我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    前世を思い出したい人は、何を期待するんでしょうか?

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    いついかなる時代でも、「前世を思い出したい」と思う人は多いものです。

    私は17歳のあの日まで前世というものにほとんど興味がなく、思い出したいと考えたことすらありませんでした。

    ただ、そんな冷めた私でさえ、自分の前世は何だったんだろう? と想像することはありました。
    私の希望としては
    ・ドイツの靴職人
    あるいは
    ・吟遊詩人
    あたりの前世をリクエストしたかったのですが、見事に夢を裏切られて今に至ります(笑)。はい残念。

    結果、「いかにも自分らしい」と納得する前世を思い出すことが出来たし、自分の欠点や問題点を知ることも出来たのでとても有意義な体験でしたが、今でもちょっと残念だと思うのは
    “自分の前世は何だったんだろう?”
    とあれこれ想像することが永久に出来なくなってしまったことです。

    思うに、現実を知らないうちは、“前世”と言っても自分とかけ離れたタイプやあり得ない仕事などを空想することが出来るのですよ。

    ただ、現実を知ってしまうと、
    「自分は自分にしかなれない」
    ということを痛いほど思い知ってしまう。

    これは子供の頃に将来の夢をあれこれ思い描いていたのに、大人になって現実を知ると「自分は自分にしかなれない」のだということを思い知るのに等しいですね。

    将来も、過去も、自分以外のものになどなれないのです。

    そう考えると未来と過去は同じものだと分かります。

    前世を思い出したい人々のほとんどは、きっと何故だか前世は今と違う自分があると思っている。
    つまり、変身願望を叶えたくて前世を見たいと願うのでしょう。
    (もちろんそうではない人も一部にいます)

    だけど変身願望など叶うことはありませんので、ご期待なさらず。

    こう書いてしまうと夢も希望もない話みたいになりますが、逆に言えば、変わりたければ今の自分を変えていけば良いのだと分かるでしょう。
    いきなり全く別の自分に「変身!」することは100%不可能でも、少しずつなら変えていけます。


    ところで私などは、『我傍に立つ』~『永遠の雨』を読んでいただければ分かる通り、実にワンパターンな人生ばかりです。

    数学・幾何学が得意だった → 戦争のトラウマで拒絶して不得意になった

    という得意ジャンルの変化・能力の違い(能力はどちらかと言うと下降気味)はあるようですが、概ね虚弱体質でお勉強しか出来ないタイプばかりです。

    そもそも、私が記憶をどんどん遡っていったのは、「どこかに違うタイプの人生があるからだろう」と期待したからでもありました。
    しかし残念なことに、どこまで行っても虚弱タイプばかり。笑
    まるで玉ねぎの皮を剥いても剥いても玉ねぎであるように、自分は自分でしかないのでした。

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