神秘・占星術

    有名人や成功者をレベル高い魂と思うのは、魂が未熟な証拠

    「前世の記憶を思い出す方法」で検索していたら、こちらがトップでヒットしました。

     『記憶をよみがえらせるヒント集 前世の記憶を思い出す方法』
     https://uranailady.com/07_zensei1.html
    ※お手数ですが営利濃厚なキュレーションサイトのためコピペ移動でお願いします


    ディスる(批判する)つもりは全くないのですが、少し「違うのでは?」と気になった点だけ指摘してみます。

    〔目次〕
    人間は価値が高くて、他の動物は価値が低い?
    他の動物が人間に生まれ変わることがないのは本当?
    「人間は価値が高い」と言いながら…
    「優れた人間性」の定義が、「有名であること」と言う次元の低さ
    高次元な人々は、「凡人」のなかにいる

    引用について: 上ページには「他サイトへの転記を禁じます」とありますが、閲覧者を限定せずに公開された文章は著作権法第32条で報道・批評等のための「引用」が許されています


    人間は価値が高くて、他の動物は価値が低い?


    上記事で冒頭からこの発言は気になりました。
    まず大前提として、人間の前世は人間です。
    よく「私の前世は犬だった」とか動物にたとえますが、何度生まれ変わっても動物の魂は人間にはなりません。
    それは人間のほうが、動物より価値の高い生き物だからです。

    人間のほうが、(他の)動物より価値が高い……?
    何の疑問も持たずこのような表現をすることに唖然としてしまいます。

    私は人間と動物を「価値」の高低で考えたことがありません。そもそも、人間も動物のうちの一種類に過ぎませんから、「人間と動物」という表現さえおかしいと思う。「人間と他の動物」と表現するならまだしも。

    つまり、私の中で人間と動物はこんなイメージ。現代の生物学的考えですね。
    (実際「動物」の円はもっと遥かに巨大ですが、便宜上ミニサイズとなっています)
    ningentodoubutu.gif


    ところが上の方はこう考えている。
    赤い線は永久に越えられない格の壁で、何故か人間だけは動物ですらなく、別格に「偉い」魂なわけです。
    ningentodoubutu2.gif

    「人間は高等で価値がある。動物は下等で価値が低い。だから動物が人間に生まれ変わることはない」
    との考え方は、近年のスピリチュアリストたちが声高に叫び始めた話です。
    思うにこれはキリスト教の影響でしょう。

    キリスト教は、元々「輪廻転生」を否定します。
    それは人間(その中でも自分の宗教信者だけ、特に宗教上の権威者)を絶対的優位に置きたいと考える宗教だからです。
    支配者層である人間と、人間に隷属するほかの動物が混ざり合って生まれ変わり、入れ替わる。もしかしたら来世で自分は隷属する側に周り酷い目に遭うかもしれない――このように考えるのは彼らにとって最大の恐怖で、絶対に許せない想像でした。だから輪廻転生説を唱える人を殺してまで、強固に否定してきました。

    近年の欧米ではそのような残虐な行いの反省から、多様な思想が認められつつあります。
    おかげで欧米でも徐々に「生まれ変わり」の事例を語る人が増えました。輪廻転生を信じる、心の広い人も増えたと思います。
    しかしそれでもまだ、「自分たち人間は絶対に偉い」「他の動物は下等で隷属すべきもの」という考えを捨てきるのは難しいのでしょう。
    「生まれ変わりは認めるけど、人間だけは別」と思いたい。
    長年、上の教義に支配されてきた文化圏なのだから仕方がないと言えます。

    でもアジアはそうではありません。
    アジアで信者の多い仏教は
    「一切衆生」(全ての生き物。植物も含める)
    を同じ一つの魂と考え、その全てに同格の仏性がある
    と説いています。
    これは古代インドの考えを受け継いだ思想です。

    アジアのなかでも日本は多くの神々を認める多神教が浸透していますが、これは全ての神や生き物を受け入れる度量があることを表しています。

    (実はこの多神教的な思想は古代ギリシャと同じ。古代、西洋も多神教で、人間と動物との差別はありませんでした。それどころか動物のほうが格上だと信じられていた時代もありました。人間だけを優位に置く傲慢な考えは、権力と結び付いた宗教が人々に押し付けたものです。このような傲慢な考えは生物として歪んでいて真実とは言えないでしょう)

    「人間だけが別格に偉い」とする考え方は、少なくともアジアには馴染まないし、真実でもないと私は思います。


    他の動物が人間に生まれ変わることがないのは本当?


