~について(基本的な考え方)

    金が全ての価値観、スマホやコーヒーから目を逸らしてまで金を貯める目的は何だろう

    最近ネットを眺めていて気になった記事。

     ⇒富裕層は「スマホ」と「コーヒー」に目もくれない

    要旨:
    「富裕層になるには欲望から目を逸らすこと。スマホを持たない、コンビニに行かない。その節約した100円がチリツモで未来の100万円となる」

    ごもっともと思ったし、スマホゲームに溺れて課金して散財する人々は不幸だと私も思うが……。
    この記事を書いている方も、ちょっと極端過ぎるのではないか。
    極端だからこそ今の極端な成功があるのだろうが、彼の生き方が最良の人生かと考えると疑問だ。

    家から一歩も出ずパジャマのまま毎日過ごし、コンビニにも行かず、一杯のコーヒーさえ飲まずに送る人生が最良なのだろうか?
    そんな人生を羨ましいと思うべきかどうか。
    単純に、自分だったらそんな生活は地獄だと思う。

    仕事のために外へ出て、労働し、一日の疲れを一杯のコンビニコーヒーで癒す。
    こんな日常のささやかな幸福の瞬間が、実は人生の本質だ。
    死んだ時に振り返って気付くだろう。あのコーヒーを飲んでいた日常こそが幸せだったと。その瞬間のために人生を与えられていたのだと。

    もっと現実的なことを言えば、外へ出て歩いて毎日一杯の良質なコーヒーを飲む、これだけで健康な体を養えるというメリットがある。
    一杯のコーヒーが防いでいる病、抑えられている支出、入院等で失わずに済む時間等々のメリットは絶大なものになる。

    「今の100円は将来も100円ではなく、100万円の価値となる」(投資して増やせば100万円となる可能性がある)
    という考えは正しい。
    だけどあなたが十年後も生きているとは限らない。
    明日死んでしまえば、今日100円で味わえる幸福を味わわなかったことが損失となるだろう。

    人生の最大のリスクとは何かと言うと、私は「後悔すること」だと思う。
    死ぬ時に振り返って激しい後悔に苛まれること。これを最低の人生と呼ぶ。
    まあもちろん、後悔のない人生などないのだが、何も味わうことなく終わるのは誰にとっても不幸だと言える。

    上の記事を書いた方、東大法学部出で行政書士かつ億万長者の金森氏は、きっと巨額の借金を抱えた時に金のありがたみを知ったのだろう。
    それで、「金を得る」ことのみを目標として生きて来られたのだと思う。
    さすが東大卒、知能を駆使して巨万の富を得た。
    それはそれでご立派。
    今後は財力で日本政府を動かすのかもしれないし、世界を裏側から操るのかもしれない。権力で困っている人々を救済したなら金を稼いだことにも何か意味があったと言えるのだろう。

    だけどただ富を得た、というだけなら何のためだったのか。
    暗い部屋で一日過ごして外の風を感じることなく、コーヒーの匂いも嗅がずに人生を終えたのだとしたら。
    牢獄の中で一生過ごしたのと同じではないか。※

    あまりにも金・金だけ考えていると、結局は彼らが「底辺」と蔑む貧乏人より遥かにクオリティの低い人生を送ることになるだろう。

    昔の人が「金持ちになりたい」と望むのは清潔で快適な生活を送るためだったはずだが、現代では金持ちほどクオリティの低い生活を送っていることがあるね。
    どれほど金持ちでも不潔だったり、不健康だったりするなら人生を損していると思う。
    逆に言うと、(現代日本の場合)貧乏人でも清潔で快適な生活をすることが可能。そのようなクオリティの高い生活をしているなら金持ちよりも幸福と言える。

    もちろん「いつ死ぬか分からないから刹那的に生きろ、欲望を貪ったほうが得」と言っているのではなくて欲望を抑えるのは大事。
    でもそれは金だけのためではなく節度ある快適な人生を送るため。
    (年金も払ったほうがいいよ。他人に迷惑をかけないように)

    金だけを目的として他の全てを棄てるのは、生きることの本来の目的を見失っていると言えるのではないか。


    ――余談だけど、私は子供の頃に「マシュマロの実験」をされたなら100%待つことができるタイプの子供だった。(マシュマロが好きではないから、ではなくて、好きな物でも)
    欲望の抑制力は半端ではない子供だったと思う。
    にも拘わらず、現在世間で言うところのいわゆる"成功者"(金持ち)になっていないのは、金を目的として生きて来なかったからかな。
    何を目的とするかで人生は変わってくる。


    ※病気で外に出ることができない人の人生までも「無意味だ」と言っているわけではない。不可抗力で何もできない人生にも耐え忍ぶことの意味がある。そうではなく、金だけを目的として自ら牢獄に引きこもり、人生を味わうことを忘れるのは大損ではないかということ。
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