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死後記憶その2~人生を悔いている魂の死後

今回、小説で書いた場面は私が覚えている「死後」の記憶です。※『永遠の雨、雲間の光』最終巻
死後世界として私が記憶しているのは、『我傍に立つ』のラストで描いた場面と、今回のこの場面だけです。

他の前世記憶を持つ人たちは死後世界(または中間生)についても詳細に記憶しているようです。
しかし私はすぐに生まれ変わるタイプなのか、いわゆる「あの世での生活」記憶が皆無なんですね。よくスピ本に書かれているような、死後に仲間と会ったり、建物の中で仲間とともに学習する記憶などが一切無い。
その理由は前にも書いた通り、私の指導霊が「地上派」で、肉体を持っての学習を重視する主義であるからだと推測しますが。
それと上の人生も理由となっているような気がします。
「自分が他者と関わると、相手に迷惑をかけてしまう(仲間が殺されてしまう)」
という恐怖から、なるべく人と距離を置こうとし、死後でも再会を控えているのでしょう。

一つ前の人生でその恐怖はクリアしたはずなのですが、人と距離を置く癖は抜け切れていませんね(笑)。
長年の生き方の癖は魂に刻まれ、簡単には抜けきれないのだと思う。


なお今回の話に書いた「死後記憶」、私はぼんやりと覚えていただけなのですが、今年の始めに読んだニュートン氏の本で裏付けることが出来ました。
読んでいなければもっと曖昧な表現になっていたと思います。
ですから、今回このように書くことが出来たのはニュートン氏の本を紹介してくださった方のおかげです。ありがとうございます。

自分の記憶とニュートン本の記述をすり合わせると、あの
「誰の姿も見えない、仄暗い寒い場所」
とは罪を犯したと自分で考えている魂(あるいは、うまくいかなかった人生を悔いる魂)が閉じ籠もる反省部屋のようなものなのだそうです。
神様などに罰として閉じこめられるわけではなく、自分で籠もるのだとか。それは確かに自分の記憶とも一致します。

後悔している人生の死後、魂には独りでその人生を考える機会が必要なので誰にも会わずその「反省部屋」へ閉じ籠るそうです。
ニュートン本では反省部屋を外から眺める魂たちの目撃談が書かれているのみですが、私のように閉じ籠もった側から見ると、「白い靄がかかって何も見えない」感じになるのだと思います。(人によって表現は変わると思いますが)つまり、外部との接触を断つ状態です。

反省で潰されそうになっている魂にとって閉じ籠ることは必要です。でも、やがて出て行かなければなりません。
私はよほど長いこと閉じ籠もっていたのでしょう、強い高次霊が迎えに来てくださったようです。


ところで反省はせず、快楽による大量殺戮などの罪を繰り返す魂たちはどこへ行くのでしょうか?
よく言われているように地獄のような世界へ行くのでしょうか。

私は、人は生きている時と同じ精神状態のままあの世で過ごすと考えています(自分の体験から)。おそらく、地獄の泥沼に棲む精神状態にあった人は、死んだ後も好んでそのような次元に行くはずです。
ニュートン氏の本には地獄の次元に行く人は描かれていないのですが、「反省のない魂はエネルギーを組み換えられ、それまでの個性を失う」とのことで、地獄へ行くよりもっと悲惨だなと思いました。
※魂のエネルギーが消滅することはない。ただしエネルギーの組み換えが出来るらしい。その際、魂は個性を失う。これは魂にとって死刑に等しい処遇。(魂には誕生時から変わらぬ個性があるそうです。死後すぐにこの個性が失われ無に溶ける=死ねば即ブッダになれると信じている人は誤り)

いきなりエネルギー分解されることはなく、それまでの中間状態として地獄の次元で過ごすのだろうと考えたほうが妥当のような気がしますね。地獄と地上を行き来できる間に気付くことを願います。
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