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新世紀的"世界三分計"、未来の中国へ希望を抱く

世間話の続き。昨日眺めていたサイトでこの記事も面白かった。

 ⇒正月に神社、教会で結婚式、死んだらお経・・・奇妙な宗教観を持つ日本人=中国メディア
 中国メディア・今日頭条は8日、「日本人のクレイジーな宗教観」とする記事を掲載した。記事は、「日本人は宗教信仰において非常に奇妙である」とし、正月に神社へ初詣に行き、結婚式は教会で行い、死んだときにはお経を唱えてもらうと説明している。複数の宗教が入り混じっている点が「奇妙」ということのようだ。


いや、K産主義教の信者でありながら、金儲け大好きな君たちに「クレイジー」と言われたくないな(笑)。
我々から見るとK産教のほうがよほど「クレイジー」だよ。

……失敬。K産教はもう世界的に終わっているから忘れるとして。
(その後、密かに盛り返してきたことが分かったため「終わっている」は撤回。経済構想としては誤りが実証されたので確かに終わっているのだが、殺人を目的とするカルト思想としてはまだ終わっていない。これからも彼等は人類へ害毒をまき散らし続けるだろう)

そもそも日本の寛容な宗教観はどこから来たのか、と言うと、中国大陸ではないかなと私は思う。
現代では「和国の土着宗教が自然崇拝の多神教だったから」と見るのが普通だし、確かにその要因が大きい。故に海を渡り流れ着いたユダヤ教もギリシャ的神秘主義も、この地で混ざり合って根付いた。

ただ東アジアに住む民族全般、宗教への執着が苛烈ではないことでは共通している。
「異教徒を強制的に我が宗教へ改宗させよ。抵抗するなら殺せ」という、白人的な考えを持つ人が東アジアでは少ない。
これは白人と比べて穏やかなDNAのせいなのかもしれないが、それ以上に東アジアへ影響を与えた古代中国が、これといった統一宗教を持たない国だったことが大きいのでは。

古代中国に統一宗教は無い。
漢で国教となった儒教は神を崇めるものではなく現世の教えであるから、西欧の学者たちが「儒教は宗教」と無理に定義して理解しようとしているのは間違っている。
かろうじて道教が古代中国の宗教だったと言えるだろう。道教をベースとしたミニ宗教団もたくさん生まれた。ただし道教は曖昧模糊として難解で、現代人の目から見れば「哲学思想」のジャンルに近い。
道教は考えることを要求し、「一つの神を崇めていれば天国へ行ける」のように思考停止させてくれるおバカさん向けのシステムがない。だから全人民の頭を支配するまでにはいかなかったのではないかな。

初めて宗教として中国大陸に浸透したのが仏教だった。これは成功して日本など東アジア全体に広まった。
たぶん、寛容で平和的な教義が東アジア人にマッチしていたのだろうし、「儒教」「道教」をミックスされ中国ナイズされた仏教が東アジア文化圏では親しみやすかったせいだろう。
結果を見て言えば中国仏教は偉大なる発明だったのだと言える。

※何の話か分からない方へ: 現代、我が国に浸透している仏教教義はインドのものではなく完全に中国化されたものです。たとえばお葬式で表される「家族愛」、代々お墓を受け継ぐ「お家重視」の発想は本来の仏教にはありません。中国で儒教がミックスされた故に今の日本ではこうなっている。

こうして見てくれば分かる通り、あらゆる宗教に寛容でミックスするのが得意なのは、日本人だけではなく中国人もだよと言いたい。
 たとえばこちら参照、→関羽が仏や神様とともに祭られている関帝廟

特に仏教に関して言えば中国の功績が圧倒で大きい。
まあそういう中国人の寛容でフレキシブルな性質が、今もパクリ大国として表れてしまっているのだが(笑)、他人の発想を自分なりにアレンジするのは決して悪いことではない。ただし著作権は許可を取って欲しいね。


