2014
Aug
07
-
『我傍』で描いた幼少期の話について(修正のご報告)
『我傍に立つ』第一章(1)、幼少期の描写について。
読者の方から、
「後に兄と再会した場面で、兄が母親のことを“義母”と呼んでいるのに、第一章では兄にとって実の母親であるとしか読めない。兄にとって母親は“義母”ではないのでは?」
とのご指摘を受けました。
ご指摘に大感謝です。
これは筆者のうっかりミスなのです。
初稿からネット公開までの間に、家族関係については大幅カットしため、兄が異母兄であることの説明が抜けてしまいました。
これでは確かに、15年後に再会した兄が母のことをいきなり「義母」と呼んでいることになってしまい、なんのことやらです。
このご指摘を受けて、下記の通り修正しました。
それにしてもご指摘いただいた方は素晴らしい注意力です。
ほとんどの方がお気付きにならなかったのではないか、と思います。
と言うより、ほとんどの方にとって主人公の家族関係などどうでもいいのかもしれません(笑)。
そもそもこの家族関係の描写は、編集者より
「必要ないからカットしてください」
と言われてばっさり削ったうえ、さらにネットにUPした後は
「---省略---」
という不自然な表記で略していたものです。
今は小説的にどうにか見られる表現となっているのではと思いますが、それでもやはりカットし過ぎて無理が出ていたんですね。
申し訳ありませんでした。
しかしそれ以上に強い理由は、私自身が異母兄を持つため。
現在の兄の立場と、その子供時代の苦しみをこっそり投影して描きたかったのです。
『我傍に立つ』は、「自分の記憶を書く」という目的が第一。
そして第二の隠れた目的として、幼少期の部分は「現在の自分の体験を書く」ということがありました。
家族関係や、親族などについてはほとんど現在の自分のまま書いてしまった。※
まあ、それで何ら彼の記録に反するところがなかった、というのが不思議なものですがね。
兄が『我傍に立つ』を読んだ時、
「あの家の雰囲気をありありと思い出した。よく書けている」
と言った。
兄には、嫌なことを思い出させてしまって申し訳なかったと思いました。
※ちなみに現在の兄は、母親の姓を名乗っているわけではありません。私と弟も幼い頃は母親の姓ではなく、父親の姓を名乗っていました。後に戸籍を変えて母親の姓を名乗ることになりましたが。
「父母のうち格上の姓を名乗ったほうが有利」というこの小説の設定は、古代の特殊事情に合わせた設定です。(この国は夫婦別姓。母の姓のほうが格上なら、母の姓を名乗ることも多かったと考えられる)
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読者の方から、
「後に兄と再会した場面で、兄が母親のことを“義母”と呼んでいるのに、第一章では兄にとって実の母親であるとしか読めない。兄にとって母親は“義母”ではないのでは?」
とのご指摘を受けました。
ご指摘に大感謝です。
これは筆者のうっかりミスなのです。
初稿からネット公開までの間に、家族関係については大幅カットしため、兄が異母兄であることの説明が抜けてしまいました。
これでは確かに、15年後に再会した兄が母のことをいきなり「義母」と呼んでいることになってしまい、なんのことやらです。
このご指摘を受けて、下記の通り修正しました。
そう、私の体に流れる血の半分は貴族ではなかった。父親は低い階級の家柄出身だ。沢寫とは、私と弟の母親の姓である。私たちは習慣に反して母親の姓を名乗った。父の連れ子である兄までも継母の姓を名乗ることになった。それは当然、出世に有利だったからだ。しかし母親の姓を名乗っていることは周囲に知られ てはならないとされた。特に兄は自分の体に沢寫の血が流れていないことをひた隠しにする必要があった。異母兄の身分を守るためにも、私たちは父親の姓を生涯隠して生きなければならなかった。これでどうにか少し分かっていただけるでしょうか?
それにしてもご指摘いただいた方は素晴らしい注意力です。
ほとんどの方がお気付きにならなかったのではないか、と思います。
と言うより、ほとんどの方にとって主人公の家族関係などどうでもいいのかもしれません(笑)。
そもそもこの家族関係の描写は、編集者より
「必要ないからカットしてください」
と言われてばっさり削ったうえ、さらにネットにUPした後は
「---省略---」
という不自然な表記で略していたものです。
今は小説的にどうにか見られる表現となっているのではと思いますが、それでもやはりカットし過ぎて無理が出ていたんですね。
申し訳ありませんでした。
余談。
この「異母兄」という設定は、もちろん記録をお借りしている歴史人物についてそのような説があるから、小説上でもこの設定にしているわけです。しかしそれ以上に強い理由は、私自身が異母兄を持つため。
現在の兄の立場と、その子供時代の苦しみをこっそり投影して描きたかったのです。
『我傍に立つ』は、「自分の記憶を書く」という目的が第一。
そして第二の隠れた目的として、幼少期の部分は「現在の自分の体験を書く」ということがありました。
家族関係や、親族などについてはほとんど現在の自分のまま書いてしまった。※
まあ、それで何ら彼の記録に反するところがなかった、というのが不思議なものですがね。
兄が『我傍に立つ』を読んだ時、
「あの家の雰囲気をありありと思い出した。よく書けている」
と言った。
兄には、嫌なことを思い出させてしまって申し訳なかったと思いました。
※ちなみに現在の兄は、母親の姓を名乗っているわけではありません。私と弟も幼い頃は母親の姓ではなく、父親の姓を名乗っていました。後に戸籍を変えて母親の姓を名乗ることになりましたが。
「父母のうち格上の姓を名乗ったほうが有利」というこの小説の設定は、古代の特殊事情に合わせた設定です。(この国は夫婦別姓。母の姓のほうが格上なら、母の姓を名乗ることも多かったと考えられる)
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