前記事で紹介した本(『“しくじり”から学ぶ世界史』宇山卓栄著)を読みながら、「現在の自分の“しくじり”は何だろう?」と考えていた。
ほとんど無為に送っている人生なので、人生丸ごと“しくじり”のような気がするし。
そうではなく、自分で望んだ平穏な人生であるならこれこそ「本望」で、全く“しくじって”いないどころか夢が叶った人生だとも言える。
「生まれてからずっと平和の中で暮らしたい」とは、間違いなく前世で強く願ったことだ。未来はどうなるか分からないけど、「生まれてからずっと平和」については叶った。
「騒がれることなく、目立たず、平凡に生きたい」ということも激しく願ったはずで、見事に叶っている。
「善良で平和的で、国民のことを想う国家元首のもと生きたい」との願いも叶っているのだと最近気付いた。
「血統差別がなく、貴族も平民もなく誰もが自分の意志で自由に生きられる世界へ行きたい」も(表面的には)叶っている。
私はずっと自分で自分の人生を“しくじり”と考えていたが、実は何もしくじっていなかったのだな。
これは想像以上に夢が実現した人生なのだ。
「人生は贈り物」とは、真実だった……。
このことに気付けばすぐに幸福がやって来る。
今の現状変わらないまま、「今ここ」を有り難しと思える。
目を開いて見渡してみれば、毎日がきらきらと輝いていると分かる。
今現在、傍にいる人を愛しく思う。
君がここにいる奇跡こそ有り難きこと。
「これも全て同じ一日」ということはない。二度と訪れることのない今日の一瞬に感謝。