2016
Jan
18
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人生とは芝居の舞台
ニュートン氏の本よりレポです。
メモして考え込みながら、感想を書きながらの読書のためいっこうに進みません。まだ50%です。すみません。それだけ面白いということです。私は、面白い本では読書が遅くなるタイプです。
この本を読んでいると自信が湧いてきます。
自分の思っていたことを裏付けてくれるからです。それと、次第にスピリット世界を思い出しているからかもしれません。
この本をご紹介してくださった方に心から感謝です。
特に自分の感覚が裏付けられて嬉しかったのは、第九章・ケース21の被験者による、
「この世は一つの大きな芝居の舞台」
という言葉です。
スピリチュアル本には「修行の場」や「学校」など、地上をたとえる様々な表現が飛び交っていますが、私は自分の転生記憶全体を眺め
「この世は演劇の舞台。私たちは霊界の観客を前に、即興劇を演じている役者」
だと解釈していました。
何故なら我々はグループ内の魂同士で、それぞれの役割を交換し合って劇を演じていたことが分かったからです。
例として分かりやすいのは、私の記憶一覧の9と1です。
9では私が国家元首である少年。ラウス・ロウ(仮名)は近衛的な立場です。
ところが1ではこの立場が逆転して、私が彼の家臣となり、彼は国家元首となっています。
それから1の人生において9の私と似た運命を負うことになったのが、当時の少年皇帝です。この不思議な運命の「交換」を裏付ける事実に、当時の少年皇帝と私の前世は、同じ年に生まれ死んだ年まで同じという奇妙過ぎる一致があります。これは偶然ではないでしょう。
(ただし少年皇帝と私の縁は遠い気がします。皇帝はニュートンが言うところの「隣近所の学習グループ」に属しているはずですが、自分とは直接に親しい仲ではないと思います)
もう少し詳しい説明
こうして役柄は交換されて人生という劇が演じられます。
ただ、役が変わっても俳優の性格はアイデンティティとして固定されたままなので、同じ役でも結果(ストーリー)が全く異なります。
たとえば独裁者の立場が私に与えられた場合、自分の欲望や地位を守るためだけに、無辜の民を虐殺するとは考えにくいです。証拠に前世の最後はほとんど独裁的立場にあり、ティオンらと同じように傀儡を利用できる状況でしたが、私は彼らと同じ行動を選択していません。
このように、シナリオのない即興劇だからこそ俳優によってストーリーが変わります。
霊界の観客たちは、俳優の個性によって変わるストーリーを愉しむことができるでしょう。
それと面白いのは、転生を繰り返すほど同じ舞台に上がる俳優仲間たちは増えていくということです。
これはニュートンのレポートで裏付けられている通り、初等科から中等科へ進むにつれて、ソウルグループのメンバーが増えていくからです。他グループとの交流も少しずつ増えていきます。
言わば初期の芝居は「〇〇組」という限られた俳優陣だけで回していたのが、舞台数が増えるにつれて芸能界のつながりが広がるみたいなものでしょうか。
私のラスト公演となった1の人生では、メジャーな人だけでも数百名といった大舞台となりました。
いくつものグループの共同舞台だったのだと思います。
ここまで来るとストーリーも複雑化し、様々な俳優の視点から眺めることができるので観客には面白いのではないかな。演者だった自分にはいまいち分からないのですが、「地上ファン」の熱狂ぶりを見ているとたぶん霊界はもっと愉しんでいるのだろうなと想像します。
なお、この「人生は演劇」という解釈ですが、これは私の太陽が獅子座にあるゆえの見方なのかもしれません。(獅子座は人生を演劇にたとえる真の芸術家です)
上のケース21の被験者も芸術家です。彼も獅子座的な人生を送る人だったのかもしれない。
いずれにしても、この芝居・演劇を通して魂自身が研鑽し、カルマを回収していくというのは確かです。
演じることで俳優もスキルアップしていくのです。
だから、「人生は魂を磨くための修行」だったり「地上は学校」という解釈も正しいはずです。
メモして考え込みながら、感想を書きながらの読書のためいっこうに進みません。まだ50%です。すみません。それだけ面白いということです。私は、面白い本では読書が遅くなるタイプです。
