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これは驚いたね。
まさかお化け屋敷に、神社へ奉納された本物の人形を使うとは……。

⇒USJ大炎上「呪い人形」事件はどこで間違えたのか?

神社に供養のためにおさめられた日本人形を借り受け、お化け屋敷をつくったユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が、日本人形協会から猛抗議を受け、ネットでも炎上している。事の是非はさておき、USJはメディア対応や事前のリスク洗い出しなど、多くの点で失敗している。(ノンフィクションライター 窪田順生)
 抗議を報じたメディアの第一報では、USJ側のこのような対応が報じられた。

《USJは「抗議文の指摘は法的な根拠に基づいたものではなく、アトラクションは予定通り続ける。ただ、貴重な意見として参考にしたい」とコメントしている》(時事通信10月18日)

 外資系企業にはこういう決まり文句が多いのだが、…

うん、法的な問題ではないよね。
人が人(霊魂を含む)に対して尊厳を守るかどうかの話。
死者であっても侮辱してはならない。そう思うのが人として普通。
エンターテイメントのコンテンツで「ホラー」というジャンルがあるのは構わないと思う。フィクションの人形を使うならそれはキャラクターというものに属するだろうし。
しかしお遊びで、本物の奉納された人形を使うというのはあり得ないな。

「呪いの人形なんてものは存在しない」? へえ。そうなの? 初耳(笑)。
霊が宿っていなかったとしても、「かつて宿ったかもしれない」という話が実際あるわけだ。つまり、「本当かもしれない」という前提で客たちは見る。過去に存在した本物の死者たちを眺めるつもりで見に来る。
それを知っていてよくエンタメに使えたな。
たとえるなら遺体を晒しものにするような行為。霊が入っていないから問題ないと言うなら、もう霊は去った遺体を晒しものにすることが「問題ない行為」と言えるのか。

外資系企業はやはり感性が鈍い。
「悪魔」か「ゾンビ」しか知らない外国人たちが、日本人の霊魂に対する細やかな気遣いを理解できるわけがない。
とは言え上のコメントは日本人が考えて出しているわけだろうから、日本人の感覚も外資に侵されここまで落ちたということ。

不謹慎ここに極まる。
「畏れ」「恥」という感覚がなくなってしまったんだな。
恥を知らず際限なく欲望を貪って良いとする、外国系『引き寄せの法則』などが流行るはずだよ。


死者に対する扱いについて。

淡島神社の見解
 人知れず朽ちていくより、お化け屋敷であろうが、多くの人に注目を集めることの方が供養になる――。淡嶋神社が「心霊スポット」などと呼ばれることをまったく意に介さず、所狭しに奉納された人形が並べられているのは、そのような宗教観に基づいているのだ。

そういうことはあると思う。
死者としても人知らず忘れられるより、話題にされたほうが慰められることはある。

しかしUSJクラスの広大な場に引っ張り出され、遊びの空間で笑いものにされバカにされ、好奇の目に晒されることは違う。
いくら、「構って欲しい」「忘れないで欲しい」と思っていたとしても
「晒しものにされて嬉しい」
などと感じるはずがない。

自分に置き換えれば分かるはずですよ。
自分の投稿したツイートや写真が、誰にも見られず反応も得られずでは寂しいよね。投稿したのは誰かに見られることを願ってのことだと思う。
だけど、想定外の場所でコピペされ、延々と回され晒しものになり、嘲笑され侮辱され続けたらどう感じるだろう?
死者を好奇の目に晒すということは、それと同じこと。
霊魂の心は生きている人と全く変わらない。死者の尊厳は生きている人と同じと思えば正しい。

しかし死者が生きている人と絶対的に違うのは、現世で行動することができないということ。
最も痛いのは、法律を使えない! ということ。

哀しいですね。
悔しいですね。

USJが自分の宿った人形を晒しものにして深く傷付けられたからといって、死者は「人権侵害だ」として裁判に訴えることができない。
(法的な権利は現に生存している者のみが持つ。例外は胎児の相続)
USJはそのことを知っていて、「法的には問題ない」と言っているので人道上において悪質なわけです。


似たような話の例を一つ。
以前、『三国志』博士と名乗る腐女子が出版した小説に、孔融という人物を児童性愛者として描いたものがありました。
史実上、孔融は正当な意見を述べた結果として曹操から疎まれ粛清されたのですが、その小説では「こいつは児童虐待をしたクズだから殺されたのは当然」と粛清を正当化し、曹操を褒め称えるストーリーとなっていた。
もちろん孔融が児童への性的虐待を趣味としていたという記録はありません。つまり作者による完全フィクションです。
ところがその小説にはフィクションであるということわり書きもなく、むしろ読者がこの話を事実として信じることを狙って書かれたのではないかと思えるふしがありました。
(彼女は曹操を女性として熱烈に愛してやまなかったので、愛する男を褒め称える目的で歴史を捏造したかったわけです。つまり本質的に言えば「性的欲求」が動機です)
あまりにも我がままな目的による酷い侮辱行為だと思ったので、私は作者に対して
「せめてフィクションであることを明記してはどうですか?」
と丁重な態度で意見したところ、延々と何通にもわたる反論メールと、私個人を侮辱し罵倒する暴言が送られて来た。
その反論のなかで彼女が
死者には法律的な権利が無いんだから、何をやってもいいはずだ! 私は正しい!!」
と仰っていたことに、心底呆れましたね。さらに
歴史学の権威も同じことを言っていた。(死者に対してはどのような侮辱行為を行っても良いとするのは)歴史学全体の意見だ
と仰っていたので驚きました。
なるほど。だから現在、歴史人物に対する酷い侮辱行為がまかり通っているのですね。納得しました。

 たとえば、楽しく気持ちよく歴史人物の侮辱小説を書いたうえ、印税を稼いで食べている人もいるよね
 ⇒この人

「法律で罰せられないから何をやってもいい」
と言うのは、「見つからなければ殺人してもいい」と言うのと同じこと。
この腐女子といい、「死者に対してはどんな侮辱行為も許される」と言った歴史学者といい(侮辱小説で印税を稼いでいる作家といい)、人としてやっていいことと駄目なことの区別もつかないのか。
この人たちは人目につかないところではどんな犯罪をしているか分かりません。

現代人の道義心、不謹慎感の欠如はここまで重症になっています。
私は三国志ジャンルだけが特殊な人々の集まりなのだと思っていましたが、USJの態度を見ていると人間性の低下は世界全体の傾向かもしれませんね。

今回USJの件で「不謹慎だ」と抗議した一般日本人が多かったことに救われる想いです。
全然関係ないけど、何故か死者目線で救われる想い(笑)。
まだまだこの国の一般人は真っ当な人のほうが多いな。


2016/11/5 分かりやすさと誤解を避けるため一部修正、追加
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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