2017
Jun
04
-
義経の謎、生まれ変わりに訊ねてみたら? と、孔明の生まれ変わりはハードルが高い
前記事、義経の北方伝説を眺めて思い出していた。
そう言えば十年ほど前に
「私は源義経の生まれ変わりです」
と大々的に名乗っている人がいたな、と。
義経の北行について、あの「生まれ変わり」さんに訊ねてみたらどうだろう? と思う。もし本当に生まれ変わりさんならね。
※前世記憶がある人でも自分の前世全てを思い出せる人はいない。ほとんどの人は大事な場面のみ、2~3点を思い出すだけ。ただし、「自分がどうやって死んだか」は誰にとっても重要なので、前世記憶があるなら覚えている可能性が高い。
その方は
「枕元に守護霊が立って前世の名を教えてもらった」
と仰るタイプなので記憶などお持ちでないのかもしれないが。
あの方は今どうしているのだろうとネット検索して調べてみたが、よく分からなかった。
「義経の生まれ変わり」のキーワードで見つけたのは宗教団体の信者で、宗教政党から議員に立候補した人。
彼は十年前の「義経の生まれ変わり」と同一人物か? 十年前の方は現在の名を伏せていたので分からないな。
宗教信者さんのほうは東大法学部卒とのこと……、へえ。意外だな。
現実の義経は、それほどお勉強ができる上品なタイプではなかったはずだがね。
(記録上の義経は暴れん坊の自由な若者だったはず)
当時見かけた「義経の生まれ変わり」さんはスピリチュアルカウンセラーを名乗っていらして、自分には霊能力があると仰っていた。
もし上の宗教信者と同一人物だとすれば、
「ああ結局、宗教団体へ行ってしまったのか」
と残念に思う。
似たようなものであっても、宗教よりは個人経営のスピリチュアルカウンセラーのほうが遥かにマシだ。
歴史人物の生まれ変わり疑惑がある人の全てが偽物だと言っているわけではないので注意。
現実を言えば、歴史人物たちはさほど成熟した魂の持ち主ではない。
「歴史人物は神様だからもう生まれ変わって来ない」などと誤解している人が多いのだが、ただ有名人というだけで神様扱いして崇める癖はやめたほうがいい。詐欺に遭いやすく、危険ですよ。
歴史人物たちの魂のレベルは世間並であることのほうが多い。
特に名誉欲にかられて有名になった人物などは平均より未熟だ。
たいていの有名人が輪廻から解脱できるほど高度な人生を送っていないので、歴史人物であってもまた生まれ変わってくると考えるのが自然。
しかし何故か日本では、
「義経の生まれ変わり」
「秀吉の生まれ変わり」
と名乗る人ばかり見かけるな。
いくら魂が何度も転生するとしてもこれほど頻繁ではない。
おそらくマーケティングの結果、「人気者で・演じやすく・儲かる」と結論付けられるのが義経や秀吉なのだろう。
いっぽう信長や家康を名乗る人は少ない気がする。
理由はおそらく、信長は残虐なこともしているので人気という点で難があるから。たとえば「信長の生まれ変わり」を名乗って政治家になるなどもってのほかだと思う。
仮に信長の生まれ変わりだということが真実だとしたら、私だったら絶対に投票しない。ファシズム政府ができたら困る。
(ただし私はスケーターの織田信成くんだったら投票しますよ。DNAと魂は別)
家康は知性も徳も申し分ないが、たぶん地味だから除外されるのかな。
アイドル性のない歴史人物を名乗っても損だろうね。
私は「家康の生まれ変わり」だったら投票するけどな。義経より圧倒で家康のほうが良い。
――ちなみに当ブログ読者様が最も気になるだろう
「諸葛孔明の生まれ変わり」
を名乗る人は、日本でも中国でも意外と少なかったらしい。
この人だけ。『韋皋という「孔明の生まれ変わり」』
(これは以前にも書いた話なのだが、この記事しか読んでいない人のために改めて書いている)
何故なら、日本で「孔明」は非常に知名度が低いため。中国では有名であっても絶望的に人気が低い。
つまり名乗ることに得がない。
このことは筆者も実感している。事実、このブログの検索ワードでも「孔明」で来る人はほとんどいない。
あとは単純に、「諸葛孔明の生まれ変わり」と名乗るのはハードルが高いであろうと想像する。笑
フィクションのハードルが高過ぎるのだろうね。
