競争心が生理的に無理、という話

前記事に続き、取り留めのない雑談。

囲碁・将棋の話で、私は

(囲碁・将棋を)避けた理由としてもう一つ、相手がぶつけてくる感情が嫌で嫌でたまらなかったということもあるが。
「お前に勝って見下してやる」という相手のプライド、勝つことで優越欲求を満たしたいという欲望がたまらなく嫌で、気持ちが悪いと感じてしまう。

と書いた。
これは特に子供の頃、強く思っていたこと。
さすがに今は趣味で囲碁・将棋を愉しむ大人を見て「気持ち悪い」と思うことはないから、囲碁・将棋ファンの皆さま怒らないでください。

ゲームを愉しむ心が悪いものではないと気付いた今は、趣味で囲碁・将棋に興じる人々を微笑ましく眺めている。
その知識と能力を尊敬もしている。
プロ棋士の人たちは通常社会よりもピュアな人が多いので、盤上の戦いは俗世の競争よりマシだったのかなという気もする。

ただ盤上ゲームで相手と向き合うと、やはりダイレクトに相手の感情と向き合うことになるので怯えてしまう。
仮に
「お前なんか! お前なんか!」
という対抗意識が向かって来るのを感じれば、その意識自体にアレルギー反応が出て吐き気を覚えるだろう。
そんな相手に勝てば勝ったで気分が悪い。
かと言ってこちらが負ければ相手は露骨に喜んで見下した態度をするだろう、そんな相手の姿を見るとまた「卑しい」と思ってしまうのが分かっている。
他人を軽蔑したくないのに軽蔑せざるを得ないことが嫌なのだ。
さらにこんなことを色々と考えてゲームの展開に気を遣う自分も、汚いと思う。
気を遣ってわざと負ける行為をしたことがあるが、そんな自分の行いが最も嫌だ。

相手が人間である限り、これら汚い相手や自分の感情を見ることは避けられないだろう。盤上ゲーム恐怖症はこれからも当分治りそうにない。
コンピュータ相手ならまだ大丈夫みたいなので、リハビリのために少しずつコンピュータと戦うようにしてはいるが。

余談だけどこんなガラスのハートで、本当に前世で戦争をしていたのか?
我ながら激しく疑問になるときがある。
まあ記憶があるので、自分が戦争をしていたことは間違いないのだろうが。
本当に、現実だとすればよくあんな仕事に耐えたものだ。
(あの当時を振り返ると、「仕事だから」という意識にあり、耐え難い感情は見て見ぬ振りをしていた。だから戦場で吐いたり泣いたりしたことはない)
耐え過ぎて魂の深くまでダメージを負った。
それで今こんなヘタレの仕上がり。笑
情けないね。

ところで俗世の競争心は囲碁・将棋の世界よりもさらにドロドロとしていて、薄汚い欲望と卑しい悪意を感じるからなおさら苦手だ。

知恵袋でこんな質問を眺め、「そうそう。まさにこういうタイプの人が苦手なんだ」と頷いていた。

⇒うちの妻、正気でしょうか?

4年前に住宅ローンを組んでですが、戸建のマイホームを購入しました。
8軒の新築分譲なので、だいたいどの家も経済的には同じような感覚のお宅が多いように思います。
男性の私から見ると、どこの家の方も会えば感じよく挨拶をしますし、住みやすい環境だと思っています。
妻も最初はそうだったようですが、ここ半年ぐらい、やたらとご近所を意識するようになってきてしまいました。

子供が通っている幼稚園のレベル、乗っている車のメーカー、車を買い替える回数、
庭の手入れの具合、奥さんの年齢、旦那さんの勤め先などの情報を昼間の井戸端会議などで
仕入れてくるようで(汗)

……(日常生活のあらゆることで、近所の奥さんと張り合うような行動をする妻)……

これってプライドの高い女性ならみんなそうですか?
みなさんの奥さんもこんなに近所を気にしますか?
正直、最近妻の思想が心配になってきました。