作り手の表現力と、受け手の理解力

吉野 圭-Yoshino Kei

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昨日、水道橋博士が炎上しているとの噂で覗いたら、昼間のテレビ番組でエド・はるみにネタを連呼したことを責められているらしい。
https://twitter.com/s_hakase/status/794171926310588417

私もたまたま見ていたのだけど、テレビへの復帰がかかっているエドさんに対し、同業者が必死でネタふりをやって支援しているように見えた。ちょっと親切過ぎてしつこいくらいに。
「芸人さんたちもお互い、支援しあって大変だなー」
とむしろ感心して眺めていました。

なんとこれが炎上。
視聴者のレベルの低下はどこまでなんだろうと呆れた次第。

それでつい同情して私は
「理解力の低い人が多くて大変だな」
と呟いたんですが、今度はそれに
「理解力不足と断罪してしまうのは傲慢過ぎ」
「面白いと思う人は思えばいいし、他の人の感じ方にとやかく言う必要はない」
という批判が来る。
他の人の感じ方にとやかくは言ってないんだけどな? 
これも表現と理解の齟齬というものですかね。


表現の真意がうまく伝わらないことについて、「作り手の問題」なのか「受け手の問題」なのかは、永遠のテーマではあります。
しかし現代は作り手側の責任だけが一方的に重過ぎる気がします。
理解されないことについて、作り手が受け手のせいにすることを徹底的にタブー視し、作り手が何か言えば
「傲慢。表現の仕方がまずいのが悪い」
と言って叩く。
確かに高尚な芸術ぶって無理解を嘆くのなら違うと思います。
でもある程度、高度なものは受け手としてもそれなりの理解力を求められるのは当然のことではないでしょうか。昔はもっと受け手側の理解力を磨く努力も重んじられていた気がしますが。だからこそ表現も高度になっていった。

作り手にはもちろん正しく伝える責任があります。だから表現力を磨くのは当然のことです。
だけど受け手にも最低限の理解力というものが求められるのではないでしょうか。
なんでもかんでも、
「私にも分かるよう作れ! そうしないお前は傲慢だ!」
と要求するのは一方的過ぎる。
自分も少しは理解力を磨くべきではないでしょうか。少なくとも義務教育を終えた人たちが、その年齢に相応しい一般レベルに達する程度には。

(たとえば上の話だと、番組を見ている人たちはエド・はるみを知らない年齢層の人たちではないはずです。彼女が活躍した時期にとっくに大人になってテレビを眺めていたはずなのに、「だって知らないもん」と開き直って表現者を責めるのは違うと思う。もちろん、知らないなら知らないで構わないが、知らないことをむしろ誇り相手だけ一方的に責めるのはどうか)


身近な例を一つ。
私は『永遠の雨、雲間の光』という小説を書いています。
この小説には残酷描写があり少し難解な設定もあるので、PG12と表記しています。
「PG12」とは、小学校をまだ卒業していないお子様は一人で読んではいけませんという年齢制限です。
つまり小説を読むのは中学生以上の理解力のある人を想定している。

ところがこの小説に対し、五十歳の男性がストーリー内の時系列を理解できずにクレームをつけてきました。しかもその五十歳男性は、一般人ではなくSF作家としてデビューする予定の人です。(O氏)
SF作家がストーリー内の設定を理解できない!? そんなバカなことがあるのか。
これは、作り手として想定外過ぎる事態です。

ちなみに『永遠~』は、主人公が過去の記憶を思い出して語るという、小説としてはわりとお馴染みの架空設定です。
O氏は、この「過去へ遡る」という流れが読解できずに、著者自身が現在そう語っているのだと思い込んでクレームをつけてきました。しかもその誤読のままアマゾンレビューにて著者への誹謗中傷を書き込むという暴挙に及んだ。(若干ストーカー化していたので私に構ってもらえなかったことへの怨みはあったと思いますが、それにしても作家にあるまじき誤読。国語能力低過ぎ)
「過去を遡る」という設定は、もしかしたら小学生には難しい設定だったかもしれません。でもPG12の表示があるので誤読の危険はないと思っていました。
まさかここまで読解力のない人が読むとは想定していません、まして一人前の大人が、SF作家が。

「最も理解力のない人にも分かるように書け」
と言うのは、極端な話こういう人にも理解できるように書かなければならない、ということです。
つまり絶対不可能だということ。


それなのに現代は作り手が「最も理解力のない人にも分かるように書け」という責任を持たされている。
そして少しでも分かりづらいことを言った作り手がいれば、悪魔のように責めて叩く風潮がある。
自分の無理解を棚上げして叩いていいと思っている。

これだから表現者は萎縮し、義務教育終了以下にも合わせようとして、どんどん表現のレベルを低下させていく。
そうすることで、また受け手の知識と理解力が落ちていく。
受け手の理解力が落ちるから、作り手はまた表現のレベルを下げる。
結果、負のスパイラルでどんどん表現は低下し、受け手の頭も低下し続ける……。

こんな世の中は、つまらないですね。
事実テレビも小説も、どんどん退屈になっていっている。
政治だって大衆迎合が行き過ぎて道義が通らなくなっています。民主主義だから大衆に合わせるのは当然なのですが、あまりに欲望追求だけに焦点が置かれ道義が通らないのは民主主義の理念としても間違っています。

この状況がもっと続けばこの世は生きる価値もないお粗末なものになってしまうはず。

今回ちょっといいなと思ったのは、水道橋博士氏が大衆の目ばかり意識せずに、「分かる人には分かる」ということをやり切ったからです。
もちろん「自分が正しいと思ったことを言えばいい」というプライドが行き過ぎると、トランプ米大統領候補のように「暴言王」になってしまいますが。
表現者には良いと思ったものを表現するという、ある程度の矜持と勇気が必要でしょう。
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