そもそも、「生まれ変わり」を名乗ろうとする人はフィクションのメジャーなイメージを演じることが大前提(そうしなければ有名になれない、世間の人はフィクションしか知らないのだから)。ところが、フィクション孔明の仮面を被るのはまず不可能である。
なにしろ魔法も使えなければならないのだからな、風も呼べないと駄目だよな、……無理だって!笑
何が悲しくて利益もないのにわざわざハードルを上げなければならないのか。
ひたすらバカにされ笑われるだけであるし。
普通の人ならそのようなハイリスク・ゼロリターンの、嘲笑されるだけの人生は選ばないだろうと思う。
もし本気で「コウメイの生まれ変わり」を名乗る人がいたら、私から賞賛を送って差し上げますよ。^^
【関連記事。2020年、追加の愚痴】
使命を果たすために、そろそろ中華街で羽扇でも買ってくるかあ…
/なんだか捻くれた愚痴のような記事になってしまった。済まない。
とにかく、「〇〇の生まれ変わり」と名乗る人は信用しないほうがいいと私は思う。
追記:ましてその人が宗教団体の関係者なら確実に嘘をついている。
こちら参照してください:⇒有名人の生まれ変わりが空想や「コード」である場合【診断チェック】
何度も書いている通り、もし本当に記憶を持つ者なら
「自分はかつて〇〇という名だったことがある」
と言うことはあっても
「私は〇〇の生まれ変わりだ」
という表現はしない。「生まれ変わり」という表現が嫌なのだ、無意識に。現在の自分を下に置くことになるから。
これは無意識の衝動なので絶対にそう。
現在の自分を消すことほど嫌なものはない。
魂に「栄光の過去」や「落ちぶれた現在」などの概念はない。
魂にとっては全ての人生が同じレベルで大切なので、どれか一つの人生だけ上位に置いて「〇〇の生まれ変わり」と表現することは抵抗があって絶対にできない。
だから
「〇〇の生まれ変わり」
という表現ができるのは、他人だけ(つまり本人がその言葉を使ったら嘘)だと言っておく。
※他人だとしても、宗教団体の教祖が「この人は〇〇の生まれ変わりだ」と言ったのならそれは嘘。言わずもがなだが教団の利益のために、教祖が役を与えただけである
そう言えば十年ほど前に
「私は源義経の生まれ変わりです」
と大々的に名乗っている人がいたな、と。
義経の北行について、あの「生まれ変わり」さんに訊ねてみたらどうだろう? と思う。もし本当に生まれ変わりさんならね。
※前世記憶がある人でも自分の前世全てを思い出せる人はいない。ほとんどの人は大事な場面のみ、2~3点を思い出すだけ。ただし、「自分がどうやって死んだか」は誰にとっても重要なので、前世記憶があるなら覚えている可能性が高い。
その方は
「枕元に守護霊が立って前世の名を教えてもらった」
と仰るタイプなので記憶などお持ちでないのかもしれないが。
あの方は今どうしているのだろうとネット検索して調べてみたが、よく分からなかった。
「義経の生まれ変わり」のキーワードで見つけたのは宗教団体の信者で、宗教政党から議員に立候補した人。
彼は十年前の「義経の生まれ変わり」と同一人物か? 十年前の方は現在の名を伏せていたので分からないな。
宗教信者さんのほうは東大法学部卒とのこと……、へえ。意外だな。
現実の義経は、それほどお勉強ができる上品なタイプではなかったはずだがね。
(記録上の義経は暴れん坊の自由な若者だったはず)
当時見かけた「義経の生まれ変わり」さんはスピリチュアルカウンセラーを名乗っていらして、自分には霊能力があると仰っていた。
もし上の宗教信者と同一人物だとすれば、
「ああ結局、宗教団体へ行ってしまったのか」
と残念に思う。
似たようなものであっても、宗教よりは個人経営のスピリチュアルカウンセラーのほうが遥かにマシだ。
歴史人物の生まれ変わり疑惑がある人の全てが偽物だと言っているわけではないので注意。
現実を言えば、歴史人物たちはさほど成熟した魂の持ち主ではない。
「歴史人物は神様だからもう生まれ変わって来ない」などと誤解している人が多いのだが、ただ有名人というだけで神様扱いして崇める癖はやめたほうがいい。詐欺に遭いやすく、危険ですよ。
