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改めて、DSCを考え直す

DSCを考え直す


昨晩、別に水瓶座15度についてしつこく考えたかったわけではなくて、トランプ米大統領のディセンダント(DSC)が不可解だったのでネットに何か情報が転がっていないかと思って調べていたのだった。

トランプ氏のDSCは、
水瓶座30度 『アーダスの咲いている野原』。
松村解釈だと
この度数の人は、すべての人類に共通のルーツを発見し、そこに回帰することで個人の個性の違いを越えた普遍的な共感に至ろうとします。人間中心主義においての究極の到達点に至るかもしれません。また、古代も現代も違いはないことを知るでしょう。
となる。

とうてい、トランプ氏自身の個性に関わりがあるとは思えない。
私は以前に、「DSCはその人の人生の死後(または終末期)、周りから見られるイメージ」と書いたことがあったのだけど、トランプ氏が人類の普遍性を持つ人物だと見られる可能性は僅かもないね。


※2021年2月現在、未来の結果から見てこの表現は誤りだったと言えます。トランプ氏は確かに「古代の普遍的な」王様イメージを背負うことになりました。彼が演じた役は多少乱暴で泥臭かったものの、反対陣営とは真逆の人間中心主義だったと言えます。このシンボルは正しかったかも。

前記事でご紹介した、すたくろさんの解釈でも同じ。
⇒Code.no 330 水瓶座30度  アーダスの咲いている野原
「思考」でこの世界と関わる水瓶座は
科学や実際的なものを良しとするので
精神世界的なものとは相反する面があるのですが、

理性が極まると悟りに至るように
科学的探求も、
ある程度まで行き着くと
スピリチュアルな見解に転じたりするものです。
うん、魚座の一歩手前なのでこの解釈で正しいと思う。

「理性が極まると悟りに至る」「科学的探求はスピリチュアルに転じる」ということ、水瓶座人間である私は体験的にものすごくよく分かるのだが――トランプ氏には無理だろうな(笑)。
トランプがスピリチュアルを語り出したら面白過ぎて、好きになるけどねー。

(以下、完全に誤りだったのでカット。「反差別を叫ぶアメリカの白人を好きになった」などと書いていましたが、ただの国家破壊を目論む暴力主義者たちでしたね。失敬)

DSCは周囲の反応


本題に戻る。

トランプ氏のケースを眺めていてようやく気付いたのだが、DSCは
「自分の存在が起こす周囲の反応、まとめ」
を表しているのではないか。

無論、7ハウスに結びつけらるのだからDSCが「他者」と関わるのは言うまでもないが、「他者」そのものを表すのか「他者による本人の晩年イメージ」を表すのかで迷いがあった。
歴史上有名人の出生チャートを観察していると、どうもその人の人生全体のイメージに関わっているように思えたので、「晩年イメージ」と解釈した。

日の出のアセンダント、日暮れのディセンダントなのだから、「晩年」と解釈するのも間違っていない。
※松村氏は「晩年」を採る

ただ今まで私は、死者では人生計画が成功した人ばかり眺めていたのだよね。
100年を超えて歴史上有名人となっている人々は、称賛に価する仕事を成した人たちが多い。
つまり本人も納得して周囲と同調して人生を終えた人たちだ。

前にここでも紹介した例で説明すると、

●ヘルマン・ヘッセ DSC双子座21度 『労働者のデモ』


 →反抗、反骨の態度を表す。ヘッセ晩年の生き方の通り。あるいは、人々がヘッセを思う時にイメージしやすい全体像。

とかね。
ヘッセの例を見ると、自らの意志でこの評価を引き出したように思える。
他の成功者たちも然り。
だからASC→DSCが本人個性に関わっているかのように見えた。

しかしよく考えれば幸福に人生を終える人ばかりではない。たとえば

●アドルフ・ヒトラー DSC 牡羊座27度 『落胆させられた大聴衆』 (出生度数はASC天秤座後半説による)


●マリー・アントワネット DSC 山羊座5度 『カヌーを漕ぎ戦争の踊りを踊っているインディアン』



等々。
私はDSCを本人の人生結果としか考えていなかったので、不幸な結末に至った人の例を見ても「まさにこの通り」と思って見落としてしまったのだけど、よく見ればこれは純粋に「他者の反応」を表していないか?

今まさに同時代に生きる、トランプ氏を眺めていてようやく気付いた。
DSCは本人の意志とは関わりなく、周囲に巻き起こる反応 であると。
もちろん高次元の「意志」として、このような反応を巻き起こすために生まれて来るわけだが。生きているうちには何故このような反応が起きて来るのか本人には不可解だし、不本意に思えるだろう。

うーむ、なるほど。
同時代の人を見なければ分からないものだね。
体感として詳しい経緯を理解している相手でなければよく分からないもの。
(普通は同時代の相手でなければ詳しい経緯を体感として理解できない)

この結論をもとに改めて諸葛亮のDSCを考えてみると、やはり

諸葛亮 DSC 獅子座15度 『山車』 


 →本人が不本意であっても担ぎ上げられワーワー騒がれる
が事実に合っているなという気がしてきた。
同じ感受点を持つ私は認めたくない、と言うか、今のところ現実において全く関係ないことなのだが。
※人生ストーリーが具体的にどうなるかは中身の惑星アスペクト×進行・経過天体で決まる



解説


ディセンダントはアセンダント以上に分かりづらい。
特に現代は太陽占星術が支配しているのでアングルはほとんど無視されており、学ぶ機会も少ないと思う。
学んだとしても、せいぜい
「アセンダントは容姿、第一印象」
「ディセンダントは結婚相手」
といった誤りの余談を教わるだけ。
アングルは常にオマケ扱いだよな。プロの方々が故意にそうしているのだろうけど。
だから長年占星術を学んでいても実はASC/DSCがよく分かっていないという人が多いだろう。

だけど実際、ASC/DSCだけでも大まかな人生ストーリーが読めるほど重要。

あくまでもアングルはその人の魂の枠組み、つまり本質個性に関わるので、その出生チャートを持つ人生がどうなるかは「具体的な行動」としての惑星で決まる。
従って、同じASC/DSCでも同じ人生になるとは限らない。
ただ、その人の個性が周囲にどのような反応を惹き起こしやすいか、ということは読める。
つまり惑星という具体的行動をASCに掛け算し、イコールとしてDSCを読むと、結末が導き出されるのでは。

なんて、そんな高度な計算を一瞬で行うのは無理なので、対面鑑定には使いづらいけどね。
正確な計算が可能なのはせいぜい、生涯にわたり具体的な出来事とともに付き合っていく家族や自分の出生チャートだけかな、と思う。

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