心理テストや体、脳のことなど

    「共感覚」と、「色なし」の話

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    少し前にツイッターのモーメントで「共感覚」が話題になっていて、反応してしまったことがある。何故なら私もその共感覚の持ち主なので。

    21/6/24 改稿(読みづらかった箇所を修正)。常体記事です。



    共感覚とは何か


    「共感覚」とは文字に色を感じるなど、無関係に思える二つの感覚を脳内で結び付けてしまう人のこと。

    たとえば筆者の場合、「あ」は赤、「い」黄、「う」紺、「え」緑or濃紫、「お」黒。
    「1」白、「2」赤、「3」黄緑、「4」ピンク、「5」濃紺、「6」茶、「7」黄、「8」青、「9」赤茶or紫、「10」黒。

    これらの文字・数字は脳内で色づいて浮かぶ。
    連想とは違って概ね固定された色を感じる。

    私は特に数字で共感覚が強い。
    平仮名は年齢によって色が変わってきた気がするが、数字は幼い時からあまり変わっていない。
    漢字はさすがに無いかな。と言うより、漢字はもともと視覚的な文字だから脳内に浮かぶ画像と、共感覚との区別をつけることが難しい。
    (追記 漢字も一部、「令」「光」などには固定化された色が付いて見えることは確か。意味で浮かぶ画像との区別が難しいというだけで、漢字だけは無いと書いたのは間違いだった。でも、全ての漢字に色を感じるわけではない)

    この感覚の不可解なところは、その色などを感じることに理由がないことである。
    過去の経験も、意味も無関係。
    それなのにはっきりと色が浮かぶ。
    (ただし漢字の色には意味が影響しているらしい。ただ、はっきりした理由を自分で思い出せない)

    なお、これは電波的な話ではない。
    共感覚は超能力や霊能力ではなくて、たぶん脳内の「感覚マッピング」という表現が最も正しい。
    文字などの情報と感覚を結びつけるマッピングを無意識にやってしまうタイプがいるのだと思う。
    いずれにしても超能力とは無縁。

    共感覚には色だけではなく触覚としてもあり、たとえば小説で私もよく使う
    「柔らかな言葉遣い」とか
    「ざらりとした印象を持った」という表現は、単なる喩えではない。
    我々は実際にその触覚を感じている。(脳内のどこかで)
    最初にこの表現を使い始めた人は、たぶん共感覚者だったのだと思う。

    あ、ただし私にはミラータッチというほどの強い触覚はない。
    触った映像を見て触った感覚になる? ということまではない。


    私だけ変わっているのかもしれないなと思うのは、小説作品全体や文章全体を味覚や食事に例えてしまい、他人にポカンとされる瞬間。

    「芸術家気取り。かっこつけて意味不明な表現をしているんだ」
    と嫌味を言われるのだが、これも共感覚の一種なのだろう。
    かっこつけているわけではなく本当に味覚で感じているのだ。

    私の場合「甘い」「辛い」までの味が口に広がるわけではないが、たとえば味噌汁を飲んだ時の充たされる感じ、ファストフードの物足りない味わいなどとして感じられる。その文章に栄養があるか・無いかが体感として分かる。

    日本人の共感覚者には昔からたぶんこの味覚タイプが多く、たとえば
    「塩対応」
    などは典型的な共感覚表現だと思う。
    「あまーい!(甘い)」
    という表現も似たようなものだね。

    参照 Wikipedia「共感覚」を読んでいて知ったのだけど、人によってこの感覚の程度はさまざまであるらしい。
    全ての漢字について明確に色を感じる人もいるとのこと。それは大変そうだな。

    共感覚者は、他の人がそれをもっていないことを知るまで、自身の体験が特別なことだと感じないことが多い。
    そう、そうなんだ。
    「共感覚」のことはわりと最近になって知った。
    幼い頃から文字に色を感じてきたため人類全てそうなのだとずっと思っていた。自分のほうがマイノリティだと知ったときは驚いた。

    しかし今さら特にショックを受けるということはないな。大人になってからこんなことでショックなど受けていたら病気(笑)。
    隠しておかなければならないとも思わない。隠す意味が分からない。だって日常生活に何の支障もないからな。

