我傍的な話(裏話・実話を絡めた歴史空想話)

    自己反省。「あの頃は、テンパっていて申し訳なかったなぁ」等、作品中に書けなかったこと

    記事を見返していて誤解されるかなと気付いたが、前々記事で
    高次元な人々は、「凡人」のなかにいる
    と書いたのは、自分のことではありません。

    私は、全くダメです。
    高次元どころか人としても下のほう。

    他人の我がままを最後まで許し続けることができない。
    ストーカーから攻撃されると普通に怒る(笑)。
    努力も足りない、やる気も足りない。
    精神的に弱過ぎる、人としての修行が足りなさ過ぎると思っています。

    それから、この人生では負担を避けて過ごしているので、他人が見れば驚くほど何もやっていないと思われるはず。
    会社では小さな小さな「歯車」の一つくらいにはなっているのでしょうが、社会全体のお役に立つようなことは何一つ成していない点、今も後悔と劣等感を抱えて生きています。

    前々記事で書いたように、一般的なスピリチュアルの本では
    魂がレベルダウンすることは絶対にない
    と書かれています。
    理論でも、そうなるはずと思う。
    エネルギーが落ちるいっぽうで上がることがなければ、全てがいずれ最底辺に落ちることになる。
    (結局、曖昧に見えるスピリチュアルも理論の世界です。哲学の一種ではある。筋が通っていなければ偽物。アウト)

    だから私はよく冗談で、
    「今世は堕ちたし、来世もレベルダウンするよ」
    と言うのですが、まあダウンということはないにしても停滞はするのではないかと想像しています。

    ただ一つだけ、この人生でクリアできたかなと思うことはあります。
    「自己反省」です。
    それも客観的にできたかな。

    「自己反省」は感情的な「自己嫌悪」に陥りがちで、延々と自分を責めて傷付けるのでは有害なだけで無意味。
    でも私の場合は特殊事情で遠く離れた視点から眺めることができる。
    そのため良い点・悪い点が実はよく分かります。

    あまり自分の悪い点を公開の場でつらつら書くことはないので(ネガティブに見えて読者様が苛々されるだろうから:それとアンチが喜んで利用するから)、意外かもしれませんが。


    特に、小説『我傍に立つ』では反省点について書けませんでした。
    何故ならその時点では気付いていないわけだから。
    小説としては作品中の時間を越えるわけにはいきません。現在の視点で語れば創作としておかしなことになるため、書けなかったわけです。

    本当は気付いています。
    自分一人がテンパって孤独の世界に閉じ籠もってしまい、自分で自分の首を絞めたのだということを。

    自分だけが仕事をしていて周りは何もやろうとしない、と思い込んでいましたが、周りから見れば
    「手伝えば怒るばかりなので放っておくしかない」
    という状況。
    相当、ムカついていただろうな。

    悪いことをしてしまったと心から申し訳なく思います。



    これは観念としての反省ではなく、今現在、似たような上司が身近にいるため身に染みて分かることです。

    全く次元の違う状況ではありますが、今回は部下として被害者になっているという。
    これぞ「因果応報」ですね。

    こういう経験をして自己反省ができるだけでも生きている意味があるのでしょう。

    無意味に流れていくように思える時でも、負のカルマの修正は粛々と遂行されています。
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