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    努力は必ず報われる … のか?

     S様、メールありがとうございます。遅くてすみません。
     ご質問に回答させていただきます。
     (回答と言うか、雑談になってしまいますが)
     たぶん今まで書いてきたことの繰り返しになる部分もあります、ご容赦を。


    「努力してもなぜか報われないことがある」とのお話。
     その通りと思います。
     現世において、努力が報われないことは絶対にあります。
     厳しいことを言うようですが、それが現実です。

     「努力が報われない」代表みたいな人生が、今の私の人生かもしれません。

     ご存知の通り、頑張って目標達成して晴れて夢が叶うはずだったのに、その直前でシャッターを降ろされたように夢が絶たれるということがありました。

     学生時代から何度もそのようなことがあり、
     何一つ夢が叶わないまま年齢だけ重ねてしまい、
     もう最近では未来を想う気力すら無くなってきました。

     「自分はあきらめるために生まれたのか」
     「自分の人生は生まれた時からなかったのか」
     「自分には生きる資格がないのかもしれない」 
     「(過去に)人殺しだったから生まれる資格がなかったのでは」 ……
     何度もこう思いました。

     でもね、最近ではこうも思うんです。
     夢が叶わなかったために今の穏やかな日々があるんじゃないのか?
     そして実は、生まれる前に願っていたのはこの「何もない平和な日常」だったんじゃないのか?と。

     仮に自分の見たイメージが現実だったとすると、
     確かに筋道の通る話ではあるのです。

     戦争の時代を生きた過去の私は、心から平和な日常を願っていました。
     そんなかつての私の最大の夢と言えば、
     「一生、のんびり読書して暮らすこと!」
     だったように思います。
     ところが、その夢は過去には実現しなかった。
     だから今の「戦争のない国で過ごす読書三昧の人生」は、
     過去の自分から見れば切望し続けた夢の日々なのだと思います。
     これこそ生まれる前に自分で計画していた人生なのであって、
     実は夢が叶った結果なのではないかと思うのです。

     つまり私は夢を絶たれたように思って苦しんでいましたが、実は全て生まれる前に自分で計画した人生のための道だったのかもしれません。
     そして夢を絶った外部からの圧力とは、その夢に導く「守護霊」たちの援助だったのかもしれない。
     (前にも書いたように、休憩するための人生を与えてくれたのかもしれないとも言えますが。どちらにしろ実は自分が望んだ気がする)

     人間、過去に自分で願っていたことは忘れてしまいます。
     前世なんかではなくても十年前の自分が何を考えていたか、正確に覚えている人などいないのですよ。
     十年前の日記を見つけて
    「こんなこと願っていたのかー」
     とびっくりすることはよくあります。
     そのわり困ったことに、この世のシステムとしては思い描いたことが正確に実現するように出来ています。
     自分ではすっかり忘れていた夢が遥か未来に突然叶って、その時はそんな気分ではないので「邪魔が入った」と勘違いしてしまう。
     そんなこともままあります。

     あとは他の人との運命が科学変化した結果としての、「宿命」の問題です。

     「宿命的な不幸」などと言いますが、それも全て自分でまいた種です。神様なんかが決定するわけじゃない。

     十年も経てば忘れてしまう債務も実は自分で作ったものです。
     否定したくなるでしょうが、決定権は全て過去の自分にあったのです。

     しかしこの債務の表れ方が実に複雑で、人間の計算能力では結果を想定することが出来ないため、まるで「神から押し付けられた悪運」のように見えてしまいます。

     それで神を殺してしまった、「運命(宿命)否定論者」というのが近代に出て来ました。

     だけど神を殺しても「宿命」という債務を避けることは出来ないんじゃないでしょうか。だって神様なんか関係なくて、自分でやったことなんだから。

     科学的・物理学的には原因があれば結果は避けられないよね?
     法律だったら自己破産で免責されるけど、物理は人情関係ないからそれも無理だよね。
       
      ――と言うのが『我傍』執筆15年を経た、私の結論です。
     
     もし「宿命」や「運命」を避ける方法があるとするなら、唯一、新たな科学変化(物理的な作用)を起こすことだけだろうと思います。
     つまり今に力を加えて未来の軌道を変えていくわけです。
     これがいわば、努力というもの。


     で、勘違いして欲しくないのは、
     「努力は必ず報われる」という言葉は正しくないのだけれども、
     「努力は無意味」という言葉もまた真実ではないのだということ。

     今という現実に加えた努力の作用、これは心の中で願ったというだけでもいいのだけど、それは必ず蓄積されて未来に影響を及ぼします。
     その未来が十年先か五十年先か、千年先かは分からないが、必ずです。

     ……と言うのも、生きているうちに夢が叶わない人にとっては虚しいですがね。
     私だって、何度
    「努力は無意味だった。自分の人生は全て無意味だ」
     と思ったことか。
     こういう気持ちになるのは人間の感情として仕方のないことです。
     だけどこの世のシステムとしては、努力が未来に作用を及ぼすように出来ています。
     人間ごときが嘆こうがわめこうが関係ない。真実、そのようです。


     ここまでくると、「信じるか信じないかはあなた次第」という話のレベルになってきますが、
     生きたこと、 
     ここに存在したこと全てが無駄ではなかった

     と信じて良いと思います。そのほうが人生、楽しくなります。

     ※ただ現実的な話をすると、しなくて良い努力や掛ける必要のなかったお金はありますよね。
     苦労を避け、自然体で生きていても「生まれる前の計画が実現された」結果になることはよくあります。
     何が今の自分にとって一番大切なのか、常に自分の心に問いただすようにするべきなんでしょうね。

     (という自戒)



     ちなみに、ですが、私は最近うっかり現世の夢を叶えてしまいました。
     そのため忙しくなってサイト更新も出来なくなっているわけです。
     結果、のんきに読書三昧という日々が終わってから気付きました、
    「あれ これ 本意じゃなかったんじゃない?」と。(笑)
     人間というのはバカなものです。私だけかもしれませんが。
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