最後の話です。
エピローグのようなものですが、全話の「答え合わせ」としてお読みください。
この場面を書くためだけに十年の執筆を続けてきました。
何の利益も得られず、一切評価されず。「素人のバカが無駄な小説を書いている」と嘲笑されながら。
無意味と笑われる執筆に時間を割いてきたことは我ながら阿呆だなと思います。
ほんの僅かな読者様へ、何らかのメッセージが届けば幸いです。
今回の話は「分かる人には分かる」という感じで、(今の)現実のエピソードを含ませています。
後半は少し遊び過ぎでしょうか。
「幼い頃から行儀良く優秀。~」以下、主人公の幼い頃の描写は今世ママ(同じ)です。
先日、十歳ほど年上で私の幼い頃をよく知っている従姉に、「自分はどんな子でしたか」と尋ねたら
「礼儀正しく賢い子」
と仰っていただきました。(大人になってから聞くのはものすごく恥ずかしいですね、笑)
当時はよく「年寄りじみている」とも言われました(笑)。
でも今世は、もう少し弱虫で泣き虫でしたかね。弟と喧嘩してよく泣いていた。
そのわり普段は子供らしい振る舞いが出来ず、泣かなければならない時には泣けず、妙に冷めているところがありました。そんなところは、たぶん前世と同じです。
解説の豆知識。
中国における「輪廻思想」について。
小説のモデルとした時代においてはまだ仏教は中国大陸に根付いていないため、仏教的な「輪廻」という思想もメジャーではありませんでした。
仏教は紀元前後に伝来したがすぐに廃れたそうで、宗教として信仰する人も少なかったようです。
仏典が輸入され正式に「仏教が伝来した」と言えるのはこの小説より数百年後のことです。
小説のモデルとしている時代、国で認められていた思想・学問は儒教です。
儒教では先祖崇拝を重視するため、個人を主体とする「転生」という考え方は自動的に否定されます。
だから一般に、
「中国は仏教国だから生まれ変わりを信じている」
と西欧諸国の人はイメージしていますが全くの誤解であり、中国大陸はもともと転生という考えが弱い地域と言ったほうが良いです。
転生という思想が弱いので、中国人は霊魂が浮遊しているイメージも持ちにくい。このため日本人のように怨念を恐れたり、自殺者の出た部屋を「不吉だ」と言って恐れることはないわけです(日本人から見ると鈍感に見えますね)。これは実は、世界的にもめずらしい文化と言えます。
古代、世界中ほとんどの地域に生まれ変わりの思想が根付いていました。特にその思想が根強かったのはインド。そしてギリシャなど西洋の神秘主義です。
今とは逆ですね。意外なのではないでしょうか。
しかし転生思想が根強かったからこそ、西洋の権力者たちは転生思想を弾圧して否定する必要があったのだと思います。民衆が転生思想を持つと国家へ従順に従う羊ではなくなり、権力者たちにとって都合が悪いからです。
東洋人はもともと生まれ変わりについて深く考えることもなかったため、特に弾圧されることもなく、仏教が自然に浸透したのでしょう。
なお日本は特殊で、どちらかと言うと古代ギリシャの神秘主義に近い土着の思想を持っていたようです。日本人は中国人よりも古代西洋人に近い、と言われるのは事実かもしれません。この島には海流に乗って遥か西方から漂着した人が多かったのかもしれませんね。