2017
Jun
06
-
過去生での占星術学習歴
『【質問】どうやって占いを戦争で使ったんですか?』で書いた通り私には前世で占星術を駆使して戦略を立てた記憶がない。
たとえば占星術盤みたいなものを広げているシーンの記憶もないし、星を見上げて戦略を考えた覚えもない。
私の記憶には、ひたすら机に向かって書類を処理したり※作戦を考えていたことと、庁舎の中を駆け回って部下たちと話し合っていた地味な場面しかない。
星を見上げて戦略を立てる、なんて、華々しい記憶があればカッコイイのだけどね。
※「机に向かって書類を処理したり」:過去世記憶のイメージは現代の景色に変換されることがある。なので「書類」、紙束として見えていたのは現代ナイズされた変換処理だと思うが、もしかしたら国家上位では既に紙が使われていた可能性はある。(当時まだ紙は高価だったため、庶民がチリ紙のように紙を使うことができなかったことは確か)
だが、今の私は占星術が嫌いではない。
どちらかと言うと好きで、得意なほうだと思う。
一つ前の前世に関しては占いを仕事で使った記憶がないのだけど、さらに過去を遡ると確かに占星術を仕事にしていた覚えがある。
それが噴火で埋もれた街に住んでいた頃の記憶。
⇒『永遠の雨~』 第三話(三)
原始的な占星術盤を使ってマンデーン(国家を占う占星術)をやっていた記憶がある。
若くして死んでしまったので大した技能ではなかったと思うが、必死で勉強した覚えがあるな。
もちろん、学んだのは西洋占星術。
バビロニアからの輸入したてだったはずだから、原典に近い占星術を学んでいたと思う。
あとは小説には書いていない記憶で、「星読み」という仕事に就いたこともあるらしい。
船に乗って星で方角を読む水先案内人のことだ。
水先案内人は占星術師ではないのだが、当然ながら占星術師と同じ星座知識があるので、占星術には馴染みやすいはず。
なお前世で学んだことは何もかも詳細な記憶がない。
(私の場合、言語・数字など左脳的な記憶にアクセスできない。イメージ記憶、感情記憶のみ)
ただ一度学習したものはその感覚が残るので、素地ができて得意になるらしい。
今の私が西洋占星術に馴染みがあり、しかも古典に近い占い方を好むのは、この通り前世での学習歴があるからだろう。
人が幼い頃から馴染みを覚えて「得意」と感じるものはたいてい前世での学習歴のおかげだということ。
皆さん気付いていないだけで誰もが前世の経験を活かして生きているのだ。
なので「前世など覚えていないから意味がない」ということは絶対にない。
今の経験も来世で活かせるのは確かだから、死ぬ間際まで学び続けて損はない。
なお私は中国占術を苦手とする。
このことも中国で過ごした前世で、私があまり占いを学んでいなかったのではないかと考える根拠だ。
おそらく私は西洋での転生のほうが長いため、東洋占星術に拒絶感を覚えたのではないかと思う。
東洋独自の五行系推命は、拒絶感がなかったのだけど。
現代の私は宿曜占星術をやる。
ただし宿もインド式27宿のほうを好み、中国式28宿は受け付けない。
(それと、28宿は当たらないという自分なりのデータもある)
思想書では中国のものが熱烈に好きなので、単純に「東洋が嫌い」というわけでもないらしい。
どうやら前世で刷り込まれた知識が邪魔をして、同系列の異国の知識には拒絶感を覚えるということがあるようだ。
五行や思想書は私にとって全く新しい知識だったので、拒絶感なくすんなり吸収できたのだろう。
【ちなみに】 今世での占星術学習歴は独学で、中学からです。
たとえば占星術盤みたいなものを広げているシーンの記憶もないし、星を見上げて戦略を考えた覚えもない。
私の記憶には、ひたすら机に向かって書類を処理したり※作戦を考えていたことと、庁舎の中を駆け回って部下たちと話し合っていた地味な場面しかない。
星を見上げて戦略を立てる、なんて、華々しい記憶があればカッコイイのだけどね。
※「机に向かって書類を処理したり」:過去世記憶のイメージは現代の景色に変換されることがある。なので「書類」、紙束として見えていたのは現代ナイズされた変換処理だと思うが、もしかしたら国家上位では既に紙が使われていた可能性はある。(当時まだ紙は高価だったため、庶民がチリ紙のように紙を使うことができなかったことは確か)
だが、今の私は占星術が嫌いではない。
どちらかと言うと好きで、得意なほうだと思う。
一つ前の前世に関しては占いを仕事で使った記憶がないのだけど、さらに過去を遡ると確かに占星術を仕事にしていた覚えがある。
それが噴火で埋もれた街に住んでいた頃の記憶。
⇒『永遠の雨~』 第三話(三)
原始的な占星術盤を使ってマンデーン(国家を占う占星術)をやっていた記憶がある。
若くして死んでしまったので大した技能ではなかったと思うが、必死で勉強した覚えがあるな。
もちろん、学んだのは西洋占星術。
バビロニアからの輸入したてだったはずだから、原典に近い占星術を学んでいたと思う。
あとは小説には書いていない記憶で、「星読み」という仕事に就いたこともあるらしい。
船に乗って星で方角を読む水先案内人のことだ。
水先案内人は占星術師ではないのだが、当然ながら占星術師と同じ星座知識があるので、占星術には馴染みやすいはず。
なお前世で学んだことは何もかも詳細な記憶がない。
(私の場合、言語・数字など左脳的な記憶にアクセスできない。イメージ記憶、感情記憶のみ)
ただ一度学習したものはその感覚が残るので、素地ができて得意になるらしい。
今の私が西洋占星術に馴染みがあり、しかも古典に近い占い方を好むのは、この通り前世での学習歴があるからだろう。
人が幼い頃から馴染みを覚えて「得意」と感じるものはたいてい前世での学習歴のおかげだということ。
皆さん気付いていないだけで誰もが前世の経験を活かして生きているのだ。
なので「前世など覚えていないから意味がない」ということは絶対にない。
今の経験も来世で活かせるのは確かだから、死ぬ間際まで学び続けて損はない。
なお私は中国占術を苦手とする。
このことも中国で過ごした前世で、私があまり占いを学んでいなかったのではないかと考える根拠だ。
おそらく私は西洋での転生のほうが長いため、東洋占星術に拒絶感を覚えたのではないかと思う。
東洋独自の五行系推命は、拒絶感がなかったのだけど。
現代の私は宿曜占星術をやる。
ただし宿もインド式27宿のほうを好み、中国式28宿は受け付けない。
(それと、28宿は当たらないという自分なりのデータもある)
思想書では中国のものが熱烈に好きなので、単純に「東洋が嫌い」というわけでもないらしい。
どうやら前世で刷り込まれた知識が邪魔をして、同系列の異国の知識には拒絶感を覚えるということがあるようだ。
五行や思想書は私にとって全く新しい知識だったので、拒絶感なくすんなり吸収できたのだろう。
【ちなみに】 今世での占星術学習歴は独学で、中学からです。
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