我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    知識がないうちに書くということ

     先日の旅先で撮った画像を整理していて、自分の記憶にある神社の配置と現実が全く異なることに気付き記憶というものの曖昧さに愕然としました。
     だいたい人間というものは印象深いものを近く(たとえば旅館などの基点から)に、印象薄いものを遠くに置き換えて記憶してしまうようです。
     そうやって頭の中で自分なりの「記憶地図」を作ってしまう。

     ほんの一週間前なのに記憶は既に作り変えられている。
     これが幼い頃の記憶なら建物や場所の位置関係が滅茶苦茶となるのは当たり前で、まして“前世”だったらファンタジー世界なみにあり得ない配置となってしまう。

     いや、普通は“前世”の建物や場所の位置関係など思い出す必要に迫られるシチュエーションはないので、不便はないでしょうが。笑


     これに関連した『我傍に立つ』の誤りをご報告しておきます。

     第十六章。
     “小高い丘”に立って国民に呼びかける場面。

     “首都の裏”にこのような場所があったのではなくて死ぬ直前にいた場所の誤りだと思います。

     と、いうことに私は執筆から5~6年を経た後、NHKの某番組にて現地の映像を見て気付きました。

     (だとすれば、もちろん国民一般に呼びかけたという事実もないことになります。下の草原を眺めた記憶と、部隊に号令した際の記憶が混ざったものです。ただ気持ちとしては「全国民へ」という想いがあったかもしれません)


     こういう間違いによって新たなストーリーが出来たことも、良いことだと私は思っています。

     そもそも執筆時はなるべく知識を仕入れずに自分だけのイメージに頼り、「自分なりのストーリー」を描くように心がけていました。
     後から眺めてみてもそれで正しかったと思う。

     今の知識ある状態で書いていたら、『我傍』は全く別物の小説になっていたはずです。

     知識や技術が邪魔となってしまうこともある。
     その時でしか書けないものが確かにあります。
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