常にその文章を書く瞬間に正直でありたいと、それだけ思っています。と書いた。
(パスワード記事だけどここだけ引用)
上記事を再投稿しながら思い出したのが、『僕が見つけた前世』のアマゾンページへ投稿されたレビュー。
“誰かの日記”を読んでる感じでした。……物語としては最後がとてもリアルでなかなか良かったと思いました。この太字の箇所を読み、「ごめん」と心の中で謝ってしまった。
(2017年6月12日 投稿者とらた様)
何故なら、あの物語のうち最後の展開のみ、大きめの嘘を書いてしまったから。
『僕が見つけた前世』は90%が実話と書いた。
その10%のフィクションのうち、かなりの割合を最後の展開が占める。
※あくまでもストーリー展開について。ラストに書いた主人公の独白には僅かの嘘もない
人は適度にネガティブな展開にこそ「リアル」を感じるもの。
だから、たとえば失恋するとか、主人公がチヤホヤされない展開があれば「リアル感」が出る。
そういうことを計算しつつ、ラストにそれらしい展開を忍ばせた……かな。ごめんなさい。
(まあ、私の現実が情けないものであることは事実だけど。その理由をストレートに描いていないことが、そもそもフィクション)
これでも素人ながら小説を書いている者のはしくれ、物語上の「計算」は少しはしています。
一般の創作より、遥かにフィクションを減らす努力はしているのだが。
小説では100%本当のことを書くと、かえってリアル感がなくなってしまうという逆転現象がある。
「事実は小説より奇なり」
という諺は真実。
実際起きた奇跡的な話は、そのまま小説に書けば激しく陳腐なご都合主義に見えてしまうことが多い。
読者に「現実には絶対あり得な~い。ご都合主義過ぎる」と批判されることが怖くて、作家は現実の話に手を出すのを躊躇するはずと思う。
私の場合も、「非リアル」に見えるファンタジー部分のほうがむしろ現実であるから辛い。
例/私の創作のなかで唯一ファンタジー抜きの現代小説、『little life(あの君)』はフィクションの割合が実は最も多い。(景色描写は現代風景のスケッチだが)
そして、同時代の設定で、冒頭は似ているのにファンタジーへ移行していく『僕の見つけた前世』は現実そのままだという。著者も理解に苦しむ完全逆転現象。
(他人に信じてもらえないので)逆であれば良かったと願うことは、よくあるな。
でもこれこそがこの世界の現実。
*
私が小説やブログを通して皆さんにぜひ、知っていただきたいこと。
意外とこの世界は、皆が「非リアル」だと思っていることがリアルであり、逆に「リアル」と思っていることが非リアルだ。
世界の真相は反転している。
「日常」という用語で表される、素朴な現実ほど叶えることの難しい少数者の奇跡。
もしあなたがその素朴な現実を手にしているなら、宝くじにでも当たった特権者なのだと思って喜んだほうがいい。
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・皆様が想像する「前世記憶の弊害」
(上のレビューを読み、「前世記憶が現世へどう影響するか」について語った記事)
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