我傍的、ここだけの話

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現世に照準を合わせて生きる、の意味。転生記憶とは矛盾しない

前記事で「せっかく現世に生きているのだから現世に照準を合わせなければ、もったいない」と書きましたが、「前世云々」という話と矛盾していると思われるかもしれませんね。

だいたいの人が、三世(過去世・現世・来世)を信じることと、今の一瞬を大切に生きることとは相反すると思っている。
(だから「前世どうのと話す輩は今を大切にしていないのだ」と短絡的に決めつける)

永遠と一瞬は等しいのだということが、どうしても理解されない。

やはりどれだけ言葉を尽くしても無理なのか。徒労感を覚えます。

記憶能力を失くさなければ幸せになれない??


いつも言っているのですが、三世を眺めることは
「過去の罪悪感に囚われて過去に縛り付けられている」
ことではないし、
「来世の恐怖に怯える」
ことでもない。
まして、「今を大切にせず、現世放棄している」ことでもない。

三世の視点があるからこそ現世を大切に生きられるんですよ。
過去と未来があると知っているからこそ、今がなおさら大切に思えるんです。

と、言ってもほぼ理解されませんがね。

「あなたは過去と未来に囚われてる! 永遠なんか信じてるから、今を大切にできないのよ!」
「来世があると思うあなたは、今世をおろそかにしてる。過去や未来は棄てて今を大切にしなさい!!」
なんて批判が来る。
批判と言うより、条件反射の反発でしょうか。
いったいどのような事実をもって、「お前は今を大切にしていない」なんてことが言えるのか謎です。私の日常の何を知っているのか? おそらく私は、上の非難をする人たちより遥かに現世を大切に生きているはずですがね。

「前世も来世もないと思わなければ幸福にはなれない」と仰る人へ。
じゃあ、記憶能力を完全に失えば人間は100%幸福になれるのか? 
昨日のことも分からず、5分前のことも分からず生きるのが最も幸福なのか。
猫や犬でさえ飼い主の顔を記憶し、別れの辛さと今の大切さを知っているのに、人間は記憶力を失わなければ今の大切さが分からないとは。人間は猫よりバカだということではないか。

まあこれは極論だけど、記憶があるからといって過去に囚われているわけではない。
多くの人が生まれた時から今日までの記憶を抱えて生きているが、だからといって今日をおろそかにするわけではないでしょう。
今日という一日は二度とやって来ないと分かるから、今日を大切に生きられる。
それは記憶障害の人が今日を大切に生きられないというわけではなくて、感覚として今日は二度と来ない、今が大切であることが分かれば良いということです。

三世に続く時を思考できるかどうかは別として、ただ今を一所懸命に、真面目に生きればいいんですよ。
そのために生まれてきているんだから。


批判者は、現状として現世を大切にしていない人ばかりだった


私が何で怒っているのかと言うと、上の批判をする人ほど現実には目の前を大切に生きていないからです。

始めからスピリチュアルに興味がなく、現世の人生を懸命に生きている人が上のように言うなら構わないんですよ。
と言うか、そのような人は批判など送ってきませんがね。
彼らとはただアプローチが違うだけであって、「現世を大切に」という結論のところで価値観は食い違っていないのだと思います。

(たとえば前記事で書いた伊坂幸太郎の『モダンタイムス』に出てくる美人妻が、「死んだらいったいどこに行くんだ?」と夫に問われ、「死んだら分かるんじゃない」と答えます。現世の人生を懸命に生きている人たちとは、このスタンスの人たちのことです)

上のような批判を送って来るのは、意外に思われるでしょうが、むしろ宗教やスピリチュアルにはまっている人たちのほうです。

「永遠の命などないのだ。お前は、永遠でなければ不幸なのか?」
という批判をした人は、宗教にすがっていましたしね。

転生話を「妄想ファンタジー」と呼んで激しく否定するのは、風水または刹那的な新興宗教にはまっている人たちです。

それを考えると少なからず嫉妬もあって、わざわざ批判してくるのかもしれませんが。

宗教やセミナーに金を注ぎ、現実逃避しているのはあなた方のほうではないか? と思います。


現世を大切に生きる、とは


肝心の、「現世を大切に生きる」・「現世に照準を合わせる」とはどういうことか。
宗教などに走る人たちは、おそらくこのことを理解していない人が多いのではないでしょうか。

現世に照準を合わせるとは、一言で言えば
「現世を受け入れる」
ということです。

これは現世という制約のある世界で、自分の人生を生きるという意味になります。
(決して不運を受け入れるというだけの意味ではありません。もちろんそれも含みますが、不運に抗い新たな道を踏み出すこともまた人生です)

「自分の人生」とは、生まれる前に立てた自分だけの計画です。
オリジナルの計画なのですから、他の人と一緒の人生である必要はありません。

ボヘミアン的に生きようと決心した人は、それが「現世を大切に生きる」ことです。
狭い世界でプレッシャーに縛られながら生きることを選んだ人もいます。傍から見ると苦しそうだから、まるで人生を大切にしていないかのように見えますが、それもその人にとっては「現世を大切に生きている」ことになります。

要するに現世ルールの中で、一所懸命に自分なりに生きればいいんです。
宗教で苦しい修行なんてする必要ありません。
定型の「最善の人生」なんて存在しません。
普通に自分の人生を生きるだけで充分。誰の人生も必ず立派な修行です。


暴力を推奨する危険な教え


「今を大切に」と言われると、刹那的に生きることが正しいかのように思ってしまいがちです。
そう教えているテキストもあります。
でもそれは勘違いなので、鵜呑みにしないことです。

刹那的に生きるべし、という思想は、いずれ義務の放棄と欲望の追求に行き着きます。
辛いことからは逃げ回り、金持ちになってラクして生きたいとだけ望むようになる。
風水がその典型です。現代中国は転生思想がメジャーではなく、刹那的な人が多い。結果、恥ずかしげもなく風水で金や名誉を求めるし、道徳心のない国になってしまった。
(かつての中国には最高の道徳教育があったのに廃れてしまった。単なる道徳教育は無力だった。刹那的な思考には負けてしまうということでしょう)
他人に迷惑をかけても我がままに生きて良い、という今の隣国みたいになったら終わりです。


何度も喩えで使ったことがありますが、この世はオンラインゲームのようなもの。
戦闘ゲームもあれば、ファームを経営するほのぼのゲームもある。
どのゲームに参加するかは生まれる前に自分で選んできます。
せっかく独特のゲームに参加するのだから、「現実なんか嫌」と言っていないで制約も楽しんでしまえばいいのだと思います。
制約のないゲームなんて何も面白くないですよね?

勇んでログインしたけどやっぱり無理なら無理で、それで良し。
改めて他の人生を選び直すこともアリだと思います。
ただ宗教などに走る形で現実逃避しないでください。逃避のための宗教(麻薬も)は人生計画を歪めます。

宗教なんかに注ぐ金と暇があるなら目の前の人生を真面目に生きようよ、と思います。
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