歴史人物たちの魂のレベルは世間並であることのほうが多い。
特に名誉欲にかられて有名になった人物などは平均より未熟だ。
たいていの有名人が輪廻から解脱できるほど高度な人生を送っていないので、歴史人物であってもまた生まれ変わってくると考えるのが自然。
しかし何故か日本では、
「義経の生まれ変わり」
「秀吉の生まれ変わり」
と名乗る人ばかり見かけるな。
いくら魂が何度も転生するとしてもこれほど頻繁ではない。
おそらくマーケティングの結果、「人気者で・演じやすく・儲かる」と結論付けられるのが義経や秀吉なのだろう。
いっぽう信長や家康を名乗る人は少ない気がする。
理由はおそらく、信長は残虐なこともしているので人気という点で難があるから。たとえば「信長の生まれ変わり」を名乗って政治家になるなどもってのほかだと思う。
仮に信長の生まれ変わりだということが真実だとしたら、私だったら絶対に投票しない。ファシズム政府ができたら困る。
(ただし私はスケーターの織田信成くんだったら投票しますよ。DNAと魂は別)
家康は知性も徳も申し分ないが、たぶん地味だから除外されるのかな。
アイドル性のない歴史人物を名乗っても損だろうね。
私は「家康の生まれ変わり」だったら投票するけどな。義経より圧倒で家康のほうが良い。
――ちなみに当ブログ読者様が最も気になるだろう
「諸葛孔明の生まれ変わり」
を名乗る人は、日本でも中国でも意外と少なかったらしい。
この人だけ。『韋皋という「孔明の生まれ変わり」』
(これは以前にも書いた話なのだが、この記事しか読んでいない人のために改めて書いている)
何故なら、日本で「孔明」は非常に知名度が低いため。中国では有名であっても絶望的に人気が低い。
つまり名乗ることに得がない。
このことは筆者も実感している。事実、このブログの検索ワードでも「孔明」で来る人はほとんどいない。
あとは単純に、「諸葛孔明の生まれ変わり」と名乗るのはハードルが高いであろうと想像する。笑
フィクションのハードルが高過ぎるのだろうね。
そもそも、「生まれ変わり」を名乗ろうとする人はフィクションのメジャーなイメージを演じることが大前提(そうしなければ有名になれない、世間の人はフィクションしか知らないのだから)。ところが、フィクション孔明の仮面を被るのはまず不可能である。
なにしろ魔法も使えなければならないのだからな、風も呼べないと駄目だよな、……無理だって!笑
何が悲しくて利益もないのにわざわざハードルを上げなければならないのか。
ひたすらバカにされ笑われるだけであるし。
普通の人ならそのようなハイリスク・ゼロリターンの、嘲笑されるだけの人生は選ばないだろうと思う。
もし本気で「コウメイの生まれ変わり」を名乗る人がいたら、私から賞賛を送って差し上げますよ。^^
【関連記事。2020年、追加の愚痴】
使命を果たすために、そろそろ中華街で羽扇でも買ってくるかあ…
/なんだか捻くれた愚痴のような記事になってしまった。済まない。
とにかく、「〇〇の生まれ変わり」と名乗る人は信用しないほうがいいと私は思う。
追記:ましてその人が宗教団体の関係者なら確実に嘘をついている。
こちら参照してください:⇒有名人の生まれ変わりが空想や「コード」である場合【診断チェック】
何度も書いている通り、もし本当に記憶を持つ者なら
「自分はかつて〇〇という名だったことがある」
と言うことはあっても
「私は〇〇の生まれ変わりだ」
という表現はしない。「生まれ変わり」という表現が嫌なのだ、無意識に。現在の自分を下に置くことになるから。
これは無意識の衝動なので絶対にそう。
現在の自分を消すことほど嫌なものはない。
魂に「栄光の過去」や「落ちぶれた現在」などの概念はない。
魂にとっては全ての人生が同じレベルで大切なので、どれか一つの人生だけ上位に置いて「〇〇の生まれ変わり」と表現することは抵抗があって絶対にできない。
だから
「〇〇の生まれ変わり」
という表現ができるのは、他人だけ(つまり本人がその言葉を使ったら嘘)だと言っておく。
※他人だとしても、宗教団体の教祖が「この人は〇〇の生まれ変わりだ」と言ったのならそれは嘘。言わずもがなだが教団の利益のために、教祖が役を与えただけである