神秘・占星術

    ラブバード、松村著『マスター占星術Ⅱ』サビアン新解釈比較

    色々と追いついておらず、ここのところ占星術サイトも放置していました。
    あちこち手を出してしまう自分が悪いのですが。何事も中途半端で、すみません。
    しばらく小説のほうに集中するつもりでいます。


    先日、松村潔先生が新刊を出していたことはご紹介により知りました。
    以前に出版された『西洋占星術完全マスター』の第二弾。
    今回サビアンシンボルの解釈を新しく書き下ろされているそうで、ぜひ手に入れたいなと思っております。ただ買っても今は読めないので、夏以降になりますが……。



    完全マスター西洋占星術(Ⅱ)


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    参考までに。
    ご紹介の際に引用していただいた文を、こちらでも引用させていただきます。比較してみてください。

    筆者アセンダント、水瓶座15度『フェンスの上にとまっている2羽のラブバード』の新解釈
    (2016/5/3 引用部分追加)
    …「黙示録」であれば、この水瓶座の15度は天使の場所で、14度で細かい作業は全部、部下や従う人たちに丸投げしたので、自分は塀の上に立つことができます。そして下界を見下ろすのです。この塀は高さがあるので、遠くを見ることができます。…
     久米仙人が地上に転落したのは女性のすねに見とれたからでした。フェンスの上に居続けるには、自身が男女の両方を持たなくてはなりません。片割れ的な存在だと、半分は地上にいるので、地上に引き込まれてしまいます。したがって、この人物は両性具有的です。白雪姫のように細かい実務を7人の小人にしてもらうには、水瓶座の14度で土の元素的な価値観を脱ぎ捨てます。

    ちょっと昔の解釈に戻ったかな、という印象です。正確に言えば解釈は変わらないのだと思いますが、表現がシンボリックに戻ったというか。

    以下が最初に出された『神秘のサビアン占星術』初版/GAKKENの解釈。
    上の解釈に近いのではないでしょうか。ただこの時はおそらく若い女性をターゲットとしたために、小難しいサイン全体の解釈は省いていると思われます。(とは言え、他の女性向け占い本に比べると遥かに難解な表現ではありますが)
    ……プラトンの主張するように、われわれには失われた半身(=理想の異性)というものがあり、もしこの半身と合体することができれば、究極の自己にいたるしあわせな状態を実現することができる、といわれている。この両性具有的な生き方のなかでは、人はこの世でも、あの世でもない、独特の、あたかもフェンスの上にいるかのように、日常に毒されないような生き方を実現できる。……平和的で、俗抜けした性格をもっている。人気運をあらわすことも多い。

    この後の『決定版!! サビアン占星術』の時はもう少し実用に耐え得るような、大人向けの解釈となっていました。
    この度数ではあらゆることに高見の見物をする立場を手に入れることができるのです。……こうした立場になると世の中を全体的に観察できるので、この度数の人は大きなヴィジョンを手に入れることができます。会社の中でも全体を統括する立場にこの人がいれば、その人を司令塔にして周囲のスタッフはうまく立ち回ることができるのです。
    この通り、社会人の方を占うにも『決定版』の解釈はそのまま使えると私は思います。
    特に、MCや太陽だったらこの『決定版』解釈が有用です。アスペクトにもよりますが、MCにこれがあると実際に会社役員を務める人生になったりするようです。

    アセンダントだともう少し総合的な、性格に関わる根本解釈となるので上記のどれも当てはまるかな。解釈に「捨てるところなし」という感じです。

    私の場合で言えば、アセンダントですから上記の解釈のどれもが自分に当てはまるように感じています(他人から言われる言葉を総合して)。
    たとえば「平和的で俗抜けしている」、「両性具有的」という性格はあるでしょう。たぶん私を知る人なら頷くはず。
    ただ『決定版』を経ていなければ、このシンボル解釈は曖昧な印象で終わっていたと思います。
    『決定版』で「司令塔」という解釈を読んだときこそ、この人(松村先生)は本当に凄いな……と背筋が寒くなりましたね。

    「高見の見物」「司令塔」
    という性質は、どうやら前世で現実化しています。※
    ただMCとして現実化したわけではなく、本来そのような性質を持っていたというだけらしいので、私本人としては無自覚です。
    だからたとえば、揶揄的なことわざ
    「煤払いのkoumeiは子を抱く(他の人にやらせて自分は何もしない、の意。まさにラブバード『決定版』解釈のような)」
    という表現に接したときには反発感を覚えるのですが、実態としてそういうタイプなんでしょう。
    アセンダントは常に自分からよりも、他人からのほうがよく見えるもののようです。


    さて、今回の新解釈で
    「白雪姫」
    という表現がツボに入り、笑ってしまいました。
    前世の先輩方が「ハイホー、ハイホー」と謳う場面がつい浮かんでしまいまして……失敬(笑)。

    松村先生の新刊は、肩の力を抜いた表現で余すところなく書かれた感じでしょうか。
    表現が自由な印象で面白いなと思いました。


    ※混乱する人もいるかもしれないので念のため追記。ここで私は「自分は前世でもASC水瓶15度生まれだった」と断定しているわけではありません。何の資料にも頼らず記憶として「司令塔」的立場だったことを覚えており、このため15度の影響を受けていた(その前後の生まれであった)と推測しているのみです。
    筆者は転生でASCのサインは変わらないと推測していますが、度数は微妙に動くと考えています。その動きが一度なのか、それよりも僅かなのかは鑑定データがないため正直分かりません。
    (さらに言わずもがなですが、ビフォー・アフターの記事で参照した人物は仮定に過ぎません。そのうえ出生時間や緯度経度も正確に分かりませんので、アバウトに眺めるに留めてください)

    以下推測。
    そもそもサビアンシンボルは固定的に狭く考えるものではなく、その前後も含めてもう少し広めに見るべきものではないのかと思います。人生の最終局面におけるシンボルの影響を読むときには、出生時の度数より僅かに足して見たほうが正確になるかもしれないです。

    他の解釈 >>「ラブバード」すたくろさん解釈引用
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