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見せかけの民主主義、見せかけの平和。
それも間もなく、終わろうとしている。

この七十年、世界は「よくこれで均衡が取れて来たな」と呆れる危いバランスの皿の上に乗っていたようなものだった。
戦後遥かに過ぎてから生まれた我々には既にどうにもできないほどお粗末な世界となっていたが、それでもどうにか張りぼての理想のもと世界は存在し続けて来た。
これからは世界そのものが消えてなくなるかもしれない。
紛争は一部地域に留まらず、国家という概念も今までのようなものでは存在しなくなるのだろう。

思えば、世界一の超大国が頭の悪い独裁者に乗っ取られる日が来るとは誰が予想したか?
国家そのものが凶器であるあの国を、我がままな王様が操る恐怖の日々。王様の暴走を、国民が掲げ信奉する「民主主義」が許す日が来るとは。

我が国では再び軍国主義と官憲が蘇ろうとしている。あれほど人々が嫌って恐怖した悪鬼が。
これからまた大勢の一般人が逮捕され、自白を強要され、大量の冤罪で人々が苦しめられ自殺するのだろう。
今まで「共謀罪」などなくても冤罪が量産されてきたのだから。これから国は「共謀罪」を免罪符としてもっとたくさんの冤罪を生み、虐殺を愉しむことができる。愉しむつもりでいる。
しかし将来の被害者たちは「自分には関係ない」と見て見ぬ振り。それどころか自分だけは守られているという幻想のもと独裁者に尻尾を振り、反対の声を上げる人たちを攻撃している。
訳の分からない奴隷根性で、自分の身と家族を供物として捧げることに酔っている。

私たちは今、地獄の入り口の第一歩を目撃しているのだろうな。
懐かしい理想、子供の頃から当たり前だと信じてきた価値観はこれほど簡単に踏みにじられることを知った。

それでも理想は良いものだったよ。
見せかけの平和であっても幸福だった。

一度覚えてしまった理想の味を魂が忘れることはない。
もし来世というものが存在するなら人々はあの理想へ還りたいと思うはずだ。
だから平和を記憶したことは無意味ではない。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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