近代の中国は、この寛容さに付け入れられK産主義に侵されてしまった。

日本は当時、神道の力を強めたから救われたな。神道で国民を支配したことには批判も多いしその後の悲劇も招いたわけだが、長い目で見れば戦略的に成功したと思う。
おかげで神道だけではなく伝統仏教も守られた。(廃仏毀釈、あまり効果がなかったらしい)
これからも日本は伝統的な信仰心を大切にしていかなければならない。
世界的に見ても希少な伝統信仰が、これ以上ないくらいの強固な防御壁となるはずだ。

そして今後、期待するのは中国。
K産主義を失って空白となった宗教の座に、再び仏教を戻せないかな。
13億人(現実にはキ教・イ教も多いのでこれを抜いた人民ということだが。それでも10億人)が仏教を信仰するようになってくれたなら、一気に形勢逆転。
あの狂暴なキ教とイ教にも対抗できますよ。

平和主義で、徹底的な自己責任を貫き、キ教やイ教と違って殺戮の免罪符を発行しない仏教の信者が増えたなら世界は今より少しはマシになるだろう。

あくまでも、「少しはマシ」という程度だが。
消去法で言って、中国ナイズされた仏教(つまり今の日本で保存された仏教)は他の宗教よりも遥かにマシだと言うだけのこと。
同じ仏教の看板を掲げていても、他の宗教を「邪教」と呼んで差別したり殺戮する団体はいるので、仏教だからと言って無条件に信頼することもできない。南方のある国では仏教が他教を弾圧して難民まで出している。


私自身は宗教団体が嫌いだし、どんな宗教団体も全く信頼していない。
組織的に宗教を押し付けるのは争いのもと。人類にとって宗教団体ほど有害なものはない。いずれ世界中から組織的宗教が全滅することを願っている。
だけど現時点の世界でそれを望むのは性急過ぎる。
K産主義がやったように、いきなり「無宗教」を強制するのもいけない。
唯物主義の無宗教を強制した結果として、現代このような腐った世界になったのだから。

「無宗教」と言うのは、それはそれで一種のカルト宗教だ。
「無宗教」と言うからには目に見える物質以外の存在を全否定しなければならない。つまり厳密に言えば、霊魂はもちろん、重力も音も空気も否定しなければならない。自分が見たもの以外を信じてはいけないのだから、彼らは宇宙の存在も否定しなければならないということになる。ファンタジー小説でさえ理解する能力を失ったおバカさんにならなければならない。
そんな無宗教者は、クレイジーなカルト信者以外の何物でもない。クレイジーだから平気で人を殺すようになる。

上のURLで、日本人には「自分は無宗教です」と答える人が多いと書いてあるが、実際は日本人で無宗教な人は少ないはず。
日本人の言う「無宗教」とはただ宗教団体には属していないというだけの意味で、目に見えないものの存在を信じられる人が多く、それ故に他者への配慮ができる。
これこそ人類が持つべき本能的な信仰心というもの。
本能だから認めるのが当然だし、形而上世界を感じ取っている感性は真実を反映していると私は思う。


そんな日本でかろうじて保存されていた伝統仏教が、これからの世界のシェルターになるのでは?

そして鍵は中国の10億人が握る。
新世紀の三分計。
キ教・イ教への対抗勢力として仏教を中国で復興させるべきと思う。

――そうなると結局は世界を三分する宗教戦争となりかねないが、あくまでも仏教は仏教教義にのっとり、平和主義でね。改宗を強制する一神教が攻めて来た時だけ専守防衛で戦いますか。


最近、中国で仏教が流行りつつあるらしい。この話は希望。
今の中国で流行しているのはエセ仏教で新興宗教に発展する可能性もあるので、日本の仏教者は早急に本腰を入れて布教活動すべきだと思う。
(ついでに希望を言えば、仏教を取り戻すことで中国人が古い時代の道義心を思い出し、周辺国への態度を改めてくれたらいいと願う。とりあえずK産教やめるべき)


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