    とは言っても、究極の真実と、地上に近い階層での準物理システムは分けて考えねばなりません。

    私には死後世界の記憶がないので、
    「人間が他の動物に、他の動物が人間に生まれ変わることはない」
    という話が事実か間違っているかは分かりません。

    前に読んだマイケル・ニュートン氏の『死後世界レポート』でも、人間と他の動物はそれぞれ別の場所で過ごしている話が報告されています。
    これもキリスト教圏で出された本のため、キリスト教の影響があると考えることもできますが、アジア人も共通して同じことを言っているようです。
    日本の有能な霊能者と考えられる人々も最近は同じことを言っています。

    彼らの話を信じるならば。
    もしかしたらこの地上に近い「死後世界」では、魂は種類によって分けられているのかもしれません。
    個体・液体・気体で言うと、魂は気体のようなものなので本質によって自然に分かれてしまうだけでしょうが。

    何度も書くように、究極の次元では全ての魂は同格です。
    同じ一つの根元から生まれるわけなので。
    ただ、どうやら、「魂」というものとして根元から分離された時点でその「魂」には固有の個性が与えられているようです。
    この本質個性によって、気体が分かれるように死後は同種の者同士で過ごすことになる。

    だからあくまでも地上に近い低次元に限って、
    「人間と他の動物は別の個性を持ち、別の場で過ごす」
    という話が妥当ということになりますね。

    なお、生まれ変わる場合はより物質的な制約が生まれますから、魂の本質によって乗りこなせる肉体が変わるはずです。
    犬や猫サイズに合う魂は、なかなか人間の肉体という容量の大きな乗り物を使いこなすのが難しいと思います。

    逆も真なりで、人間の肉体で過ごしてきた魂は、それなりのスペックを持つ肉体でなければ乗ることができないでしょう。
    来世に持ち越す記憶やエネルギーは少ないとは言っても、人間の場合は相当なものです。容量の少ない肉体では一瞬で容量オーバーとなり壊れてしまいます。
    (モバイル機器にパソコンの情報量を入れるとパンクするのと同じ)

    まとめると、人間と他の動物がお互いに入れ替わることがないのは、
     人間だけが格が高いとか価値があるからではなく、単純に容量の制約があるから
    というだけのことです。

    無論、全てのことに「絶対」はないのですから、イレギュラーはあるのかもしれません。
    たとえば相当に次元の高い魂が、自分の一部を小さな虫などに乗せてメッセージを運ぶことはあると思います。
    (地上でのカルマをクリアした高次元の魂は、地上での目的を果たす必要がないので魂のほんの一部だけを地上へ送ることができるはずです)
    これがよく仏教で語られる、「お釈迦様が動物に生まれ変わって人間を諭す」などの伝説となっているのでしょう。


    「人間は価値が高い」と言いながら…


    “動物は人間に生まれ変わることはない”という話に関連して、あとは上記事の矛盾点を指摘しておきます。
    また動物が死んだときはもちろん、動物霊につかれた人間が亡くなると、魂が重いので上の世界には上がれません。ふたたび動物に生まれ変わったり、成仏できずにその辺をさまようこともあります。

    いまのあなたが堕落的な生活を送れば、魂レベルが下がってしまい、来世は動物になり下がるかもしれません。

    「人間だけは価値が高く他の動物とは違う」と定義しながら、動物に生まれ変わることもあると言う……(笑)。
    何故ここだけ急に「動物落ち」が有りうるという話になるのか? 矛盾していますね。

    普通レベルの人間が生まれ変わると、普通以下にしか生まれ変わらないのです。レベルが落ちることはあっても、上がることはありません。

    この考えでは、魂は永久にレベルアップできず下がるだけとなります。
    ということは全ての魂がいずれ最下層に行き着くことになる。理屈に合いません。

    追記: 「別人に生まれ変わることはない」という意味なら正しい。魂は、死んで生まれ変わっただけでスーパーマンに変身することは絶対にない。「レベルアップ」したいなら、生きているうちに自分を磨かなければならない。ただし前世のエネルギーの全てを来世に持ち越すとは限らないし、肉体スペックも違うので完全に同一の姿・同一能力ではない。そもそも地上における肉体能力・処理能力と、魂のレベルは関係がない


    ちなみに一般的なスピリチュアルの書籍では、
    「人間と他の動物は違う」
    と定義した場合、絶対に人間が動物に落ちることはないと説きます。
    (当たり前。矛盾してしまう)

