我傍的、ここだけの話

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記憶、鮮明

先日、兄と久しぶりに長話をしていて私の子供の頃の話になった。
そこで夢みたいに思っていた自分の記憶が全てそのまま現実だったと知って驚いた。

うちはちょっと複雑な事情があり、兄の年齢は私と一回り離れている。
なのでつまり、私がボンヤリした意識しかない幼児だった頃、兄はしっかりと意識ある少年だったということになる。
だから私には夢と区別のつかない記憶も、兄にとっては生々しいリアルだ。

その兄が私の夢を裏付けてくれた。
裏付けられた記憶は、母親が親戚に囲まれて罵倒されているシーン。
母は親戚に罵られてずっと泣いていた、というもの。
兄によればそれは現実に起きたことだった。(兄は同席していなかったが偶然にその場の音声を聞くことが出来たという。実際、母は最初から最後まで泣き通しだったらしい)
どうやら幼い私はその残酷な“吊し上げ”の場に同席させられていたようだ。当然、幼児だったので言葉の意味は理解出来ないはずだったが、非常に汚い言葉を浴びせられているという印象があった。兄の記憶から確認すると、幼い私の理解は痛々しいほど正確だった。

ボンヤリした夢が、現実へ書き換えられていく。
これは衝撃的な体験だ。
正直、ショックでもあった。
これほど大人になってもまだ記憶が現実になる瞬間にはショックを受ける。
夢に過ぎないと思っていた“前世”のイメージが、現実の記録で裏付けられてしまった時と似た衝撃だ。(笑、本当に笑い話みたいだけど前世?も今世も記憶が裏付けられる時の衝撃はよく似ていて参る)。



ちなみに、なんでこの年齢になるまで兄の話を聞く機会がなかったのかと言うと、兄とは幼い頃に生き別れとなり再会したのは大人になってからであるため。
今、多忙な兄と話をする機会を得てようやく少しずつ聞いている状況。
自分の名前の由来さえ先日初めて知った。まったく、我が人生ながら異常だ。

(もちろん、身寄りがなくて一生自分の名前の由来が分からない人もいるので私は幸運なほうと思う。兄と再会出来て幸せだった)


余談


若かりし日に書いた処女作『我傍』では、主人公の幼少期を描く際、自分の生まれ育った家をモデルにした。
偶然にも同じ「貴族的な家柄」であり、「名家」であるという設定(と言うか歴史事実)があったので、似たような家だろうという考えに基づく。

しかし正直に言えば、若干、復讐のつもりもあった。
自分と家族が受けたあの行為。家という閉じられた世界で行われた犯罪を白日のもとに晒してやろうという気持ち。
裁判で発禁処分となった例の芥川賞作家と似たような目的だったかもしれない。

もちろん私の場合、それだけを全てとして小説を書いたわけではない。その目的は全体から見ればほんの一部。
それと自分ごとき素人の小説が世の中の片隅で公開されたからと言って、当然ながら何の問題も起きなかった。
ただやはり、良くない目的での執筆だったなと反省している。
あの頃はまだ自分の中で幼い日の傷が解決ついていなかったなと思う。

『little life』(あの君)ではお察しの通り、より現実的に幼少期の体験をモデルとして書いてしまった。
しかしこちらの小説を書いた頃は既にトラウマに解決ついていた。だから単純な素材と言える。

※なお、私は伯父に引き取られる予定でしたが現実には引き取られませんでした。小説は“IF”設定だと書いたのはこの意味です。小説を全て事実と誤解されると困ります。

 *

何を勘違いされるのか、自分の経験を素材として小説を書くと
「痛みを訴えて同情されたいんだ!」
などと批判する人がいる。

「幼い日の傷にこだわらないでください。その悩みを解決するには、こうすればいいんですよ」
等々…
ご親切にもアドバイスをくださる方がいたり。

主人公=著者だと思い込み、何もかも本当のことだと思ってしまわれる方もいます。
確かに処女作では主人公の気持ち=著者の気持ちだということで書きましたが、現代小説でエピソードの全てを現実として受け止められると非常に困ります。
(ケータイ小説か何かで「全て事実です」と言っている著者が多いので、小説とはそういうものしか存在しないと思われているのかもしれない)

ご心配いただけるのはありがたいことですが、それら全てにお応えするのも困難です。勘弁してください。


今は当たり前だがかなり年齢もいった大人ですので、全く引きずっていません。上のように事実を知れば未だに衝撃を受けるものの、実際は生まれ育ちなどはどうでも良いでしょう。幼い日の傷が深くても、大人になった今はどうにでも生きていけると私は考えています。(無論、私の場合はトラウマ解決するチャンスを与えられたからこう思えるのかもしれません。中にはどれだけ年を取っても越えられない方はいらっしゃいます)

仮に創作の素材としたとしても純粋なネタですから、ご心配なさらずに。
私に対してトラウマ解決のためのアドバイスは必要ありません。

*


今、もし現実の体験を素材に小説を書くとしたら、それは「自分の痛みを訴えたいから」ではない。
今現実にその苦しみのもとにいる人たちへ提供したいからです。

かつて自分を救ってくれた作家たち、人生を切り取って差し出してくれた作家たちと同じことをしたい。
遠い夢ではありますが、これが私の目指すところです。

【後記】
この記事を書いてから後に変わった心境 >>貴族的な家系(名家)についても反転。今の先祖は「汚いこと」をしていなかったという報告
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