現代世間話

    半端な人道支援で死地へ赴く兵士たち

    『4デイズ・イン・イラク』という映画を観た。

    実話ということで期待して観たが何か隠しているような描き方であり、この映画だけでは詳細が分かりづらい。
    ネットで背景事情を読みながら観る。

    以下ネタバレあります。

    イラク戦争終結後の「平和維持軍」として派遣されたポーランド軍。
    ところが現地に維持すべき平和はなく、まだあちこちに地雷が埋まり、ゲリラ兵たちが闊歩する危険極まる戦場だった。

    カリツキ大尉の部隊はたった四十名で市庁舎を守る任務に就く。
    イスラムのゲリラ民兵たちに包囲された彼らは孤立し、四日間も激しい攻撃にさらされる。

    イスラム側は女子供を盾にした、非人道的な捨て身の攻撃で迫る。
    しかしポーランド側は国連の「平和維持」の建前があるため、迎撃するにも及び腰。
    自分たちをランチャーで狙う少年を撃ってしまったポーランド兵は、「この映像が世界に配信される。自分は虐殺者の誹りを受ける……」と怯え人格崩壊寸前となる。

    とうてい敵わない。
    四十名は嬲り殺しにされるしかないと思われた。

    ところが蓋を開けてみればポーランド軍の死者ゼロ。
    ブルガリアの特殊部隊とともに立てた勇気ある作戦が功を奏したのだった。

    イラク戦争最悪の戦闘を潜り抜けた彼らの防衛は、“カルバラの奇跡”と呼ばれている。

    と、ここまで字に起こせば劇的で、もっと突き抜けた爽快感のある映画にもできそうである。
    これがアメリカ軍の話ならヒーローものとして描かれそうだ。

    しかしそうは描けない事情があった。
    「平和維持軍」はこのような戦闘に関わっていないという建前があったからだ。

    しかも機密保持契約のある話だったらしいね。
    観終わった後に消化不良のような感覚が残るのはそんな事情のせいだろう。

    何もかもが半端で、命のやり取りにしては甘え過ぎている。
    国連の存在意義そのものを疑問に思う映画。

    私もずっと思ってきた。
    当事者でもない国が横槍を入れてお節介すること自体が、重大な罪ではないのか。
    「人助けのつもり」のお節介が罪ではないとしても、現地の火事を広げ世界中に延焼させる問題行動であることは確かだ。


    現場の戦い方については彼ら国連の軍隊とアメリカ軍とを、どうしても比べてしまう。

    アメリカ兵たちにも戦闘地域へ赴くことについて大義などはなく、ビジネスマンのごとく仕事をする態度に必死さはない。それでも現場の仕事はプロフェッショナルだなと思う。
    ※命令する大統領たちトップは戦争の素人であるが…。これが何より悲劇の要因

    アメリカ部隊の統制のとれた任務遂行の様子はやはり、鮮やかだ。
    装備が最新で武器もそろっている、軍事費が圧倒で違う。これは事実。
    だが、そういう物量的な差の前に兵士一人一人の訓練が行き届いていることが兵力の差となっている。

    また少なくともイラク戦においてはアメリカは「当事国」だ。自分たちが始めた戦争なのだから戦う理由はある。
    そんなアメリカ軍に比べて国連の平和維持軍には戦うことの理由がない。「世界の平和を守る」という偽善は半端過ぎて、一人一人が命をかけるための理由になっていない。

    そのせいか、平和維持軍はイスラム民兵なみに素人に見える。
    「平和維持軍」としてろくな装備もせずに行っているのだから無理もないとは言える。
    だが何より、当事国ではないという半端な気持ちで行っていることが命取りだ。

    半端な意識の国連兵 VS 当事者である現地ゲリラは泥沼となること必至。
    素人同士のぶつかり合いでは、残虐さと悲劇が増すだろう。
    現に世界中のあちこちで平和維持軍がらみの悲劇が起き続けている。

    ポーランド側に死者のなかった“カルバラの奇跡”は、本来の意味でまさに奇跡だったと言えるのだろうな。
    つまり、運が良かったとしか言いようがない。


    これが戦闘経験のほとんどない日本の自衛隊だったらどうなるか……?

    改めて背筋を寒くさせる映画だった。

    政府も国民も半端な気持ちのまま、何のために行くのかさえ分からず、ただ「行って来い」と送り出されるであろう隊員たち。
    兵站の概念がない大本営によって、食料も持たされずに「現地でどうにかしろ」と送り出された太平洋戦争時の兵士たちより不憫だ。
    同情を禁じ得ない。

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