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自殺すると罰を与えられるのかどうか?

何度もこのテーマで書いているな。
「同じ話ばかり。しつこい」と怒られるだろうけど、前記事でご紹介したサイト『自殺の甘い罠』に触れて改めて思うところがあったので書いておく。

「自殺してはいけない」への反論者


こちらの「質問と回答」ページで見られるように、「自殺してはいけない」という主張には必ずと言っていいほど激しく絡む人が現れる。

絡む人の多くは、自殺したくてしたくてたまらない、強い自殺願望を持つ人なのではないかと推測する。
自分の願望を邪魔するような意見を書く人を見ると突っかかる。
どうにか相手を論破して、「自殺してOK」というルールを成立させたくてたまらない。

だけど現世の国会ではないのだから、反対意見を持つ相手を論破してもどうしようもないだろう。
管理者に文句を言ったところで、管理者は本から学んだことを伝えているだけであり霊界のルールを操作できるわけではない。
引用された本の著者ですら、「霊界の声を伝えただけ」と主張しているのだから思想信条をあらわした著作者とは言えず、クレームをつけても霊界法律を変える力はない。

だからこのような議論は常に滑稽で不毛に感じられる。


うつ病の自殺は「病死」


ただ、解釈における論理的破綻、という点だけは議論に価するかもしれない。

たとえば上の「質問と回答」ページで注目すべき議論は、
「うつ病で死んだ人は自殺者として罰せられるのかどうか?」
というあたり。

サイト主は、「うつ病で自殺した人も罰を受ける」と言う。何故なら、行為として自殺である限りそれは寿命の前に命を絶ったことになるから。
前田さんという質問者は、その論理的破綻に本能的に気付き、うまく表現できないながらも必死で指摘しようとしている。

何故、前田さんは論理的破綻を感じたのか?
分析すると、たぶん以前にサイト主が自分の考えとして、「特攻など国を守るために死んだ人は自殺にならない」と述べているからではないかと思う。

特攻が「自殺ではない」と定義されるのだとするなら、外形的な死因が自殺だった(自分で手を下したという見た目の行い)ことではなく、動機が人生放棄だったという内的意図のあることが「自殺」という罪の成立要件だと言える。

この前提があるにも関わらず、「うつ病での自殺も有罪となる」と言うのは論理的な危うさがある。
何故なら、うつ病での自殺は医学的に見ればほとんど不可抗力であり、「病死」と呼ばれることもあるからだ。
(うつ病患者の全ての自殺について完全に不可抗力であるとは断定できないが)

うつ病になる過程を、本人に責任があるとするのも疑問。
うつ病は脳の病であり、仕事上の負荷など外的要因で発病することが多い。つまり本人だけの責任とは言えない。

もしこれが地上の裁判であるなら、特攻の自殺を有罪としない判例があれば、裁判官は「うつ病での自殺」を有罪にしないだろう。判例上、罪が成立する要件に欠けると考えられるからだ。
これは例えばの話。現実の日本国の刑法では、自殺は刑法上の罪とされていることに注意。特攻で亡くなった人について、その自殺行為が有罪か無罪か争われた裁判はないので上のような判例はない)

霊界の方々が「うつ病での自殺」をどのように見ているかは知らない。
人間界より優れているはずの霊界で、人間界よりも劣る杓子定規の判決が下されるとは私には思えないがね。


私の考えを述べれば


死後世界について垣間見た体験のある私の考えを書いておくと、「自殺したこと」自体が罪で、神さまから罰を与えられるということはないと思う。

それどころか殺人その他どのような悪い行いをしても、神々など目上から与えられる「罰」は存在しない。

多くの臨死体験者や霊媒が語る、「地獄」は本物だろう。
自殺者や殺人者が味わう苦しみもたぶん、本物だ。

だがそれは自殺した霊が自分自身で閉じ籠もっている精神の牢獄に過ぎない。
「上から与えられた罰」と言うよりは、「激しい後悔」と言ったほうが正しい。

ただし自分で作り出した牢獄だからと言って甘いものではない
霊界では、後悔の状態は地獄そのもの。
神さまや閻魔さまなど、目上の存在が与えてくださる罰であったほうがまだ救いになる。

