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自己を捧げ尽くした人の死後

安易で危険なスピリチュアルに誘われる人を眺めていてうんざりしたので、しばらくスピリチュアル話を書かないように心がけていたのだが、現実の話ばかりしていたら私自身が疲れ切ってエネルギー不足になってしまった。

現代は本当に、地上の欲だけ貪る人たちが多い。
貪るために平然と汚いことをする。堂々と嘘をつく。
そんな人々はいつの時代にも存在するので諦めているのだが、現代が特殊なのは、欲深い嘘つきのほうが圧倒で称賛され支持されること。何故、支持されるのかというと、多くの人が「自分も欲を貪る側へ行きたい」と思っているから。現代ではそちら側の人間が圧倒的多数。――このことが耐え難い。

セレブのお宅訪問や、不倫の話題ばかりに鼻息荒く飛びつく人々を見ていると、どうしようもない孤独を感じる。

こんな世の中を眺めているくらいなら、いっそ中学生的な、『ムー』のような異次元の趣味に浸ったほうがまだ退屈しのぎになって良い。

そう思って最近、寝る前などにネットのオカルト板まとめなどを読んで楽しんでいた。

パラレルワードとか、予言とか、昔懐かしい感じの古典的オカルト話が並んでいて面白い。
もちろんほとんど作り話なのだけど、商業主義に走った一般小説より遥かに才能を感じて愉しめる物語ばかり。


ところで、それら「オカルト板まとめ」に紛れ込んでリンクされていたサイトに、こんな良サイトがあった。

 ⇒『自殺の甘い罠』

よく見かける、スピリチュアル本からの抜き書きサイト。
だが、ただ抜き書きしているだけのフリーライド・サイトではなく作者の主張もちゃんとある。

信念を持って誠実にサイトを作られているのが感じられる。
ここまでの時間と労力をかけてサイトを作るという行為がどれほど凄いことか。私には出来ないことなので、とても尊敬する。

読みやすく、的確な引用でよくまとまっているのも有難い。

著作権法的にちょっと危険 いや完全にアウトかなと思う箇所もあるが、「霊的学習」を推進している本の著者たちは著作権侵害で訴えないだろう。霊性を布教したいなら文句を言うべきではないと思う。
(念のため書いておくけど、私の小説は既に有料創作となっているので著作権フリーとはしません。再配布された場合はきっちり訴えますから気を付けてね)

上サイト本旨の
「自殺すると大変なことになる = 自殺すると罰を与えられる」
というご主張に関しては少しだけ反論したいところもある。

だけど概ね、私も同意見。

特にこの引用部分は今の私の心に響いた。
 これらのリーディングを受けた十八人の人たちは、一九四二年から一九四四年までの間に、あらゆる場所からケイシーの所にやって来ました。その教育歴や社会的背景、職業の選択は大きく異なりをみせています。その過去生も今生と同じく個々別々でしたが、共通する特徴、魂の性質がいろいろな言い方で繰り返し表現されているリーディング共通の言葉から浮かび上がってきます。次にそれを列記してみましょう。

「……その人は地上での生涯のほとんどで、とことん自分を捧げ尽くした。」

「……もらうよりも、常に人にとことん与えつくす人である。」

「他のことを思いわが身を捧げる人である。」

「どの世界にあっても人の発展のために身を捧げる人である。」

「利己主義はその人の存在の中にはない。」

「……そして、己を征服することこそ、数多くの世界を征服するよりはるかに偉大なことなのだ。」

「そのように、人は己を奉仕に捧げる時のみ目覚めるのである。聖なる愛が現されてきた、今も現されているために、あなたは他に与えてきたものを所有しているのだ。それこそ、成長と目覚め、意識が育っていくための方法である。」

 この人たちは今生では外見上はまったく異なっていましたが、人に奉仕するためには利己的興味を捨て去ることも辞さないという、共通点があります。奉仕、そして捨て去るものだけを得るという聖書的な戒めを説いているのは、この人々のリーディングだけではありません。沢山のリーディングが、人への奉仕が神への最高の奉仕なのだと説いているのですが、この特殊グループのリーディングは一貫して、私たちがそれを実行に移し魂の資質としてしまうまでは、地球に戻ってくるか否かを自分で決定できる段階に至ることはないと言っているように思われるのです。

『地球卒業者18人の過去生』(P.212-214)

ケーシーか……、まだこの頃のリーディングには道義があったのだな。
嬉しいね。

最近のスピリチュアル本は、「引き寄せの法則」などと言って自分の地上での欲望を叶えることばかり推奨していて、全く奉仕の精神が説かれていない。まるで自己の欲を貪らないことや、利己主義を忘れて他者へ奉仕することが犯罪であるかのよう。

上の引用のような言葉に触れると孤独が癒される。
私も全く同意見だ。
(今の私には、「とことん自分を捧げ尽くす」ということは出来ていないのだが)

この他に
「人は自分で自分の人生を計画して生まれてくる」
という話も私が普段から考えている通り。

占星術家も、最近のスピリチュアルマニアも、「自分で自分の人生を計画して生まれた」という話を信じようとしない。
皆さん、いつまでも神=運命との闘いに溺れていたいらしい。あるいは神に溺れるかのどちらかだ。

彼らを眺め、宇宙に一人きりで浮かんでいるかのような感覚でいたが、上のような言葉に触れると孤独ではないと感じる。

サイト主様には上の言葉をネット上に置いてくださったことに感謝。
しばらくこのサイトを読みふけろうと思う。


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