2012
Jun
24
-
2009年と209年の物語/『高楼心譚』について
『高楼心譚』という歴史小説についてお話ししますので、少々実名を使います。
※架空小説タイトルは『逃亡のすすめ』、実名の旧タイトルは『高楼想話』です。新タイトルは→こちら中国在住の方に考えていただきました。
『高楼心譚』は歴史好きな方にはおなじみのエピソードではないでしょうか。
フィクションでもよく描かれるエピソードのようですが、あれは事実あったこととして史書に詳細が記録されています。
(オフレコのはずなのに具体的な台詞まで記録されているとは不思議ですがね。劉キ サイドの人が記憶していた可能性は充分あります。リアリティある話ですので確かに事実だとは思います)
『我傍』の執筆当時はこのエピソードに私自身が共感する感覚がありませんでしたので素材として使いませんでした。
だいたいこんな特殊過ぎる話を挿入したら、国・時代が限定されてしまいますから『我傍』 の目的にも合いませんし。
しかし執筆から時を経て、私はあの高楼での対話にひしひしと共感を覚えるようになっていました。
何故なら自分の人生において似たような経験をしたからです。
もう時効だと思うので書いておきます。
『我傍』発表の一年後だったでしょうか。
私はある年下の女性と知り合いました。
『我傍』の読者として彼女が感想メールを送ってくれたのがきっかけで、以降ネット上で交流が始まったものです。
いつしかプライベートなことも話すようになり、そのうち彼女の家庭の事情を知ることになった。
酷い家庭の状況でした。彼女は親からないがしろにされ、人生を失いかけていた。
それで私は彼女に、「逃げろ」と言ったのです。
言ってはいけないことなのかもしれません。彼女にとって「逃げる」ということは家を見棄て、故郷を棄てるということでした。知り合って間もない他人が言うべきことではなかったかもしれない。
躊躇はしました。でも、逃げなければこの子の人生は無いと思った。
後から思えば、です。
インターネットというまさに“高楼”で、他に聞いている人もいないので言えたことでした。
ネット上の交流記録を家族に見られたら自分も巻き込まれて責められるだろうという考えは頭を過ぎりました。
“他人が言うべきではない”とその時は迷いましたが、他人であればこそ言えたのだと思います。
結末から言いますと、彼女はその数年後に勇気をふるって家を出ました。
実に大変でしたが、やり遂げた勇気と実行力が素晴らしかった。
そののち、彼女は自分自身の力で幸福を手に入れています。
見事に新しい未来を手に入れたのでした。
夜も眠られずに(と言うのはこちらの勝手ですが)、彼女の幸福を願い続けた私は幸せになってくれた彼女に心から感謝しました。
他人の幸せが自分の幸せとはよく言ったものです。
本当に人の幸福ほど幸せなものはない。
あまりにも見事な転身に、ありがとう、しか言えませんでした。
まったくこちらは何も手助けせずに全ては彼女自身の実力でやり遂げたこと。
尊敬していますし、何も出来なかったことを詫びたいと思っています。
実を言えば、『逃亡のすすめ』は2009年に過去の彼女とのネット上のやり取りを整理していてむしょうに懐かしくなってしまい、
「この時の気持ちを書き残しておこう」
と思い立ち執筆したものです。
さすがに現代そのままの状況で書けばまずいことが山ほどある。
ですので、せっかく似たような出来事が歴史上にあるわけですからまたお借りして書きました。
※自分の気持ちを現在の状況で語ると支障あるため過去の似たような出来事を借りて話す。こういうのを心理学上では「転嫁」と言うらしいです。思えば私は「転嫁」してばかりです。笑
(ん? 「転化」かな。錯誤帰属? すみません知識曖昧)
そして実際に仮名で『逃亡のすすめ』を書いてみれば、ほとんど記録通りの話となってしまったので
「これはもしかしたら実名でいけるんじゃないか?」
と気付き、そのまま実名に変換して歴史館に載せたわけです。
まあ、お酒の銘柄などは少し意図的に遊んでおりますが。
あのままただ実名に変換してもあまり矛盾がなかったことが我ながら恐ろしい。
『高楼心譚』を書いてからふと気付いたことは、歴史において「お別れ」となるのが209年であったこと。
ちょうどそれを執筆したのが2009年だったので不思議な因縁を感じました。
もしかしたら彼女とお別れとなるのかなと薄々感じたものです。
やはりそれから間もなく都合によって離れることになってしまいました。
小説のような良いお別れではなかったのは残念です。
彼女の性格や価値観は現実の劉キとはまるで異なるので、悲しいことですがやむを得ないと思っています。
どんな形の別れであれ、死なれるより遙かにまし。
遠く離れた今でも私は彼女に幸せでいて欲しいと願っています。
かつて私に対し、「恩知らず!」と罵倒した読者様がいましたが(メールの返信が遅れたとかで)、私はあの年下の彼女ほど心を注いだ相手に対しても
「恩を返せ」
などと一度も思ったことがありません。
もし「恩返し」というものをしてもらえるなら、本人が幸福でいて欲しいです。
それ以外なにも要らないと思いますね。
幸福で、
他人を妬まず
他人と競争せず
