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ミュシャ展、スラヴ叙事詩を観に行った話

『プラハの春』の舞台、言論と芸術の国チェコ。
そのチェコの著名な画家ミュシャ(ムハ)による傑作、『スラヴ叙事詩』全20作品が日本で一挙公開されるとのことで、25日に行って来た。
(天皇・皇后両陛下のご鑑賞と同じ日だったとのこと。お姿は拝することができなかった)

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『スラヴ叙事詩』とは、スラヴ人の神話や歴史を巨大なキャンバスに描いた連作。
日本流に表現するならスケールの大きな“絵巻物”となるか。
巻物ではないが、「歴史の流れを通して描く」というコンセプトとして。もしかしたらミュシャは日本の歴史絵巻の影響も受けたのかもしれない。

場所は六本木の国立新美術館。
混雑を避けて平日の昼に行ったのだけど、驚きの50分待ち。
美術館で50分も行列に並ぶのは初めてだった。

さすが有名なミュシャ。さらに今回は『スラヴ叙事詩』全作品の日本初公開ということでファン以外の関心も誘っている。
私もファン以外で関心を持った一人。
彼の描く優美な女性画ポスターには今まで関心がなかったが、『スラヴ叙事詩』にはヨーロッパ・チェコの歴史を描いた連作ということで興味を持った。これは直接に自分の目で見ておかなければ後悔する、と強く思った。

50分待った甲斐があった。
入場からいきなり迫力満点の巨大な絵に圧倒される。

圧倒されるのは巨大さだけではなく絵としての美しさ、そして物語性。

侵略の恐怖に怯える人物の瞳は「カメラ目線」ならぬ「鑑賞者目線」で描かれている。
しかも手前の人物は強いタッチで描かれ等身大。絵の正面に立つ鑑賞者は、自分の目線と同じ高さから真っ直ぐにこちらを見つめる視線に射抜かれることになる。

悲喜劇に翻弄される人間たちを淡々と眺める神々は宙に浮き、しかもキャンバスからはみ出している。まるで3D映画のよう。
背景の歴史を学びながら眺めると濃厚な物語が流れ出す、人物たちが動き歓声も聞こえてくるかのようだ。

他国に蹂躙され続けたチェコの悲劇は、ヤン・フスの宗教改革とその後の戦争で盛り上がり、ラストに希望の虹がかかる。

mu2-1706.gif

これら歴史の情景を、宗教画のような濃淡のはっきりした描写ではなく、淡く繊細な色使いとタッチで描いているということに凄みを感じる。
淡い色使いがリアルな描写よりもむしろ現実に近く思えるのは、実際の記憶とはこんなふうに光で霞み、身近な人々は印象強く無関係な人たちは遠くにぼやけて思い出されるからかもしれない。

一緒に行った家族が、
「アニメみたい。『君の名は。』っぽい」
としきりに言っていた。
ミュシャファンの方に怒られるよとハラハラしながら、私も同感だった。
そうだな、絵のタッチは現代日本のアニメにも似ているな。
それも現代の最高技術を駆使したもの。透明感のある天使や神々の描写などはCGと見まごう。

ミュシャという人は、日本画の影響を最も本質的に受けた画家……なのだろうな、と素人ながら感じた。
現代日本アニメ絵ほど、現実の記憶を正確に再現している絵はないと思う。その原点はミュシャなど日本画に影響を受けたイラストレーターにあり。
卵が先か、鶏が先か。お互いに影響を受け合って良いものが育っている。

ただ『スラヴ叙事詩』が日本のアニメや日本画と違うのは、強烈な民族の精神性が作品に織り込まれていることだ。
自由と平和への願望、その熱量は日本人とチェコ人では圧倒に違う。
蹂躙され自由を奪われ続けた民族と、蹂躙された経験のほとんどない民族との違いか。


鑑賞から数日経っても『スラヴ叙事詩』の印象は消えない。
絵から放たれたエネルギーと歴史物語が脳内でループしている。

まだ細かいところは勉強不足で分からないことが多いので、買ってきた図録を読みながら味わい直したい。



ところで今までお馴染みなほうの女性画などは、少女趣味だと思って関心がなかったのだけど、あの大作を観た後ではこちらも素晴らしく感じた。やはり、日本風あるいは中華風。



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