取り柄もない自分に自信が持てないからなのか? 
    同年代の奴らがズル賢く見えてしまったからなのか?
    それとも悪いのは自分ではなくて、周りの環境が悪いから?自分を認めようとしない周りのバカな奴等が悪いから?

     理由は一つではないが、躊躇するうちにいつの間にか“友達”という存在に何の価値も見いだせなくなっていたから……。
    というより、自分に都合の良い解釈をしていたからだろう。
    自分が負の殻を破って前へ出ようとすることよりも、都合の良い理由を探して自分を正統化する。
    虚しさから逃げて、自分を正統化することで自我をギリギリ支えようとしていた。

    〔引用者注:「正統化」ではなく「正当化」が正しいですね。誰にでもある誤変換ですが、引用した手前訂正させていただきました〕

    「俺ってダメ過ぎて逆に特殊なのかな? いや、俺のことをあいつ等なんかに理解出来る訳がない。 俺は特別なんだよ!」
    うわー。こういう人、苦手。
    そしてこのマインド、私には不可解。

    しかし、なるほど……これぞ平均的な「THE普通人」の内心なのか、と知りました。
    だから私は多くの人と絶望的に話が嚙み合わないのか。

    価値基準が「普通」なのですよ。
    “友達多い → いいこと(正)
    社会的地位が高い → いいこと(正)
    金持ちである → いいこと(正)”
    その逆は(負)と定義する。
    それは大声で宣伝されているステレオタイプな価値基準に過ぎないのに、そんな宣伝を鵜呑みにして疑わないことが「普通」である所以なのだと思います。

    一般社会でプチ成功している人にはむしろ、こちらのタイプのほうが多い気がします。
    勝ち組となれば得意となり。
    負け組となれば自己正当化で世間を恨む。
    見た目は違っても価値観はごくごく平凡、平均値。

    その価値基準で生きられない人が「特殊」とか、「変人」と呼ばれるのかもしれません。

    「お前は特別」と囁く霊は、悪霊です


    「勉強が出来れば、そこそこ有名な大学に進学してバラ色のキャンパスライフが待っていて、 ア~ンド甘酸っぱい青春を謳歌出来るのにな―」
    なんて努力もしないのに溜め息まじりの独り言を口にする毎日。
    そうなんですか?
    だったら私の青春は、ぶっちぎりで超絶バラ色だったはずですがねえ。笑

    …冗談です。

    勉強ができるだけで人生バラ色だったら私は苦労知らずですよ。現実そんな甘くありません。

    オーソドックスな記憶思い出しシーン



    『そんなことはない………知らなかったのかい? .........俺は特別なんだよ』
    爆笑。
    「俺は特別」? そんなこと、本人が思うことは絶対にありません。

    どれほど特殊な人生を送ったとしても「特別感」を持つことは永久にありませんね。
    ガイド霊(高次霊)も、「立派だった」と行動を褒めることはありますが「お前は特別」などとは言いません。

    もしも「お前は特別」などと耳元で囁く霊がいたら、それは悪霊なので注意してくださいませ。

    (追記。現実に“モブ”という分類があるのだとすれば、「有名人だから特別」と考える価値基準こそ万年モブの要因。自分で自分をモブにしているのだね。その一般人すぎる価値観を捨てないとオンリーワンにはなれないだろう)

    その羽扇を手に取った瞬間、亮に異変が起きる。頭の中に閃光が走るような衝撃をうけ、そのショックで気を失ってしまう。  
     亮の意識の中で前世の記憶が蘇る。
    羽扇なんか持ってないよ、という演義への突っ込みは置いて)
    やっぱり気を失うんだな、と思って笑いました。
    記憶を思い出す人が意識を喪失するのはお約束。
    フィクションだったら王道なシーンですが、現実でもこのようなイメージを持ち、演じる人が多いのは辟易します。

    フィクションならではの覚醒


    (そうだった.........)
    (.........俺は諸葛亮だったんだ!)
    亮の精神に宿っていた前世の記憶、そして眠っていた自我意識そのものが徐々に覚醒しだす。
    『そうだよ......やっぱり俺は特別なんだ』
    え、いきなり名前から思い出す!? そこから覚醒して人格変わる??
    それは憑依と呼ぶんですよ。

    【参考】前世記憶という勘違いに注意。人格が変わったら憑依

    あいにく現実ではこうはいきません。
    無名で終わった人生も、有名となった人生もフラットに同等の人生と感じられるため、「有名な人生だけが特別」という感覚は持たない。現世に影響の強い人生だけ強く思い出される場合はある)

    そもそも人物名を知らなければ、「俺は〇〇だったんだ!」とはなりません。
    (私の場合は前世の言語記憶がありませんので名前を思い出しませんでした。現実でもその人物名を聞いたことはありませんでした。たとえ聞いたことがあったとしても、全然キャラのイメージが異なりますので自分と結び付けてはいないでしょう)

    残念ながら“覚醒”もしません。
    始めから自分のスペックは変わりませんから。

    だから現実はつまんなくて人気が出ませんね。まあいいか。

    まとめ


    フィクションへ本気の突っ込み、失礼しました。
    現実の前世記憶がこうだと思わないでくださいと言いたかっただけです。

    真面目に感想をまとめておきます。

    「普通」や「平凡」とは何か、改めて考えさせられたことがこの小説と出会えて良かったと思う点です。

    この小説の主人公と比較してみて、高校生だった頃の私は「特別」ではないが「特殊」ではあったのだなと感じます。

    特別と特殊は区別しなければなりません。
    「自分は特別」と自惚れることは間違っていますが、
    「自分は平凡」と思い込むのも同じくらい間違っていたと今は思います。

    平凡という言葉に救われ、癒されてきた人生でした。そして長いこと平凡というマヤカシにしがみ付きました。それだけ傷が深く恐れが強かったのだと言えます。
    でも死ぬ前に自虐史観から卒業しなければなりません。
    反転されたこの世に“倒逆法術”をかけるために。
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