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運命法則、バランスの実例

いつも語っている『バランスの法則』の実例を提供します。

私は前世で、おそらく実力以上に認められ、あまりにも過剰に賞賛され過ぎたという記憶を持ちます。
思い返せば半端ではない持ち上げられ方でした。生きた心地もしなかった。
あの時のバランスを取るために、今世では前世と真逆にどれほど頑張っても認められず、報いを得られることもない。「得意なこと」を一切活かせずに、自分を殺して生きることを運命づけられているようです。
前世が極端だったぶん今世の「完全無視」「絶望」状態も極端過ぎる。
今は、前世と逆の意味で生きた心地がしません。きっと前世よりは幸福ではあるのだけど。

これは痛い実例です。
底辺にしろその逆にしろ、極端な人生は疲れるものです。
【注】こちらの記事で書いている通り、私はイレギュラーで単純な例です。分かりやすい例として書いているだけで、誰もが「カルマは即、一回きりの転生で還る」ということはありません。運命はもっと複雑。


先日、宇多田ヒカルさんが「人間活動」の休止期間について語っていて、
「何故その人間活動をされたのですか」
というインタビューに
「あまりにも有名になり過ぎて、一般社会に入って行けない自分を感じていた。社会のどこに入ろうとしても、透明な壁があるみたいにバイーンと跳ね除けられてしまった。あ、自分は世界に参加できていないと思った。(それでは駄目だと思ったので休止して外国へ行き一般生活を味わった)」
と答えていて私は激しく共感しました。
ああ、その感覚が私には物凄く分かる。
超絶に有名な宇多田さんに共感するなど図々しいと笑われるでしょう。しかし妄想かもしれなくても私には記憶していることが現実なのです。

確かに前世の私はずっと世間との間に分厚い透明な壁を感じており、入ろうとしても「バイーン」と跳ね除けられる感覚がありました。
いや、正確に言えば、他の人々の仲間に入ろうとすることすら諦めていたかな。あまりの壁の分厚さに、孤独で凍えて身動きすらできなかった。
※孤独となったのは王たちの死後の話です

それで死ぬ直前は引退を考えていたわけですが、死ぬまで身動きが取れませんでした。
結果、引退しなくて良かったのだと思いますがね。あれもまた運命。

この透明の壁は、実は今世の幼い頃までつきまとっていました。
記憶がないので何故なのか分からなかったが、「自分は分厚い透明なガラスケースに入れられた人形だ。息ができない」とずっと感じていました。
記憶を思い出して壁の正体を知ったために、過去の壁は消えたのですが。

今は完全に逆の位置にいて、新たな壁が出来たのを感じています。
「底辺過ぎて世間に入れない」という真逆の種類の壁。

宇多田さんとは違って私は現世で一般生活を送ることもできなかったからね。
極端過ぎるんです、私の人生は。
これも全て前世が極端だったことの報いだと思っています。

だから私は、「可もなく不可もなくの平均値の人生が最大の幸福なのだ」、と声を大にして言いたいんです。

私は前世で生きている間は意識して極端な人生を目指したことはありませんでした(出世したいと思ったことは一瞬もない。だから地上次元で『引き寄せ』は嘘だと言っています)。
しかしまあ、生まれる前に立てた計画がそうなっていたのだと思います。過去のカルマの一気解消のために自分で選択したことでもあるのでしょう。
今世もきっと同じく、自分で承知した人生です。だから文句はありません。

けれどいつかは、本当に「平凡」と呼ばれる平均値の幸福を得たいというのが、今のささやかな願いです。
ひどく自惚れた願いと思われるかもしれませんが、本心から切実に願っています。

それを考えれば自分はもう一度生まれて来なければならないでしょうか。
果たして自分に来世は有るのか?笑 そこが疑問ですが。
その前に、来世まで地上が無事にあれば良いのだが。……もしかしたら難しいかな。
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