この本を読んでいると自信が湧いてきます。
自分の思っていたことを裏付けてくれるからです。それと、次第にスピリット世界を思い出しているからかもしれません。
この本をご紹介してくださった方に心から感謝です。
特に自分の感覚が裏付けられて嬉しかったのは、第九章・ケース21の被験者による、
「この世は一つの大きな芝居の舞台」
という言葉です。
被験者 いいですか。この世は一つの大きな芝居の舞台なんです。私たちはみんなそれを知っています。
ニュートン あなたのグループはこのフィーリングで一つにまとまっているのですね。
被験者 そうです。われわれは自分たちを巨大な劇団に所属する俳優たちとみなしているんです。
スピリチュアル本には「修行の場」や「学校」など、地上をたとえる様々な表現が飛び交っていますが、私は自分の転生記憶全体を眺め
「この世は演劇の舞台。私たちは霊界の観客を前に、即興劇を演じている役者」
だと解釈していました。
何故なら我々はグループ内の魂同士で、それぞれの役割を交換し合って劇を演じていたことが分かったからです。
例として分かりやすいのは、私の記憶一覧の9と1です。
9では私が国家元首である少年。ラウス・ロウ(仮名)は近衛的な立場です。
ところが1ではこの立場が逆転して、私が彼の家臣となり、彼は国家元首となっています。
それから1の人生において9の私と似た運命を負うことになったのが、当時の少年皇帝です。この不思議な運命の「交換」を裏付ける事実に、当時の少年皇帝と私の前世は、同じ年に生まれ死んだ年まで同じという奇妙過ぎる一致があります。これは偶然ではないでしょう。
(ただし少年皇帝と私の縁は遠い気がします。皇帝はニュートンが言うところの「隣近所の学習グループ」に属しているはずですが、自分とは直接に親しい仲ではないと思います)
もう少し詳しい説明
こうして役柄は交換されて人生という劇が演じられます。
ただ、役が変わっても俳優の性格はアイデンティティとして固定されたままなので、同じ役でも結果(ストーリー)が全く異なります。
たとえば独裁者の立場が私に与えられた場合、自分の欲望や地位を守るためだけに、無辜の民を虐殺するとは考えにくいです。証拠に前世の最後はほとんど独裁的立場にあり、ティオンらと同じように傀儡を利用できる状況でしたが、私は彼らと同じ行動を選択していません。
このように、シナリオのない即興劇だからこそ俳優によってストーリーが変わります。
霊界の観客たちは、俳優の個性によって変わるストーリーを愉しむことができるでしょう。
それと面白いのは、転生を繰り返すほど同じ舞台に上がる俳優仲間たちは増えていくということです。
これはニュートンのレポートで裏付けられている通り、初等科から中等科へ進むにつれて、ソウルグループのメンバーが増えていくからです。他グループとの交流も少しずつ増えていきます。
言わば初期の芝居は「〇〇組」という限られた俳優陣だけで回していたのが、舞台数が増えるにつれて芸能界のつながりが広がるみたいなものでしょうか。
私のラスト公演となった1の人生では、メジャーな人だけでも数百名といった大舞台となりました。
いくつものグループの共同舞台だったのだと思います。
ここまで来るとストーリーも複雑化し、様々な俳優の視点から眺めることができるので観客には面白いのではないかな。演者だった自分にはいまいち分からないのですが、「地上ファン」の熱狂ぶりを見ているとたぶん霊界はもっと愉しんでいるのだろうなと想像します。
なお、この「人生は演劇」という解釈ですが、これは私の太陽が獅子座にあるゆえの見方なのかもしれません。(獅子座は人生を演劇にたとえる真の芸術家です)
上のケース21の被験者も芸術家です。彼も獅子座的な人生を送る人だったのかもしれない。
いずれにしても、この芝居・演劇を通して魂自身が研鑽し、カルマを回収していくというのは確かです。
演じることで俳優もスキルアップしていくのです。
だから、「人生は魂を磨くための修行」だったり「地上は学校」という解釈も正しいはずです。
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