神秘・占星術

    ホロスコープの人生計画について。人は何のために生まれるのか

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    ホロスコープは最善の計画書


    占星術で鑑定をしていると、
    「ホロスコープは人生の最善の計画書なのだ」
    といつも感じます。
     ※2018年現在、ご依頼での占星術鑑定は行っていません

    何故ならホロスコープ全体を読み込んだときに悪い結果が出る人は誰もいないからです。

    もちろん「悪い結果とはならない」とは、大局(大きな視点)から見てという意味です。
     
    私の鑑定では前世から今世の終りまでを見ています。
    「前世での経験 ~ 現在の生き方 ~ 今世の目的・最終計画」
    です。
    この方法だと過去・現在・未来という大きなストーリーの流れでしか眺めることは出来ませんので、現在の狭い視点しかない人にはなかなか理解出来ないかもしれません。

    だからご本人にとってどうしても納得いかない結果が出ることはあるようです。
    たとえば、その時にたまたま「海外でずっと暮らしていきたい」という夢を持っている方が鑑定を頼んできて、
    「海外に行ってもいずれ再び故郷に戻って来るでしょう」
    などという鑑定結果を受け取ったとします。
    すると、ご本人はその結果を否定したくなります。
    自分の夢と反対の結果にはどうしても我慢ならないからです。

    相性も分かりやすい例です。
    たまたま今の好きな相手について好ましくない相性結果が出ると、反発したくなってしまう。

    おそらくその反発心は、一時期だけのものです。
    人間は意外に自分の本心を無視して、その場その場で短期の夢を抱いてしまうものです。
    将来遠回りしていたのだと気付くのだとしても、その時は夢中で本来の計画と違う道を選択してしまいがちです。

    それでも今の一時期の夢のほうが大切だと言うなら、思った通りの道を選ぶことも可能です。

    (何度も書くように、今の自分の夢を断固選ぶという意志がある人は始めから占いで自分の本心を探る必要などなく、刹那の夢を選択していけば良いのだと思いますが。わざわざ運命に抗うために占いを使うことだけは、間違っています)

    究極のテーマ。人は運命に抗うことが可能かどうか?


    さて、ホロスコープに抗い、自分の意志で“遠回りすることも物理的に可能”。
    これは言い換えれば、ホロスコープに表れている計画書は人間の意志で変更出来るということにもなります。

    「ホロスコープは人生の最善の計画書」と書きましたが、残念ながら「絶対の計画書」ではないことは確かです。
    運命(人生計画)は、本当にあっさりと人間の意志で変えられます。
    その究極が自殺というものではないでしょうか。

    占星術師の鏡リュウジ氏は、著書『占いは何故当たるのですか』(講談社)のなかで
    「自殺だけはホロスコープで予測することが出来ない。自殺という選択肢は人間の人生に計画されていない」
    と述べています。

    計画されていないにも関わらず、その道を人間が選択できるのは、生きている人間の意志の力とはそれだけ強力だということになります。
    ただ私は“前世の記憶がある者”として何度でも強調しますが、ホロスコープで計画されている課題と異なる選択は単なる遠回りというだけに過ぎません。

    今の課題が苦しくて死という選択肢を選んだとしても、また同じような課題を背負って生まれて来ることになります。
    回避してラクになったつもりでも繰り返し、繰り返し、同じことが続きます。
    むしろ前より課題が重くなり、苦しみが増していくかもしれません。

    死ぬことでは決して回避は出来ないのです。

    ★全ての苦しみに立ち向かえと言っているわけではないのでご注意を。課題は、生きながらにして逃げるという方法で解消できるものがあります。逃げていいのです、失敗しようと成功しようと。ただし死ぬ瞬間ぎりぎりまで、生きるために逃げたいという意志を持たなければなりません。みずから死に逃げるのは、残念ながら逃げたことにさえならない。


    鏡リュウジ氏が言うように、「自殺という選択肢だけはホロスコープに表れない」のが何故かというと、死んでしまえば課題をクリアする機会が一切失われるからです。

    極端な例で言えば、実は休むことさえ死んだら出来ません。
    ……こう言うとまともな常識のある人なら「当たり前じゃないか」と思うでしょうが、世の中には、休むために死を選択する人もいるのです。
    一見、死ねば安らかに眠れるように思えるのでしょう。
    ところが死んでいる間は魂の状態はストップするため、眠ることさえ実は出来ていません。

    と言うのは根拠がありまして。
    私は前世でどうやら睡眠をとる暇がなく結果として「過労死」したようなのですが(記憶からの推測)、死んでいる間は休息することが出来ていなかったようです。
    今世、生まれてから今日まで、眠くて眠くてたまらない状態がずっと続いてきました。体がだるくてたまらず、引きずりこまれるように眠い。
    もちろん原因不明。医者は「病気ではない」と言うのみ。
    ある日これはおそらく前世で足りなかった睡眠を取り戻そうとしているのだ、と気付きました。
    以来、眠さを感じることにも意味があるのだと思うようになりました。私はたぶん休息を取るために生まれたのです。休息するためにも生きることが必要なのです。
    バカバカしいと思われるかもしれませんが、経験者は語るですよ。笑。

    だからどんな状態であっても生きていることに意味があると言えるわけです。

    ベッドの上で眠って過ごすだけの人生で、「何も人の役に立っていない。生きている意味が全くない」と思うのは間違い。
    実は、自分自身が休むためにその生が必要だったりします。

    死んだら無。
    これはある意味で正しい。
    完全なるストップ状態です。

    追記:ここで言う「死んだら無」とは、唯物論者の言うように本当に無となったり、永遠の闇へ閉じこめられるという意味ではありません。ここでは「地上において」という前提で「無」と表現しています。死後世界では魂として存在し、活動もあります。/関連記事、唯物論は危険という話

    再生ボタンを押せば、またその途中から始まります。それだけのことです。

    たとえば若くして亡くなり、人生計画の半分も果たせずに終わった場合でも、来世はその途中から始まります。
    今の人生で刹那の夢を追いかけ計画を放棄した人も、来世では同じ課題を負って生まれます。
    ですから、「意味のないホロスコープ」・「実現されないホロスコープ」というものも実は皆無なのです。
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