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『神との対話』感想

以前もこちらで少し触れましたが、『神との対話』という本があります。90年代後半に流行ったスピリチュアル本です。
ずっと本棚の肥やしだったのですが、本棚整理のためようやく読みました。

ごめんなさい、さっそく古書店に売ろうと思いますのでメモ的にレビューを書いておきます。

※辛口です。ファンの方は要注意※

『神との対話』ニール・ドナルド・ウォルシュ


著者のニール・ドナルド・ウォルシュは、失業して無収入になるなど人生に行き詰っていた49歳のある日、ノートへ神様への質問を書きなぐっていた。その時突然、自動書記で「神」からの答えが返ってきたという。
以降、「神への質問」をすると「神からの回答」という形で自動書記が続き、この対話集を出版したところ世界中でベストセラーとなった。

いわゆるチャネラーによる「預言」の本です。
この種の本の著者が、嘘をついているか本当の体験を話しているかということを問うのは愚問でしょう。
スピリチュアル系の話を全て嘘だと信じる人は無考えに「100%嘘に決まっている!」と断じるだけだし、全て信じる人は「100%真実です!」と激しく擁護するだけ。
どちらも思考停止の信者に過ぎない。
信者対信者の議論は永久に平行線です。やがて「信じるか・信じないか」で殺し合いが始まる。

だから私はこの種の著者の主張が本当か嘘かは考えないことにしています。
著者がそういう体験をしたと主張するのだから事実なのでしょう、と受け止めるしかありません。
(私の本の読者が、私の体験についてそう考えるべきであるように)

あとは本の内容が良いものか低俗かという評価の部分を、芸術性や整合性で判断しています。

――そしてこの判断基準にて、私の『神との対話』の評価は残念ながら「低レベル」というものです。
星で言うと三つくらいかな。

同種の本、『シルバーバーチの霊訓』や『モーゼス霊訓』に比べてしまうと、知性・芸術性において遥かに劣ると言わざるを得ません。
世界各国の宗教思想から適当にパクってきた文章を、何も考えずに繋ぎ合わせた印象です。
パクってきた文章なので、一つ一つを切り取って読めばそれなりに頷ける高度な話も多いのかなと想像してしまいます。

たとえば私が共鳴し、頷いた箇所は次の通り。
 1.あなたがた(魂)は既に全てを知っている。知っていることを体験するために地上へ生まれて来る。
 2.神は自分を体験的に知るために自らを分割した。

2の引用(1『神との対話』サンマーク出版 997年発行 初版より)
まずはじめにあったのは、「存在のすべて」、それだけだった。ほかには何もなかった。
その、「存在のすべて」は、自分自身が何かを知ることはできない。なぜなら「存在のすべて」――あるのはそれだけで、ほかには何もないから。ほかに何かがなければ、「存在のすべて」も、ないということになる。「存在のすべて」は、裏返せば「無」と同じだった。
これが、時のはじめから神話が語り続けてきた、「すべてであって/無である」ということだ。
P39

自分自身を分割したわたしの聖なる目的は、たくさんの部分を創って自分を体験的に知ることだった。
P43

仰る通りと思う。
私も自分が体験した記憶のなかでこの通りの啓示を受けたことがあります。

でもこの話はインド思想のブラフマンとしても説かれている。
「すべてであって/無である」は、色即是空ですね。
キリスト教圏の人にとってこういう思想は目新しく、高尚で真実らしく思えるだろうな。
東洋思想の知識が皆無の西洋人ならパクリだとしても簡単に騙されてしまう。
あまり知識のない現代日本人も、初めて触れる思想だから「素晴らしい!! こんな高尚なことを仰る語り手は本物の神様に違いない!」と信じてしまうはず。

パクリならパクリでも構いません。
正しく引用すれば役に立つ。
でも残念なのは、『神との対話』における東洋思想のパクリ方がとても中途半端なことです。

上の引用箇所の直後に、「神」と名乗る語り手はこう述べている。
東洋の神話で定義される神、つまり偉大なる「見えざるもの」とか、無、空といった説明もまた、神とは見えるすべてであるという西洋の現実的な説明と同じく、不正確なことになる。
P41

東洋の神話では「無、空が神である」なんて説かれていませんよ。笑
むしろ直前であなたがパクった話こそが東洋思想。
自分で使っておいてその知識がどこから来たか忘れてしまったのかな。

