我傍的、ここだけの話

吉野圭のプライベートブログです。『我傍』裏話や前世、軽めの話+占星術
 メニュー・新着

-

囲碁・将棋の擬人化~盤上ゲームが苦手な理由

SG0I9A5442_TP_V4.jpg

この話に唸る。









なるほどね……、駒(石)ごとの擬人化か。

極めているなあと感心。尊敬する。
頭の中で擬人化して妄想するほどであるのは、相当に極めてらっしゃる証だろう。

前にも書いたが私は囲碁・将棋・チェスと関わらずに生きてきた。
と言うと意外に思われるのだけど。
(「前世」という話は抜きにして。幼い頃からお勉強ができたために「盤上ゲーム得意そう」と思われる。また、占星術でも私のネイタルMCに「チェス」の象意が出ているので、「チェスなどやらない」と言うと意外に思う方が多いらしい)

このため実はほとんど盤上ゲームの知識はないのだが、少しだけ学んだ経験で言うと、私の場合は一駒(石)を数十人~数百人の隊として想像しているかな。
キャラクターとしての擬人化はしない。
従って歴史小説のようなドラマも妄想しない。
ひたすら一駒=何人の「命の数」として頭の中でカウントしている。
それはたぶん一人の人格を思い浮かべるよりも、生々しく嫌な想像だ。
だからこそなおさら盤上で駒を動かすことに恐ろしさと嫌悪を覚え、囲碁・将棋を避けてきた。

避けた理由としてもう一つ、相手がぶつけてくる感情が嫌で嫌でたまらなかったということもあるが。
「お前に勝って見下してやる」という相手のプライド、勝つことで優越欲求を満たしたいという欲望がたまらなく嫌で、気持ちが悪いと感じてしまう。

つまり私は「盤上ゲーム恐怖症」という病気で、勝負事を過度に恐れるコミュ障だ。


ただ、囲碁と将棋だったら僅かの差で囲碁のほうがマシ……、という気がする。

それは上の方のご指摘の通り、囲碁のほうが殺伐としていてリアリティがあるせいかもしれない。
たとえば痛みの経験がある人は、中途半端に痛みの表面を撫でるフィクションよりも、現実そのままを見たほうがまだ楽だったりする。
将棋のように死んだはずの駒が生き返る、生易しい展開はかえって辛い。

しかも将棋は生き返った味方が敵に寝返っていたりする。
私には腑に落ちず、感情的に混乱するので抵抗感が強い。

将棋は日本の戦国時代的な感じで、いかにもこの国の風土に合っている。
将棋向きの人、囲碁向きの人とタイプが分かれると思うが、世界の戦いはたぶん囲碁的だ。
世界は「慣れ合い」が通用しない。
だからグローバルな人材を育てるには囲碁のほうが教育として良いだろうな。
殺伐とした世界のリアルを子供に教えることが、正しいかどうかは別として。

関連記事
My profile

Author : 吉野 圭

→プロフィール・お奨め記事

【お願い】
当ブログの記事を気に入っていただけたらシェアお願いします。要パスワード記事は引用しないでください(パスワードを貼るのも禁止です)

記事にして欲しいご質問あればこちらからどうぞ:★コンタクト

検索フォーム

Translate,翻譯

過去ログ v Co リバース

管理者 別サイト

現在位置

トップ > プライベート > 囲碁・将棋の擬人化~盤上ゲームが苦手な理由

このブログはPG12です。→保護者の方へ

メモ帳

【別窓で開く】