    ただ人によっては大変な生活をしていることもあるかもしれない。
    私の場合、音に色を感じることはないからそのぶん助かっているのだろう。
    感覚を「オフにする」ということはできないのだけど、意識を向けないことができる。文字から色の変換が行われていたとしても、意識を向けさえしなければそれは通り過ぎていく景色に過ぎない。

    もっと重度な人は道を歩いているだけであらゆる音に感覚を刺激されるという。さぞ疲れるだろうと想像する。

    感覚を刺激されるというのは、脳内の処理に負荷がかかっているということ。
    パソコンで言えばかなりメモリを食っている状態。
    脳の処理スピードが遅くなるからいわゆる「頭の回転が遅いタイプ」となるだろうし、会話もままならないことがあるのではないかな。


    共感覚の特殊ケースと「色なし」の話


    重度の共感覚者はどんな生活を送っているのだろうと検索していて、こんな話を見つけた。

     ⇒共感覚とかいう地獄 ※2ちゃんねるのため苦手な方はクリック注意。広告にも注意
    話者:mqRkWTMX0.net

    うーん、面白い。
    もし本当なら「面白い」と言うのは失礼だが、2ちゃんねるは作家さんによるSF創作が多いので話半分に読もう。笑

    ただ、以下引用箇所は真実だと思う(あるいは実際の体験者のレポ)。私のような軽度ですら倦怠感は酷い。
    そのため脳は常に疲れ、一日の活動時間は6時間程
    それ以上は疲れによって集中力が持たず寝てしまう
    私のような人間にとってこのような感覚は地獄である
    まともに働けず、ダメ人間とされ有象無象のニートと同じ場所まで
    転がり落ちた

    私の精神はかなりタフであると思う
    しかしそれもかなりすり減った
    理解者、同じ物を視ている人
    それが居ない世界とは、ただの地獄だ

    机の上にリンゴがあり、そこにリンゴがあると言っただけで
    統合失調症を疑われ、友人も離れていく
    当然の反応だ
    誰も精神病には関わりたくないからだ
    俺もそうだ、危ない人には関わり合いたくない

    だがしかし、それが分かっているからこそ生きるのが辛いのだ


    以下は本当であったとしても、「共感覚」とは別の能力と思った。
    ハッキリ言うと私は人の感情や、人の性格などを色で視ることが出来る
    お笑い芸人などにもいる事から珍しい物ではないのかもしれない
    塚地さんのことかな。
    でも他人の性格を色で見るタイプも、相手のことを知ってから色が浮かぶだけだろう。
    初見で「相手の色が視える」のは共感覚ではなく……霊能力だと思う。

    仮に本当の話だと考えると、この霊能者さんの以下の話は興味深かった。
    私の視ている世界での
    人間は極端に言えば2種類に分ける事が出来る
    色を持つ者と色を持たない者だ
    ---
    このレス部分は私の見解ってだけなので読み飛ばして頂いても問題はない

    この色を持つ者、持たない者
    誰にもこんな事を相談出来ないので自分で答えを探した
    それこそヒットラーから始まり、神話や宇宙人祖先説を唱える
    怪しい物も読んだ

    そして私の出した答えが
    得体の知れない何かが人類に混じってる、というものだった
    それか得体の知れない物が元々人類で、なにかが混じって色がついた

    答えは出ないが今の人間は極端に2つに分かれていて、
    視えてる者が考察をしない方がおかしいレベルなので
    怪しい話になってスマナイ
    だが本当に真っ二つに割れているのは事実であり、むしろ色無しが多くなり
    世の中がおかしくなっているというのが俺の考え

    ----
    生き難いに関して人の悪意、欲などを説明しましたが
    それだけではない

    前述した無色の人間
    これらが本当の原因と言える

    俺は幼い頃から思っていた事がある
    こいつら(無色)は本当に人間か?と

    本当に自然に色ありの中に溶け込んでいて、問題を起こすのは
    決まってコイツラが引き金となる
    そして色ありが先導されて事を大きくする
    要は色ありは言葉が悪いが優しいがアホな人間だ
    対して色無しは人の心が分からない優れた人間だ

    俺が最も苦手とする色もついてない人間
    これがいると俺はその場に居られない
    ------

    >色なしはどれくらいの割合でいるんだ?

