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昼間、家族の録画した『家、ついて行ってイイですか?』を見ていたら、閉鎖した病院に一人で住んでいる女性の話に惹きつけられた。

彼女はご主人が開業医だったそうなのだが、二年前に他界。
病院は閉鎖し、その建物の一部を改装して奥さん一人で住んでいる、とのこと。

寂しくも温かい話で、
「主人が今でもここに居る気がする」
と語る奥さんの言葉には泣けてしまったのだが。

不謹慎にも私が惹きつけられたのは、その閉鎖した病院の映像そのものなのだった。

奥さんが、かつて使われていた病院内の部屋を色々と案内する様子が映し出される。
診察室や、カルテ。
注射器の入っていた戸棚。
治療に使うための様々な器具。
今もそのまま残っているそれらの部屋や器具を見て、映像から病院の匂いが薫り立つように感じた。
それで、蘇ってきたのは幼い頃の記憶だった。

私の実家(幼い頃過ごした家)は、小規模ながら開業医で、生活の場としての家に病院が併設されている造りだった。
明治~昭和半ばと時代はかなり古いので、番組で映された現代の医療施設とはかなり違う。
でも使われなくなった診察室、注射器やカルテの並ぶ戸棚や椅子、等々が漂わせる雰囲気にとても懐かしさを感じた。

過去の医療器具は独特なものだ。
置き去りにされた物の侘しさとはまた違う。仕事を終えた物としての誇りを纏っている。

幼い頃、私は世を去った祖父が使っていたそれら医療器具を、伝説の宝物のように感じていた。
そんな宝物が並ぶ診察室で、延々と本を読んでいたことを思い出す。
そこに閉じ籠もり読書する時間が好きだったな、と。


そんな幼い日々を思い出して、「ああ。意外とこの人生は楽しかった」と気付いた。

あまりにも報われず、虐げられ、バカにされるだけの人生で。

自分が今ここに生きていることに何の意味があるのかと未だに思っている。

だが思い出してみれば、あの診察室で本を読んだ日々のように些細なことが楽しかったし幸福だった。
誰にも邪魔されず好きなだけ本が読める日々があったこと自体、奇跡的に幸福なことだったな。

もちろん好きな人と巡り合い、伴に過ごすことができた長い日常も奇跡的で貴重だったが。
まだこちらの人生は終わっていないので振り返るには早いだろう、ということでやめておく。
いつか振り返る時が来れば、日常の細かい事々が幸福だったと思い出すことになるのだと思う。


前世の話ではなくて、すみません。

どんな人生でも振り返ってみれば幸福な日常の思い出がある、と言いたかった。

一見、壮大に思える前世であっても同じ。思い出して幸福だと思うのは結局、伴に過ごした人の笑顔など、些細な光景だったりするもの。
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吉野 圭-Yoshino Kei
Posted by吉野 圭-Yoshino Kei


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