どうして人類を超越しているはずの「神」である語り手が、キリスト教についてはやたらと詳しく、東洋思想は中途半端にしか知らないのだろうね?笑

もう一つ指摘。
この神様はキリストとブッダ(おそらく釈迦、ゴータマ・シッダルタのこと)を「マスター」と呼び同一視しているみたいで、
「マスターとなった者は(全員が)迫害される」
と仰っているのだが、彼は釈迦が十字架にかけられたと思っているのだろうか?
なんと釈迦が天寿を全うしたことを知らないのですね。
(これは高次霊がキリスト教圏の人の知識に合わせて話してあげている、という感じではなく、完全に知らないだけ。個人の魂の曖昧な記憶なら「記憶違い」や「記憶欠け」もあって当然だが、神様と語る高次霊に知識の偏りがあるのは駄目だと思う)

以降、キリスト教的な三位一体については得意気に延々と語られる。この神様はどういうわけかキリスト教には詳しいし、キリストというアイドルの絶大なファンでもあるらしい。
輪廻転生についてはおそらくよく知らないのだろう、巻末近くに駆け込みで適当に回答される。

結局、こう言えます。
 神様  ウォルシュさん、あなたあまりキリスト教以外のことを知らないよね?笑
これが本当に「神様」なら、神様なのにインドかぶれの知性の低いアメリカ人程度の知識しかないのは不思議です。

人が「神」と呼ぶ高次霊は、西洋・東洋どちらかに偏りのある知識を持ちません。人から遠ければ遠い霊であるほど、地上的な表現に疎く、地上の知識に囚われない表現方法を選択します。

……これ以上は疲れるので突っ込みをやめましょう。
著者は若い頃インドを彷徨って、インド思想を学んでいたというのでもっと東洋思想に詳しくても良いと思うのですが、何故にこう中途半端な学習しかしていないのでしょうか。

以上は細かい誤りの指摘でしたが。
この本にはそもそも根本的な欠陥があります。それは、語り手である「神」の定義がきちんと行われていないということです。
ブラフマンと等しい根元のエネルギーそのものなのか。
あるいは人類の導き手である高次元の霊なのか。
それとも、人類と同程度の「神」と語る霊なのか。
この定義が一切行われないまま語り続けられる。そのため「私は神だ」と宣言したくせに不意に「私は神ではない」と言ってみたり、「あなたも私も同じ神である」と言ってみたり仰ることがふらふら定まらない。

『シルバーバーチ』や『モーゼス霊訓』を読めば分かる通り、語り手の定義は始めにきちんと定められています。
語り手は「神」と「人」との中間、高次霊の立場にいて動かないからこそ、一定の価値観で話をすることが可能となっています。
哲学思想のジャンルにある書物なら、この通り語り手の定義が決まらないと話の筋が通りません。
実際、『神との対話』は神様の定義の他に真理の話もぶれてばかり。
「宇宙に間違いなどない」
と言った直後
「あなたの考えは間違っている」
と言うなど、小学生でも突っ込みを入れることが可能なほど矛盾だらけなわけです。

この幼稚な矛盾だらけの話ぶりが気持ち悪くて、申し訳ないが私は半分くらい飛ばし読みで読み終えました。
ファンの方には悪いが、読み返す価値はないと思います。

本当のことを言えば、『バーチ』も『モーゼス』も現実に霊が降りてきて語ったのかどうかは分かりません。
書き手の潜在意識が語ったのかもしれないし、意図的な創作なのかもしれない。
『バーチ』などは二冊目以降、キリストを讃える言葉が多くなるようなので私は読む気が起きずにいます。
(この種の本で共通して残念に思うのは、初期は高次霊が語ったものらしい高度さを持っていても、やがて自分の宗教を讃えたいという人間のエゴが勝るのか一つの宗教のファンクラブ機関紙のようになり下がってしまうことです)

ただ『バーチ』『モーゼス』には知性と芸術性が感じられるので、文学者が書いた本と同様、読む価値があると感じます。

高度な内容であれば人間が書いたものだろうと霊が書いたものだろうと同じ。
(文章など見かけの高尚さのことではなくて、内容が高いかどうか。深いかどうか)
芸術として味わうのに誰が書いたかは関係がない。
だから大衆向けの低俗なスピリチュアル本を読み漁るくらいなら、人間が書いた哲学書や文学を味わったほうが遥かに有意義な時間が過ごせるし、真理への扉にも近付けると私は思います。




辛口ですみませんでした。

『神との対話』に感動の涙を流した人は、おそらく全体ではなく部分ごとの文章に感動されているのだと思います。
何故ならこれらは確かに切り貼りされた世界思想の真理であるから。

もし『神との対話』にはまったのなら、次に原典となった古典思想を読むと良いですよ。
『神との対話』は、いわば旅先の写真を散りばめた旅行パンフレットのようなものです。
パンフレットを眺めるより実際に旅行へ行ったほうがいいでしょう。
この程度のスピ本をたくさん何度も読み続けるよりも、原典に触れたほうがいいのではと思います。

★よろしければこちらもお読みください。関連性の高い記事です: 『シークレットのシークレット。人生の創造とは何か』

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