    それどころか「魂のレベル落ち」すら、有りえないとされています
    何故なら一度クリアした修行はアカシックレコードにストックされるから(…と言うよりは、閉じたカルマの輪が開くことは二度とないから)だろうと思います。

    その代わりに「停滞」はあるそうです。
    何度生まれ変わっても同じ段階でループする、という。
    これはこれで辛い。

    さらに言うと、現世で自らの欲望に負けて虐殺を繰り返すなど、更生不能な癖を身に付けてしまった場合は動物に落ちるチャンスすら与えられずに
    「エネルギー解体」
    されるらしい。(指導霊たちによって)
    これはエネルギーが消滅するわけではなく構成を変えられることなのだそうですが、魂としての個性はなくなってしまうわけで、「個性の死刑」に相当すると言えるでしょう。

    私が考えているのはもっと宇宙物理的で、厳格なもの。
    システム的な因果応報です。
    転生は上の階級に上がるための「修行」と言うよりは、プラス・マイナスの均等化。
    カルマがプラスかマイナスに偏った場合、自動的に平均を採ろうとするため反対のエネルギーで補います。
    この時、苦難が襲ったり幸運が訪れたりします。これを因果応報と呼びます。
    完全にカルマが均等となり全てのストーリーを終えたときが「輪が閉じる=上がり(悟り)」と言って、次元アップする瞬間になります。

    今世で怠惰な生活を送った場合、来世ではその反動として重荷を背負うことはあるでしょう。
    その逆に前世で重荷を背負った人は、今世では穏やかに過ごしているはずです。
    どちらもレベルダウンしたわけではなく、システム上の因果応報です。

    いずれにしても、罰としての「動物落ち」や「レベル落ち」は有りえないということになります。



    「優れた人間性」の定義が、「有名であること」と言う次元の低さ


    次に、ここの箇所は思わず笑ってしまいました。
    よく「あなたの前世はクレオパトラです」とか、有名な人物にたとえますよね。それも本当の前世占いではなく、お遊びです。

    上記の説明でわかるとおり、前世の自分と同レベル以上には生まれ変わらないのですから、
    もしいまのあなたが凡人であるなら、前世がクレオパトラであった可能性はゼロです。
    (夢を壊すようですみません)
    お言葉ですが……クレオパトラさんが、それほど格の高い魂だったとは私には思えません。
    私にはごく普通の幸福を求めただけの女性に思えますが?

    隣近所に住む主婦たちも、クレオパトラさんも完全に同じレベルの魂です。
    違いはただ、生まれた状況が違い、結果として有名になったかどうかだけです。
    (クレオパトラさんはその辛い状況に耐えられるだけの強さがあり、経験値もあった魂であるとは言えます)

    上の方の
    「有名人なら問答無用でレベル高い魂」
    「無名な人たちは全員、凡人」
    という価値基準に失笑してしまいます。

    有名人スゲー、カッケー、超リスペクト!!
    有名でもないし金も持ってない奴に一切価値なし。ゴミ!

    って……子供か。笑

    まあ、このような価値基準を持つ人は現代には多いでしょう。
    有名人を無条件で格上として崇め、その他の人はゴミと考えて大切にしない。家族など身近な人すらゴミ扱いで、ないがしろにする。
    つまり、
     名誉や金だけ
    に興味を持ち、現世での成功者を崇めて生きている。

    私には、名誉や金しか興味のない人々こそ魂のレベルが低いように思えます。
    「レベルが低い」という言い方が違うなら、「未熟」です。生まれたての子供に近い魂なのだと考えられます。

    これは意外なことかもしれませんが、ぜひ覚えてください。
    有名人のほとんどは魂レベルとしてはまだ未熟なほうです。
    なにしろ現世の次元に合わせて成功をつかむためには、現世レベルの低次元な発想を持たねば不可能ですから。
    (例外はあって、過酷な境遇に身を置いて魂を磨きたいと考える者は、重荷を負うために有名となる人生を選ぶこともある)

