『君の名は。』の懐かしさ(『君をのせて』も)

ここのところ映画館で話題の映画を観ることにはまっていまして、目下大ヒット中の『君の名は。』も観てしまいました。

予告

実は密かに私が一番観たかった映画です。
「アニメを映画館で観るなんて、もったいな~い」
と渋る家族を説得して行きました。
結果、家族も大満足の感動を得られたようで。良かった良かった^^

この映画については、「感動した!」「絶対に観たほうが良い映画!」と書き込みしている人たちは多いのですが、いまいち具体的なあらすじが分からないのが不思議でした。
観て、なるほどです。
あまり詳しく感想を書いてしまうとネタバレで台無しになってしまうからなんですね。
というわけで、私も詳しく感想を書くのはやめておきます。
ただ、ありきたりな「男女入れ替わりモノ」と思うなかれ、とだけ述べておきますか。
SFファンタジーながら、「現実にあるかも」と思わせる不思議なリアリティがあり、人生の奇跡を感じさせる極上のストーリーです。

個人的には映像と内容ともに、とても懐かしいと感じました。

たとえば映像について言えば、
新宿の景色・JR駅の音楽・電車のドアが閉まる音・窓外の飛び去る景色……。ラスト、階段の上から眺めるビル群も。
今もまだ現実に在る景色なのですが、何故だか既に過去生の記憶のごとく懐かしい。
(筆者は最近、電車に乗っていないせいもありますが)

「東京は汚い」「人工物は全て嫌い」と言う人も多いが、あれらの景色は今の時代しか存在しないもので、明日の一瞬には消えてしまうかもしれません。
永遠の時空のうち、ほんの刹那の間だけ存在している「奇跡の景色」です。
その景色を精緻な絵として残そうとした新海監督の心意気には涙が出ました。
おそらく現代の写真から起こした絵なのだろうが、写真よりも記憶そのままに近い。

監督が残したかったのは、「記憶」でしょう。
十代の頃に胸の内に溢れていたファンタジーや、見知らぬ出会いに恋い焦がれる切なさの「記憶」とともに。
ここで生きた記憶を。

この映画を観ていて私が思い出していたのは、そう言えば自分も若かりし頃は
「泣きながら目覚めて、その瞬間に見ていた夢を忘れる」
とか
「誰だか分からない誰かに恋い焦がれ、切なさに身を震わせる」
ということがよくあったな、ということです。

『ラピュタ』の主題歌、『君をのせて』

あの地平線 輝くのは どこかに君をかくしているから
たくさんの灯がなつかしいのは あのどれかひとつに 君がいるから

の歌詞にいたく共感していましたね。

きっと新海監督もそんな子供だったのでしょう。
それとも、彼は未だに泣きながら目を覚ますことがあるのでしょうか?
だとすれば少々羨ましい。

私の場合、17歳の頃に現実でファンタジーを体験してしまいました。
この映画の中で滝くんが必死で書物を漁り、「妄想」から「現実」へ近付いて行く姿は、かつての自分を見るようで懐かしかったです。
しかしファンタジーを現実で体験してしまうということは、ファンタジーを失うことを意味します。

思えば私は「切なさ」の回答を得たあの頃から、泣きながら目覚める朝が減ったし、遠くの街の灯りをぼうっと見つめることも減った気がしますね。
それはもしかしたら不幸なことなのかもしれない。
滝くんのように記憶を失い、ただ激しい切なさと誰かを探し求める気持ちだけ抱えて大人になれたなら幸福だったのか。

皆さんは、どうですか。
大人になった後でも、まだ泣きながら目覚める朝があったり、「君を隠して輝く地平線」をぼうっと眺めたりしていますか?