前世を知るには? 好きなことだけではなく嫌いなことも縁が深い

前世で生きた国や職業等は「必ずしも今世で好きなものとは限らない」ということを、筆者を例としてお話しします。

 

決めつけは禁物です

前世についてよく誤解されていることに、
「前世でやっていたこと(携っていた職業や趣味など)は、今世でも好きに違いない」
という決めつけがあります。

たとえば現在の自分がカラオケに通うことが好きだったら、「前世では歌い手だったのだ」と思ってしまうようなことです。
あるいはどこか海外の国にとても惹かれる場合、「私は前世でその国に生きたに違いない」と言う人もいます。

確かに。
今自分が好きなことは過去に自分が好きだったことの可能性はとても高いと思います。
何故か惹かれる国というのも、前世で生きていた国である可能性はとても高いです。

でも実は全ての人が前世でやっていたこと・前世で生きていた国を今世でも好きになるとは限らないのです。

逆に言えば、
「好きではないから」
「惹かれないから」
それは自分とは関係ないのだと思うのは、大間違いだということです。

戦争体験者のことを考えてみる

たとえば戦争を体験した人のことを考えてください。

戦争で悲惨な体験をした人が、はたして戦争など好きになるでしょうか?

むしろ嫌いになり、「目を逸らしたいもの」になるのではないでしょうか。

このような場合は戦争嫌いの人間として生まれ変わることになるでしょう。
流行の戦争ゲームにも、とても興味を持つことが出来ないはずです。

たとえば自分を例に挙げますと、私は子供の頃から戦略ゲームが苦手(嫌い)です。
一つのコマを動かすとき、そのコマのなかに生身の人間がいることを想像し、その人たちが死ぬことを想像すると「ウワーッ!!」と頭を抱えて叫びたくなるからです。
このため今どきめずらしいと言われるのですが、私は生まれてこのかた一度も戦略ゲームに時間を費やしたことがありません。将棋やチェスも同様に、やりません。
かつて第二次大戦をモデルにしたリアルなゲームが出現したときは、本気でゲーム会社に抗議しようと思ったことがあります。まだあの戦争を体験した人たちが生きているこの時代に、あんなゲームを発売し、どれだけの戦争体験者がトラウマを呼び覚まされ苦しむだろうかと思って許せなかったのです。
……しかし、世間の人々はそういうことに無頓着で、平気で戦争ゲームを楽しみ笑っていることを知り、「自分は他の人と違う」ということに初めて気づいたものです。

何が違うのか、と言うと、体験が違うのです。おそらく。
(後で知ったことですが、私はどうやら前世で戦争に深く関わっていたようです)

前世で戦争を体験した人、あるいは戦争を体験してもまださほどの苦しみを負わないうちに亡くなった人は、戦争ゲームを「単なるゲーム」として楽しむことが出来るでしょう。

逆に戦争との縁が深く、傷も深ければ深いほど、戦争ゲームには近寄らなくなるでしょう。
結果、見た目には
「戦争ゲームに興味がない人」
となるわけです。

だから「興味がない」・「嫌い」なことや国であっても、自分の前世と関係がないとは限りません。
本当は関係が深いからこそ興味を持てず、嫌いなのだということもあることに注意していただきたいです。

嫌いな物にも気を付けてみる

付け加えますと、前世で縁が深いのだが「興味がない」「嫌い」なことは、他のことに比べると圧倒で一番に「興味がない」「嫌い」なことだったりします。
それについて考えると虫唾が走ったり、涙が出たり、肌が粟立ったりといった現象が起きます。

“自分の前世はどんな人だったと思う?”
と聞かれ、真っ先に「これだけは嫌だ」と思い浮かぶ職業・国が実は最も苦しい経験をした前世だったということもあります。
(私がそうでした)

このように生理的な拒絶反応が起きるからこそ確かに前世だという証にもなるのでしょうが、自分では実際に思い出すまで気付けません。
最初から全く縁がないから「関心がない」ということと、トラウマに触れるのを恐れて「興味を持たない」ようにしていることの区別は、非常に難しいものです。

そのため、そもそも「好き・嫌い」で前世を推測すべきではないと私はお伝えしています。

基準とすべきは「得意・不得意」。
あるいは、「馴染みがあるかどうか」です。
拒絶反応があるのだけれども、何故かそこから目を離せない。
その映像などに触れると何故か自分に馴染む。
“慣れている”と感じる。
“深く理解”出来る。
そんなことや国があれば、前世でそれらと縁が深いのだと考えられます。