ただ誠実に真摯に、どうか自らの人生を大切に生きていって欲しいです。
※架空小説タイトルは『逃亡のすすめ』、実名の旧タイトルは『高楼想話』です。新タイトルは→こちら中国在住の方に考えていただきました。
『高楼心譚』は歴史好きな方にはおなじみのエピソードではないでしょうか。
フィクションでもよく描かれるエピソードのようですが、あれは事実あったこととして史書に詳細が記録されています。
(オフレコのはずなのに具体的な台詞まで記録されているとは不思議ですがね。劉キ サイドの人が記憶していた可能性は充分あります。リアリティある話ですので確かに事実だとは思います)
『我傍』の執筆当時はこのエピソードに私自身が共感する感覚がありませんでしたので素材として使いませんでした。
だいたいこんな特殊過ぎる話を挿入したら、国・時代が限定されてしまいますから『我傍』 の目的にも合いませんし。
しかし執筆から時を経て、私はあの高楼での対話にひしひしと共感を覚えるようになっていました。
何故なら自分の人生において似たような経験をしたからです。
もう時効だと思うので書いておきます。
『我傍』発表の一年後だったでしょうか。
私はある年下の女性と知り合いました。
『我傍』の読者として彼女が感想メールを送ってくれたのがきっかけで、以降ネット上で交流が始まったものです。
いつしかプライベートなことも話すようになり、そのうち彼女の家庭の事情を知ることになった。
酷い家庭の状況でした。彼女は親からないがしろにされ、人生を失いかけていた。
それで私は彼女に、「逃げろ」と言ったのです。
言ってはいけないことなのかもしれません。彼女にとって「逃げる」ということは家を見棄て、故郷を棄てるということでした。知り合って間もない他人が言うべきことではなかったかもしれない。
躊躇はしました。でも、逃げなければこの子の人生は無いと思った。
後から思えば、です。
インターネットというまさに“高楼”で、他に聞いている人もいないので言えたことでした。
ネット上の交流記録を家族に見られたら自分も巻き込まれて責められるだろうという考えは頭を過ぎりました。
“他人が言うべきではない”とその時は迷いましたが、他人であればこそ言えたのだと思います。
結末から言いますと、彼女はその数年後に勇気をふるって家を出ました。
実に大変でしたが、やり遂げた勇気と実行力が素晴らしかった。
そののち、彼女は自分自身の力で幸福を手に入れています。
見事に新しい未来を手に入れたのでした。
夜も眠られずに(と言うのはこちらの勝手ですが)、彼女の幸福を願い続けた私は幸せになってくれた彼女に心から感謝しました。
他人の幸せが自分の幸せとはよく言ったものです。
本当に人の幸福ほど幸せなものはない。
あまりにも見事な転身に、ありがとう、しか言えませんでした。
まったくこちらは何も手助けせずに全ては彼女自身の実力でやり遂げたこと。
尊敬していますし、何も出来なかったことを詫びたいと思っています。
実を言えば、『逃亡のすすめ』は2009年に過去の彼女とのネット上のやり取りを整理していてむしょうに懐かしくなってしまい、
「この時の気持ちを書き残しておこう」
と思い立ち執筆したものです。
さすがに現代そのままの状況で書けばまずいことが山ほどある。
ですので、せっかく似たような出来事が歴史上にあるわけですからまたお借りして書きました。
※自分の気持ちを現在の状況で語ると支障あるため過去の似たような出来事を借りて話す。こういうのを心理学上では「転嫁」と言うらしいです。思えば私は「転嫁」してばかりです。笑
(ん? 「転化」かな。錯誤帰属? すみません知識曖昧)
そして実際に仮名で『逃亡のすすめ』を書いてみれば、ほとんど記録通りの話となってしまったので
「これはもしかしたら実名でいけるんじゃないか?」
と気付き、そのまま実名に変換して歴史館に載せたわけです。
まあ、お酒の銘柄などは少し意図的に遊んでおりますが。
あのままただ実名に変換してもあまり矛盾がなかったことが我ながら恐ろしい。
後記。
『高楼心譚』を書いてからふと気付いたことは、歴史において「お別れ」となるのが209年であったこと。
ちょうどそれを執筆したのが2009年だったので不思議な因縁を感じました。
もしかしたら彼女とお別れとなるのかなと薄々感じたものです。
やはりそれから間もなく都合によって離れることになってしまいました。
小説のような良いお別れではなかったのは残念です。
彼女の性格や価値観は現実の劉キとはまるで異なるので、悲しいことですがやむを得ないと思っています。
どんな形の別れであれ、死なれるより遙かにまし。
遠く離れた今でも私は彼女に幸せでいて欲しいと願っています。
かつて私に対し、「恩知らず!」と罵倒した読者様がいましたが(メールの返信が遅れたとかで)、私はあの年下の彼女ほど心を注いだ相手に対しても
「恩を返せ」
などと一度も思ったことがありません。
もし「恩返し」というものをしてもらえるなら、本人が幸福でいて欲しいです。
それ以外なにも要らないと思いますね。
幸福で、
他人を妬まず
他人と競争せず
ただ誠実に真摯に、どうか自らの人生を大切に生きていって欲しいです。
- 関連記事