アドバイスをくれる存在を「神々」または「天使」と思い、人生計画を提案してくれることを「人生計画の許可」と思う人は、まだ少し魂として若いのかもしれない。
霊界の先輩たちは、未熟な我々を手助けしてくれているだけのことで罰を与えたり許可を与えたりする権限まではない。

バーチなどの言う
「因果の法則」 「全ては自己責任」
という言葉をもう一度深く考えて欲しい。

それは非常に厳格で、最も冷たいルール。
誰からも判決を下されることなく誰からも罰を与えられない。
誰かが許可して人生計画が決定するわけでもない。※2
ただ徹底して厳しい、自動的な因果の法則があるだけだ。

その自動的な法則のことを、人は地上で「神さまの判決」だと思い込んでいる。
何故そう思いたいのかと言うと、「神さま」という意思のある存在だったらミスして甘い判決を出してくれることがあるかもしれないからだ。
ひょっとしたら、言い訳をして訴えれば情状酌量があるのではないかと夢観たいのだ。

でも現実の宇宙にはミスがない。
恐ろしく無機質なエネルギーの運動があるだけ。

はじかれたボールはそのエネルギーを受けて転がる。エネルギーは別のエネルギーを受けない限り絶対に変更されないだろう。
この厳密な物理学に似た法則に、「神さまのミス」での情状酌量・恩赦はない。


キリスト教圏の自殺者(とその家族)差別について


こう言ってもまだ「自殺すると罰を受ける」と思うなら、少し地上での教育に洗脳され過ぎていると言える。
特に自殺者を差別するように教育されているキリスト教徒は、洗脳の度合いが強いだろう。

上のサイト主さんも、
 最後にお願いなのですが、Mさんは「スピリチュアルに関しての知識は皆無です。」とおっしゃりましたが、できれば自ら進んで(私への質問以外で)学ぶ意欲をぜひ持っていただければと思います。
と仰っているのだが、スピリチュアル本以外も読んだほうがいいかもしれないと思った。

スピリチュアルの本ばかり読んでいると
「自殺は罪」
「罪だから罰を受ける」
という思考に陥りやすくなるかと思う。
スピリチュアル思想はキリスト教圏で生まれたため、多くのスピ系書物はキリスト教の教義に汚染されているからだ。
(その証拠に、スピリチュアル本ではキリストを迫害した者たちに過酷な罰が与えられていると説かれている。ところが、現実に人類史上最大数の虐殺を行っており、人類史上最凶の残虐な行いの限りを尽くしてきたキリスト教徒たちが受けた罰については一言も触れられていない。これほど一宗教だけに肩入れした、不公平な世界観はない)※1


もちろん「自殺しないほうがいい」という意見に私は完全に同意だ。
後悔の牢獄は激しく苦しいものだし、転生しても苦しい。

「ヘミシンクをして死後体験をすれば霊界に慣れるから、自殺してもすんなり死ねる」
と宣伝している人を見かけたときは激しい憤りを感じた。
自殺を推奨するような意見をネットで書くなどとんでもない。

エネルギーの法則から言って、自殺すれば転生したときに同じ人生を歩むことになる
もしかしたらもっと過酷な人生になる可能性もある。
だから絶対に自殺という選択肢は選ぶべきではない。
辛いことがあるならその場から逃げてもいいので、生き延びる道を選択して欲しい。

上のサイトを読むことで自殺に恐怖を覚え、思いとどまる人は多いだろう。
その救った命の数だけサイト主さんは素晴らしい行いをしたと言える。最高の人助けだ。
前記事にも書いたけど、信念を持ってこのような善行をしているサイト主を心から称えたい。

ただし上サイトを読む人へ言っておくと、一宗教に汚染された偏った概念によって、「自殺した人は犯罪者」とは思い過ぎないほうが良いと思う。(サイト主さんには自殺者を犯罪者として責める気持ちは微塵もないだろうが、読む人の中には誤解して差別心を持つ人もいるはず)

