我傍的、ここだけの話

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こんな記憶でも、前世記憶は「羨ましい」ですか?

『永遠の雨、雲間の光』
第四話以降、電子書籍を出すのを忘れていました。すみません。

……いや、「忘れていた」と言うより本当は推敲のために読み直すのが苦痛で、躊躇しているうちに時が過ぎてしまったものです。

今、重い腰を上げて第四話の読み直しをしているのだけど、なかなか不快。
『我傍に立つ』を読み直す時の辛さは感情が動いて胸が搔き乱される辛さ。
でも『永遠』第四話のほうは、ただひたすらに嫌な記憶。
具体的に言うと虐待されるシーンがありこれが不快なのです。
書いているほうも不快だが、虐待シーンや殺戮シーンは読者様にも迷惑なのではないかと思ってしまいます。
(著者への礼儀で無理をして読み苦情を言われても困るので、本当に無理しないで欲しい。無理に読まれても作者としては全く嬉しくない)

ちなみにこういったシーンは実際に記憶しているものですが、私が“記憶”として思い出す時、痛みまで再生することはありません。
淡々と突き放した映像で観るだけなので特に何も感じない。
もちろん、「うらみ」の感情や、「復讐」の気持ちも湧きません。
未だに私が過去に苦しんでいるとか、復讐にとり憑かれていると思う方がいるようですが、そんな気持ちは僅かも抱いていないのでどうか誤解されませんように。

ただ、虐待シーンのある創作は世界観として美しいものではありませんから、不快ですね。単純に。


ところで虐待シーンを読み直していて思い出したのは、私の前世記憶について「派手」という評価をした方がいたこと。

>「吉野さんの前世は派手なものばかり」

とかね。
「羨ましい」と言った人もいたな。

正直、一つ前の前世について「派手」であるとか、「羨ましい」と仰るのは分からないでもありません。
私自身は誰よりも地味な人間だったので(今も地味ですが)、あれを「派手な人生」と自慢に思うことはないのだけど、他人から見れば羨ましく思えても仕方ないだろう。
人間だもの。(笑)

人間は、比較と嫉妬の動物。
いくら
全ての魂は等しく価値がある、全ての人生は同等
と言ったところでたいていの人は聴く耳を持たないし、理解もされない。
多くの人は地位や名誉や金だけで人生の価値を決める。そして自分の価値観で相手をはかり、嫉妬したり見下したりする。
そんな価値観を説得で変えることはできないのだから、仕方がないと思う。

しかし、虐待され人形のように生きた人生についてまで、「羨ましい」と仰る気持ちは私には分かりません。
分からないし、「羨ましい」などと考えないほうがいいのではと思います。
自分も虐待されることを望んでいるのだと宇宙が理解し、運命がプログラムされることがあるから。


もう少し卑近な例だと理解しやすいのでは?
女性たちがよく、性犯罪の被害者となった女性に嫉妬しているのを見かけます。
「美人だから被害者になったのよ」
と言って何故か被害者側を責めながら、隠しきれない羨望と嫉妬をにじませている。
そんな女性を犯罪者が見かけたら、あの女は犯罪を望んでいるのだなと思うでしょう。
結果、運命のプログラムなど待たずに犯罪者を引き寄せ、被害者となってしまう。
スピリチュアルなど解さなくてもこれは必然だと分かるはず。

だから、むやみに何でも羨ましがらないことです。

それに「羨ましい」「羨ましい」ばかり言っていると、卑しい心も育ててしまいます。
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