我傍的、ここだけの話

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黙祷を捧ぐ。

 あれから一年。

 私は色々と思うことはありながら言葉を失っていました。



 すべて、“これから”と思います。

 命あること。

 今ここに存在すること、身近に居てくれる人をありがたく思いたい。


 それがどれだけの奇跡か。

 そしてこの奇跡だけ(ここに存在するだけ)で良いと思う。


 たとえ孤独であっても。
 誰からも求められなくても。

 
 出来ないことではなく、失ったものではなく、今あるものを数えるようにしたい。





*****

今日という一日、他人を眺めて思ったこと。

 テレビもネットも「いい話」ばかりが蔓延しているようだが、きっと「いい話」で満足して明日からまた忘れるのでしょう。

 精神論も結構だが必要なのは現実的な力だ。
 美しい話なんかではない、みっともなく痛々しい現実が待っている。
 “被災”したのは実際に現地に居た人々だけではなく我々日本国民すべてだという実感が乏しいのは残念だ。

 
 こんな話をネットで目撃した。
 
«黙祷を強要する人々、そしてそれを晒して嘲笑する人々»
http://majikichi.com/archives/6820348.html
 (匿名掲示板系。刺激的な話も含まれるのでリンク先にご注意ください。セキュリティ知識ある成人限定、18禁広告あり)

 世界中の人々が日本のために黙祷してくれたニュース映像に感動していたところ、この有様。残念に思った。

 黙祷を嘲笑する人々もどうかと思うが、強要する人々はもっと腹立たしい。
 しかも携帯なりPCなり起ち上げて、わざわざその時間に「呟く」。
 怒る奴らの気持ちも正直、分からないではない。

 本当、その時間に「黙祷してます」なんて報告は必要なかったのではないでしょうか。
 真心からなら他人に「強要」することは絶対にないし「呟く」必要もなかったはず。
 (自分はその時間、ネットなんか見る余裕はなかったです。現実、黙祷しているならネットは起ち上げようがない)

 他人の行動に合わせる必要はないでしょう。合わせる嘘など最初から要らない。
 見た目に合わせない人がいたからと言って責めるのは合わせない人たちより遙かに悪い。

 要は自分が真心からどうあるか、だ。
 どうすべきか。本心からどうしたいか。

 その人なりの範囲で、本心からやりたいと思ったこと・出来ることをすればいいんじゃないのか。

 
//だいたい去年もあれだけ電力が切迫し、電波が混雑して被災地の人々が困窮しているなか、「ボランティア」と称して24時間体制で呟き続けた人々が多かったのも悲しい。
苦言を呈するようだけど、自分を周りの雰囲気に合わせることしか考えていない人がとても多い。それは相手のことを思っているように装っているだけの「自己中心」と言う。
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