日本人は虐められて自殺を選んだ人に同情を寄せる優しい民族だ。
いや、本来、人間は虐められて自殺した人を嘲笑できるほど残虐ではない。
誰が悲しい死を遂げた人の死体を嗤いながら踏みにじることができるだろう? 
そんな、人間の本能に逆らった残虐な行いができるのは、頭のおかしいカルト思想(または宗教)の信者だけ。
そんな異常な思想に汚染されて、自殺した人の死体を踏みにじったり、その人の家族を迫害するような行いだけはしないで欲しい。
そのような非人道的な行いこそ地獄行き決定だ。


注釈


※1 現実には、残虐行為を貪ったキリスト教徒も死ねば激しい後悔の地獄へ落ちている。むしろ他の宗教信者よりも残虐な行いをしているので、最も激しい苦しみに落ちているだろう。
因果の法則は厳格かつ完全平等で、宗教によるエコひいきなどはない
キリスト教(あるいは他の一神教)が説いている、「我々の宗教に入信すれば誰でも無条件に天国へ行ける。どのような残虐な行いも赦される。異教徒は積極的に殺していいから、思う存分に異教徒殺人を愉しめ」という教義など嘘だ。
ただキリスト教圏で出版される書籍でこの真実を書けば反発を受けて読んでもらえないので、出版社または著者がカットしているか、霊たちが伝えていないだけ。シルバーバーチなどの高級霊が、「キリスト教徒だけは霊界で特別にエコひいきしてもらえているから安心しろ。キリスト教徒は自由に殺人をしてもいい」などと言うはずがないだろう。

殺人を推奨し、何をしても赦されるという教義を信じて快楽殺人を貪った信者たちは不幸だ。これから永久に等しい期間を苦しんで過ごさなければならない。彼らは何度も同じ宗教(現代では同源のカルト思想)の信者に生まれ変わって、殺人して地獄に落ちるというループを繰り返している。いったい、いつ目覚めるのか。気の毒に思う。
だが「自分は詐欺に遭った」と怒るのは間違っている。
魂の本能に逆らい、残虐な行為を愉しんだ責任は自分にある。

キリスト教徒やイスラム教徒に生まれても、残虐な行いに手を染めず、奉仕の精神で善行に生きる人は大勢いる。
同じ宗教に入っていても受け取り手の意識で信じる教義は変わってくる。
結局は、どんな環境に生まれたとしても魂の本能に従うかどうかが問われている。
(追記:ただしルト思想についてはこの定義が当てはまらず、何故か信奉者の全員が同じ行動をする。これは家系の宗教と違って親から与えられた教義なのではなく、本人自身が選択し洗脳された思想だからだろう。こちらのほうが罪深いことは明らか)

もちろん一神教のもとに生まれた人は教義の罠に沿って生きることになるので、それだけ人生が難しくなるとは思う。何故その環境に生まれたのか考えたい。おそらくは自分が過去にした行いによってそのような難しい環境に生まれているのだから、試練をクリアすべき。


※2 「誰かが許可して人生計画が決定するわけでもない」について。
実際には生まれる前、ガイド霊たちが人生計画を提案するらしい。だがそれはあくまでも「提案」であって、目上からの「命令」でも「許可」でもない。
ただ因果の法則で自動的に決まる選択肢のうち、マイナスのカルマ(エネルギー)を解消するための人生計画を教えてもらっているだけのことだ。
その人生を選んで地上に生まれるかどうかは霊自身の意思による。たいていはマイナスのカルマを解消したいので、提案を喜んで受け入れるらしい。

快楽を貪る都合の良い人生を選ぶことができないのは、エネルギーの法則による。選択肢は自動的に決まる。
エネルギー法則に逆らわず、なおかつ最短の道で成長するための人生計画を立てるのは非常に難しい計算が必要なので、若い魂には無理であるらしい。だから先輩たちが考え、提案するのだろう。

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