サビアンの解釈法 例、『チェスをする二人の男』

2020年11月15日

前記事に関連し、占星術と前世の話です。
主にわたくしごとですがご参考になれば。

サイトで公開している通り、私のホロスコープには戦争に関するサビアンシンボルがいくつかあります。

なかでもMC、
『チェスをする二人の男』
はピンポイントで戦争作戦能力そのものを表します。
これは自分でも背筋が寒くなるシンボルでした。(記憶と一致したため)

※この記事だけ読んでいる方向けの解説: 筆者には過去生において「戦争作戦家」を勤めたという記憶があります

 

ところで『チェスをする二人の男』のシンボルについて、「一人は指導者ではないか」という解釈をいただきました。
一方の男が指導者で、対面するもう一方の男は弟子という解釈です。
(私を「指導者」と見立ててくださり、解釈していただいたものです。恐縮です。ありがとうございます)

私もサビアンシンボルは一通りの解釈に縛られず、様々な解釈を模索すべきと思っております。
上の『二人の男』も、指導者・弟子や、自問自答する自我の象徴、など対になるものには関わりがあると考えられます。

ただサビアンは、神秘的な表現であるゆえに、そのシンボル一つを見つめるだけでは自由な連想が浮かび過ぎて結果として無意味なものになってしまいます。
やはり占星術は12星座の流れで解釈するのが前提となります。

たとえばこの『チェスをする二人の男』については、背景に射手座という大前提があります。
射手座は戦いに関わりの深い星座ですが、特に1度~5度の最前半には、マンガやゲームで表されるような典型的な戦争に関わると言われています。
(この位置では射手座は始まったばかり。子供っぽく純粋に戦いに邁進します)
そのため、この付近のシンボルを現実に落とし込むときには深読みし過ぎず、単純に
「ウォー・ゲーム」
と解釈することが必要となってきます。

 

度数ごとの解釈の順番としては、
①12星座を読む

②その度数がその星座のどの位置にあるか、大まかに読む

③一度ごとのシンボルを読む

④現実に落とし込む
という作業が必要だということです。

 

サビアン等の類の神託は神秘的で捉えがたく感じられることがあります。
時に、神や世界滅亡など大それたイメージが連想されることさえあります。

でも占星術の役割は、どんなに大それたイメージであっても、最終的に現実に落とし込むことではないかと思っています。

言い換えると、
「期待し過ぎない」
「夢を過大に見過ぎない」
(=妄想に囚われない)
こと。
誇大な解釈はしないということです。

たとえば、「神」というシンボルが与えられたからと言って自分が「神」になれるわけではない。もっと現実的な解釈が必要です。

 

神託を現実に落とし込む際にはどうしても卑近で日常的な表現となり、退屈なものとなってしまいます。
宝石のように輝いて見えたものが地味な石ころに変わってしまう。
だけど実は、石ころでなければ現実では役立たないものです。
私は現実に役立たなければ意味がないと考えてしまうほうなので、やはりこれからも少々地味な解釈をすると思います。

 

何を書きたいか忘れてしまうところでした……。

話を戻せばつまり上の『チェスをする二人の男』はより現実的に、単純に考えて、やはり
「ウォー・ゲーム」
戦争戦略の能力と考えるのが妥当なのだろうと思うわけです。

自分の場合それが今のホロスコープのMCにあるということは、自分としては残念ながら、戦争戦略の能力だけが社会に役立てる資質であることを表すのだろうということ。

それはおそらく自分が前世で訓練して得た能力なのですが、前記事に書いた通り、今世の私はその能力を活かすような場に近寄ることを徹底して拒絶してきました。

また「自分で自分の能力を棄てる」と幼い頃から決めていて、現に実行してきました。
結果、お役に立てない人間になってしまったと、大人になった今では後悔しています。

 

でも、絶望しているわけではないんです。

何の因果か、今は少しだけ「戦い」の場に戻っています。
人を救う場に行きたいと思ったら結局、戦いの裏方に戻ってしまいました。
(リハビリのようなものです。ヨチヨチ歩きで訓練の日々)

子供の頃に比べれば「戦争」に関する極端な嫌悪や悲しみも薄れつつあります。
トラウマが少しずつ去っている気がします。
「自分のホロスコープは前世の残滓に過ぎない」
という感覚はまだあるものの、前向きに生きようという気は少し湧いてきました。

これは、ホロスコープは現実を示すものであるし、ホロスコープに逆らってもまたその軌道に戻されてしまうものだという実体験です。

他の解釈 >>「チェス」すたくろさん解釈引用