    色無しの方が多いが
    世界全体で見るとわかりませんね

    都心は色無しが多く、高学歴というのが特徴ですね
    能力は間違いなく高い

    古典的な二元論みたいだが、「色なし」という表現は意外と当たっているかもしれないと思った。

    私も世の中を観察していて思う。やはりどうも現代の世界には「異質な者」が多いらしい。
    この異質な者たちは道義心が一切ない、人としての感情がない。
    彼らとは話が嚙み合わない。
    「他人の気持ちを理解しない」と言うのではなく、学習しても変わる余地がなく始めから決定的に違うのだ。

    いわゆる「サイコパス」に近いのかな。
    能力が高いかどうかは疑問。
    「サイコパス」も能力が高いと誤解されているが、脳科学者たちは「能力が高いわけではない」と言っている。
    ただ彼らは平気で罪を犯すことができる。他人を貶め苦しめることを楽しみとして行うので、敵を潰すことも趣味のうち。これは特に現代のような競争社会では圧倒で有利な性質だ。
    当然、公務員や成金には多い。

    現代日本では、学歴はほぼ金で買うもの。
    罪を罪と思わず、悪いことをして金を貪った者(その者のDNAを持つ者)だけが学歴を得られる国家だ。

    こういう国家では彼ら「色なし」が社会の上層を支配することになって当然だろう。
    そもそも、能力の有無ではなく金持ちだけが国家を支配するシステムを作ったのは、この「色なし」たちだと思われる。そんなことも分からないで、「貧困者に奨学金を与えるな!」という差別運動をしている人たちは自分で自分の首を絞めている。いずれ真っ先に食われるのは彼ら自身だというのに。


    ではこの「色なし」たちは何であるのか?
    よく「未熟な魂」と言われるが、それも少し違う気がしている。
    私は「魂の無い者たち」と感じるな。(2018/5/23修正 やはり「魂がない」ということは違うと思ったから修正。私は自らの転生記憶中、この暴力を好む異質な者が生まれ変わったことを覚えている。ということは魂から異質なのだ)

    ニュートン氏のレポートでは、「魂のない肉体は全くない」と言うのだが本当にそうなのかな。そうだとすれば、昔から一般に「人間」と呼ばれてきた種類の人たちとは違う魂が入っているのだと思う。
    宇宙人? まあ、何でもいい。
    とにかく異質な者たちが存在することは心に留めておいたほうがいい。

    あるいは、この現代では我々「人間」と呼ばれる者のほうが地上では異質なのかもしれない。
    かつてはこちらのほうが多数派だったのだけど、今はどう考えても数が減ってきている。
    「自分は普通」
    と思っていたらマイノリティだった、みたいな、私と同じ経験をしてショックを受けるかもな。


    ふと気付いたが、多くの人たちは勉強が得意なタイプを「色なし」のようなイメージで見ているのだろうか?

    ミステリー小説に登場するステレオタイプな知能犯のイメージのせいと思っていたが。
    もしかしたら、自分の身近な高学歴の人が「色なし」なので、他の勉強ができるタイプを思い込みで「色なし」へ分類してしまうせいかもしれない。

    しかし上のスレを読んで、少なくとも自分は「色なし」ではないと思った。
    私は、勉強はできるが他人をコントロールすることは苦手だ。問題を起こしたことはなく巻き込まれてばかりいる。

    つまり私は明らかに「色あり」の阿呆ですね。笑
    と言うより、そもそも「共感覚者」である時点で上の人と同じ括りに入るのだから、「色あり」ということになるのだろうな。

    ちなみに私はサイコパスでもない。
    どうせサイコパスだと思われているんだろうが、違う。残念でした。
    サイコパスのチェックテストでかすりもしなかった。→21/6/4受診版
    隣でニコニコしている人(勉強が苦手なタイプ)のほうがむしろサイコパスの気があって驚いた。

    勉強ができるかどうかや、容姿など表面的なことは人間の本質に関係ないんだよ。
    ステレオタイプな思い込みにしがみつきがちな人は注意したほうがいいですよ。

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