     参考: スピリチュアル本まとめ板によれば、高次元の霊たちは私と同意見らしい →霊格、「魂の年齢」を知るための詳しい話

    このため、有名人ばかり価値があると思っている人は、自ら低い次元に留まることになります。

    有名も無名も完全に同じ。
    地位や名前などの外観に囚われず本質が見られるようになれば、魂が大人に近付いたと言えるのではないでしょうか。


    追記: ところで前の項目でこの方は、「生まれ変わるとレベル落ちはあってもレベルアップは絶対ない」と書いている。と言うことは、この方の説を受け入れた場合クレオパトラ(この人の定義では最高レベル)が、無名な人(この人の定義では底辺)にレベルダウンすることはある、という理屈になるが? だって下がることはあるんだよね? ……全体に矛盾しているな。
    →算数の問題風に書くと分かりやすいのでは。「問題:全ての物はA地点からB地点へ移動して売ると、値が上がることは絶対にありませんが、下がることはあります。では、今B地点で100ポイントの物が、かつてA地点で200ポイントだった可能性はありますか? 答え:ある」。この方はこの問題で、「ない」と答えているから意味不明。
    上の引用箇所を正しい文にするなら、「前世の自分と同レベル以上には生まれ変わらないのですから」を「以下」に直すか、前段そのままの場合「もしいまのあなたが凡人であるなら、前世がクレオパトラであった可能性はゼロです」を「あります。」にする。
    真実を言えば、「今のあなたが凡人であるなら、前世がクレオパトラであった可能性は充分にある」が正解です。「大は小を兼ねる」という諺をご存知ないでしょうか? 経験値の高い魂はいかなる人生も送ることができます、凡人だろうと有名人だろうと(まあ有名人となる人生は難関試験のようなものなので、たいていの魂は二度と望まないでしょうが)。ここで「凡人」をレベル落ちと定義する低次元な発想こそが間違っているのです。


    高次元な人々は、「凡人」のなかにいる


    未熟な魂たちが「凡人」と蔑む穏やかな暮らしをしている人のなかに、有名人以上の優れた人が存在するのは事実です。
    私などは、
    家、ついて行ってイイですか?
    の番組を観ていると、どの人も素晴らしく価値があり学べるところがあるので目が離せなくなってしまいます。
    あの宝石のような魂の輝きに気付かないとは、どれだけフシアナさんなのか。
    幼稚な人々に崇められている「有名人」など、私には学ぶところが少ないように思え、観ていて退屈です。

    ニュートン氏の本でも、次元の高い老練な魂ほど穏やかで静かで、無名な人生を送っていると証言されています。
    彼らはまだ魂が若かった頃、有名人となり波乱万丈な人生を送ったこともあったそうです。
    その経験で魂を磨き、成長し、今は静かな人生のなかで使命を果たそうとしています。

    私も鑑定経験から証言しますが、この現代にもかつて有名だった人々が生まれ変わっているようです。
    明らかに出生ホロスコープが特殊なのに自分で気付いていない方もいるし、前世記憶を持ち、苦悩しながら生きている人もいます。
    そのたいていの人々が無名で、穏やかな日々を送ってらっしゃいます。
    烈しい生き方を経験した人ほど今世では無名で静かな人生を望むというのは本当のようです。

    また、エネルギーの法則からも妥当です。
    エネルギーはバランスをとろうとするものですから、前世が烈しければ、次の人生は穏やかになると考えるほうが理屈にかなっています。
    (無論、例外はあります。前世で課題をクリアせず亡くなった方は再び同じような人生を送らなければならなかったり)

    最後に私の持論になりますが、他記事で書いた文を転載しておきます。
    真実として思うのは、こう。
    現世では有名になってもならなくても、どちらでもいいんです。
    社会的には成功しても失敗してもいい。
    ただ、目の前にあることを懸命に、誠実にこなしていくべきだと思う。それだけです。
    ズルいことをしたらいけない。
    他人に嫉妬して悪さをしたらいけない。
    自己の我がままのために人を虐殺したり、快楽で虐待するのはもってのほか。
    貪るな、欲張るな。
    ただひたすら人間として、まっとうな生き方をすべき。


    よく「高い志を持て」などと言うけど、本当に高い志とは「まっとうな生き方をすること」です。
    それが人にとって最も難しく最も高い位置にある目標だからです。

    狭い視野で生きている人たちは、「高い志」をビジネス上の成功だの、地位だの名誉だの金だのとしか捉えられません。
    それこそ低いんだよ。低次元な意識なんだよ、と思います。
    もっと視野を広げ、真実を見なければなりません。

    本当に大切なことは平凡な日常のなかにしかない。
    昔の人はスピリチュアリズムなど知らなくても、自然とこういう感覚があったものでしょう。

    『死後の世界の記憶がある人のスレ~』より

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