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吉野圭のプライベートブログです。小説裏話、前世+占星術
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見下されることも、褒められることも同じ

ニュートン氏の本を読み、「自分はどうしてこういう境遇に生まれたのか」を考えつつ検索しているうちに差別が目について、前記事を書いてしまいました。(学歴差別について異議をとなえた記事。険悪だったため後に削除)
また重い記事ですみません。
自分のために差別に憤っているわけではないので、ご心配なさらずに。
小説もそうだけど、不幸な過去語りは他人(同じ境遇の若者たち)のために書きます。他人のためでなければ公開する意味がない。

自分のことは、今さらどうでもいいです。
私は自分で自分の人生を選んだことを知っているからです。

「自分で自分の人生を選んだ」とは、生まれる前もたぶんそうなのですが、今世で生まれて以降に意識してこうなったことをはっきり記憶しています。
自分語り小説でも書いた通り、幼い頃は
「バカと言われること」
が夢だったんですよ。笑。本気で。
幼い頃から「他の子と違う賢い子」扱いされ、幼稚園の先生でさえ「さん」付けで呼んでくる。そんな一線を引かれる状況が耐え難く、恐怖でたまらなかった。それで他の子たちと同じように、「ばぁか」と言われて頭を叩かれるような人間になりたいと強く願った。
要するに、皆の仲間になりたかったんです。「普通の子」扱いされて皆に混じり合い、親しくなりたかった。
振り返ってみれば、図々しい願いでした。

初めて「ばぁか」と言ってもらえた時はそれはそれは嬉しくて涙が出ましたが、その後は学歴のせいで本物の差別を受け、本心からの「バカ」という罵り言葉を投げつけられ嘲笑される立場になりました。
今は底辺扱いです。
自分より明らかに知識が下で、能力も下の人々から本気でバカにされる日々。
この通り、人は願った通りの人生を生きることになるのです。
こうなってみて自分の傲慢を思い知りました。
同時に多くの人間の心の汚さを知りました。

裏を返せば地位や能力でチヤホヤしてくるような人間も、他人をバカにする差別主義者と同じ人種です。
つまり同じ種類の人たちが、一方では力のありそうな相手にへつらいチヤホヤし、肩書のない人のことは嘲笑して踏みにじっているだけのこと。
かつての私(前世も幼い頃も)は無意識にそれが分かっていたからこそ、「賢い」などと褒められることが嫌でたまらなかったのだと思います。地位や能力だけに群がる人種の意識の低さ、心の汚さに生理的嫌悪を覚えていただけだったのです。決して自分自身のことを嫌っていたわけではなかった。


私の人生は、今の人生だけに限定したとしてもチヤホヤされるか・バカにされるかで両極端だったのですが、結局は裏返しにしただけで同じことでした。
どちらも差別主義者を相手にしていては幸せにはなれない。
だから、差別主義者の評価など完全無視して自分を貫くしかない。
それが分かっただけでも儲けものです。

しかしこんな差別する人だらけの世の中で、本気で差別せず公平に扱ってくれる人もいます。
透明な目で私を見て、能力でも肩書でもない本性のところで付き合ってくださる。
たとえば前世の王もその一人です。彼は能力ではなく本性のところで私を認めてくださった。まあ意外に思われるでしょうが。
現世でもパートナーや友人など、本性しか見ない人が数少ないけど存在してくれています。
そういう人たちに出会うと、この世の素晴らしさを感じて感動します。

奇跡的に澄みきった人が実在します。
だからこの世は素晴らしいし、生きていく価値があります。

私が受けている差別は、そんな人に出会ったとき心底から「有り難い」と思うために経験した差別なのだなと思います。
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